5.
森の空気は、さっきまでの騒ぎが嘘のように静かで、涼しさが増してきた。
血の匂いはもう遠い。
それでも、耳の奥にはまだ金属音が残っている気がする。
剣がぶつかる音。
倒れる音。
誰かの叫び声。
リナは少年に飲ませたからの小瓶を握りしめて、腰が抜けたように座り込んでいた。
「……間に合った、よね」
小さく呟く。
あの少年は助かった。
解毒薬は効いた。おじいちゃんのお手製だもの。
呼吸も落ち着いていた。そう、大丈夫。
けれど。
「……怖かった」
手が少し震えている。
目が潤んでいるのか、世界がぼやけて見えた。
薬草を摘むときの震えじゃない。
あの場の空気そのものが、まだ体に残っていた。
少し落ち着いて、当たりを見る。
血で濡れた地面。
折れた草。
空気は重いままだ。
騎士たちはすでに動き始めていた。
その中心で、指示を飛ばしている声が聞こえる。
「アルトシュタット伯爵邸へ急げ!医者の手配を!」
「領主への報告も急げ!」
エルヴィスと、呼ばれた少年を乗せた馬車が、急ぎの準備をされているのが見えた。
その横で、別の騎士がガレスへ歩み寄る。
「ガレス、門は閉じるな。通行制限は一時解除だ。証人としてお前も動け」
「……了解しました」
短い返事。そして、門番の人達がよくする敬礼。
もう門番の顔だ。
貴族対応する時の、ガレスであった。
また別の騎士が、リナの方へ視線を向けた。
「娘」
リナは肩を跳ねさせる。
「……は、はい!」
「よくやった」
その一言だけだった。
叱責でもなく、疑いでもなく。
ただ事実としての評価。
リナは少しだけ目を見開く。貴族は平民に対し、あまり声はかけないと聞きてたから。
「……ありがとうございます」
ねぎらいをかけてもらうと思ってなかったリナは、在り来りな返事しかできなかった。
役目が終わると、空気が一気に“日常側”へ戻った。
騎士たちは馬車急ぎ進め、負傷者を運び、森は再び静かになっていた。
リナもそのまま、ゆっくりと帰路についた。
家が見えた時、胸の奥が少しだけ緩む。
明かりがついている。
いつも通りのはずなのに、今日は少しだけ遠く感じた。
「ただいま……」
戸を開けると、すぐに声が返った。
「遅い」
エドガーは机から顔も上げずに言った。
「日が落ちる前と言った」
「ご、ごめんなさい……ちょっと森で……」
リナは言いかけて、言葉を詰まらせる。
エドガーの手が止まった。
ほんの一瞬。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
「……何かあったのか?」
その声は、いつもの低さより少し硬かった。
リナは息を整えてから話した。
森でのこと。馬車のこと。おかしな農民がいたこと。
傷ついた少年。黒蜘蛛草の毒が使われていたこと。持っていた解毒を少年へ使ったこと。
全部。
エドガーは黙って聞いていた。
途中で一度も遮らない。ただ、聞いている。
話が終わると、しばらく沈黙が落ちた。
そして。
エドガーは立ち上がった。
窓へ歩き、
――ぱたん、と閉めはじめた。
「……?」
リナが首をかしげる。
「おじいちゃん?」
エドガーは窓に手を置いたまま、低く言った。
「今回のことは、これ以上深入りするな」
「え?」
「貴族の争いだろう」
その言葉だけで、部屋の温度が少し下がった気がした。
エドガーは振り返る。
「お前が関わっていい領域じゃない」
リナは戸惑う。
「でも、助けないと死んでたよ」
「今回は助けた。それでいい。今度見かけても、近ずいてはいけない。助けてもいけない。」
即答だった。
そして、少しだけ間を置いてから続ける。
「魔法が関わる」
リナの呼吸が止まる。
魔法。それはこの国にとって貴族だけが許される奇跡の技。
エドガーは薬棚の方へ歩き、ひとつの古い小瓶を取り出した。
「何度も言うが、この国ではな」
静かに言う。
「“魔法”は、貴族のもつ力だ。そなたと私は見つかれば"回収"されてしまう。」
リナは息を呑む。
そうだ。おじいちゃんはずっと教えてくれていた。この力は、内緒だと。
エドガーは続ける。
「貴族は魔法を持つ」
「王の血筋はそれと別に血族の魔法を持っている」
「そなたも、私も、秘された存在であることを忘れるな。貴族とは関わってはいけない。」
窓の外で風が鳴った。
「だから」
エドガーはリナを見る。
その目は、いつもの無表情より少しだけ強い。
「今日のことは忘れるんだ」
リナは小さく震えた。
「……でも」
エドガーは一歩近づく。
「それともう一つ」
低い声。
今までで一番はっきりとした警告だった。
「俺のことも、外では話すな」
沈黙。
リナは何か言おうとして、やめた。
エドガーはいつもの机へ戻る。
「それでいい」
薬研の音が、また静かに始まった。
ごり、ごり、と。
でもその音は、いつもより少しだけ重かった。
魔法についても次説明できたらな…
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