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あなたの隣は最初から、私の場所じゃなかったみたいなので。  作者: 月雅
第4章

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第3話「封蝋の重さ」

「おかみさん、領主のお使いが来てるよ」


朝の仕入れ帰り、銀鈴亭の前の通りで声をかけられた。顔見知りの商人が、荷を担いだまま銀鈴亭のほうを顎で示していた。


銀鈴亭の扉の前に、人影が立っていた。


正装の男。領主配下の役人だった。背筋を伸ばし、手に書簡を持っている。封蝋が朝の光を受けて鈍く光った。


シルヴィアは籠を腕にかけたまま、役人の前に立った。


「銀鈴亭の女将、シルヴィア殿でいらっしゃいますか」


「はい」


「第二王子殿下より、王都への御招待です。王族への謁見の日取りが記されております」


役人が書簡を差し出した。


シルヴィアの指が、封蝋に触れた。


エルデシア王家の紋章。指先に、蝋の硬さが伝わった。


「確かにお届けいたしました」


役人は丁重に一礼し、通りを去っていった。


シルヴィアは扉を開けた。鈴が鳴った。


食堂に入り、仕入れの籠を厨房に置いた。


手を洗い、テーブルの前に座った。


書簡を開いた。


レナートの筆跡ではなかった。宮廷の文官が作成した公式文書。整然とした書体。形式に沿った文面。


謁見の日取り。旅程。馬車と護衛の手配。王宮内の客間の案内。謁見時の貸与衣装に関する記載。


一行ずつ読んだ。侯爵令嬢だった自分には、この種の文書の構造がわかる。公的招待の書式。王家の格式に則った手配。省略されている項目はない。


最後の行に、目が止まった。


筆跡が変わっていた。


文官の整然とした書体ではない。少し硬く、少し急いた、だが丁寧な文字。


「待っている」


一行だけ。レナートの直筆だった。


指先が、文字の上を辿った。


触れるように。インクの凹凸を、指の腹で確かめるように。


書簡をテーブルに置いた。


立ち上がった。


厨房に入り、仕込みを始めた。鍋に水を張る。豆を戻す。人参の皮を剥く。


手を動かしながら、考えた。


宮廷に行く。


侯爵令嬢としての自分を使う。礼法を纏い、正装で国王の前に立つ。


それは——この宿を裏切ることなのか。


包丁が人参を刻む音が、厨房に響いた。


「宿を閉じない」と言った。あの夜、レナートの前で。国王の書簡を読んだ後で。


宮廷に行くことは、宿を閉じることではない。


だが——数日間、この場所を離れる。開業以来、一日も休まずに開けてきた扉を閉める。


包丁を置いた。


手を洗い、食堂に戻った。


書簡をもう一度手に取った。


貸与衣装の記載を読み返した。「王家より候補者に相応の正装を手配いたします。謁見後に返却されるものとし、公的手配として扱います」。


記憶が甦った。


グレンの家にいた頃、用意された衣装を着て社交の場に立った。あの家の紋章が入った衣装を。あの家の名前のために着飾った。


指が書簡の上で止まった。


あの頃とは違う。


あの頃は、グレンの家の名前のために着た。衣装は道具ではなく、鎖だった。あの家の一部として振る舞うための制服だった。


今回は——制度上の手配だ。王家の格式を守るための道具。道具を使うのは、自分のためだ。


棚に目をやった。


先月、自分の稼ぎで買った上質な布のショール。仕入れ先の織物商から、少しだけ値が張る一枚を選んだ。銀鈴亭の売上から出した金で。


あのショールだけは持っていく。


貸与衣装の上に、自分のショールを。


それが「全部を与えられたわけではない」という一線になる。


書簡をテーブルに置いた。


宿を誰に任せるか。


答えはすぐに出た。


午後。市場。


エルダが乾物の台で荷を整えていた。


「エルダさん」


「おかみさん、どうした。追加の注文かい」


「お願いがあります」


シルヴィアはエルダの前に立った。


「数日だけ留守にします。宿泊客の対応と、朝食の簡単な準備をお願いできますか」


エルダの手が止まった。


干し豆の袋を持ったまま、シルヴィアの顔を見た。


驚いていた。あの銀鈴亭の女将が、一日も休まずに開けてきた宿を、人に任せると言っている。


「……おかみさんの宿、任せてもらえるなら光栄だよ」


声に、商売人の真面目さがあった。冗談ではなく、本気で受け止めている声だった。


「仕入れの段取りはあたしの方でわかるし、朝食の支度も、何を出すか教えてもらえれば大丈夫だ。宿帳の書き方と鍵の管理だけ、先に教えてくれ」


シルヴィアは頷いた。


「今夜、閉店後に宿に来てください。一通り説明します」


「わかった。——おかみさん」


エルダは干し豆の袋を台に置いた。


「あんたが人に宿を任せるなんて、よっぽどだね」


シルヴィアは答えなかった。


だが口元が、ほんのわずかに緩んだ。


夜。閉店後。


エルダが裏口から来た。シルヴィアは厨房で宿帳の書き方、鍵の管理、朝食の段取り、仕入れ先と支払いの手順を一つずつ説明した。エルダは要点を自分の手帳に書き取り、一度も聞き返さなかった。


「鈴は毎朝磨いてください」


シルヴィアが最後に言った。


エルダは少し不思議そうな顔をしたが、頷いた。


「わかった。鈴だね」


エルダが帰った後、食堂に一人。


ランプの灯りが一つ。


書簡がテーブルの上にある。末尾のレナートの直筆。「待っている」。


あの人が待っている場所に行く。


侯爵令嬢の礼法を使う。貸与衣装を着る。宮廷の空気を吸う。


だがこのショールだけは、自分のものだ。


棚からショールを取り出した。手触りを確かめた。自分の稼ぎで買った布。織り目の細かい、落ち着いた色の一枚。


行く。宮廷に。あの人が待っている場所に。


帰る場所があるから行ける。


出発の朝。


シルヴィアは銀鈴亭の扉の前に立っていた。


鈴に手を伸ばした。布巾で磨く。いつもの動作。毎朝の手順。


鈴の表面に、朝の光が映った。


エルダが裏口から入ってきた。


「おかみさん、準備できてるよ」


シルヴィアは鍵をエルダに渡した。


手のひらから手のひらに、金属の重さが移った。


「鈴は毎朝磨いてください」


二度目のその言葉に、エルダは今度は笑わずに頷いた。


「任せて」


シルヴィアは扉を開けた。鈴が鳴った。


街道に出た。


秋の朝の光が、石畳に長い影を落としている。


王家の紋章が入った馬車が、街道の脇に停まっていた。


馬車の脇に、マルコが立っていた。近衛の正装。背筋を伸ばし、シルヴィアを見て一礼した。


「お迎えに上がりました」


シルヴィアは頷いた。


馬車に乗り込んだ。


背後で、鈴が鳴った。


エルダが銀鈴亭の扉を開けた音だった。

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