失敗
温室の空気が静まり返る。
リナの顔から血の気が引いた。
(おじいちゃんに怒られる)
真っ先に浮かんだのはそれだった。
グリゼルダはそんなリナを見て、わずかに首を傾げた。怯えている?
だが、それは追及されることへの恐怖ではない。
もっと別の。
叱られる子供のような反応だった。
その横顔が。
なぜだろう。
ほんの少しだけ。
昔見た誰かに似ている気がした。
一方で。
ジークヴァストは静かにリナを見ていた。
逃げるか。誤魔化すか。黙るか。
どれでもよかった。
だがリナは。
「あの……」
おずおずと口を開く。
「だめでしたか?」
沈黙。
城付き薬師が目を瞬く。
「……何がだ」
「勝手に触っちゃったので」
リナは小さく肩を縮めた。
「珍しい薬草だったから……」
温室の空気が妙なものになる。
ジークヴァストですら、一瞬だけ言葉を失った。
この娘は。
本気で自分が問題になっている理由を理解していない。
グリゼルダが堪えきれずに笑った。
「ふふっ」
城付き薬師が慌てる。
「ぐ、グリゼルダ様」
「ごめんなさい」
全然悪びれていない声だった。
「だってあまりにも予想外で」
リナはますます困惑する。
何か変なことを言っただろうか。
ジークヴァストが静かに息を吐いた。
「リナ」
「は、はい」
「誰から学んだ」
直球だった。
リナの背筋が伸びる。
エドガーの顔が浮かぶ。
言うな。
話すな。
深入りするな。
昨夜の言葉。
リナは慌てて口を開く。
「お、おじ――」
危なかった。
心臓が跳ねる。
「本です」
ジークヴァストの目が細くなる。
「本」
「はい」
「どの本だ」
「えっと……」
知らない。
リナは本の題名など覚えていなかった。
いつも机に積まれている本を勝手に読んでいただけだ。
沈黙。
グリゼルダは黙って見ている。
薬師も黙っている。
ジークヴァストだけが動かない。
そして。
「そうですか」
静かな声。
だが。
それは信じた声ではなかった。
その時だった。
温室の入口から騎士が駆け込んでくる。
「失礼します!」
全員の視線が向く。
騎士はジークヴァストへ一礼した。
「報告です」
「何だ」
「森の家の薬師が戻りました」
リナの心臓が止まりそうになった。
「っ」
エドガー。
おじいちゃんがここへ来る。
ジークヴァストの目が、初めてわずかに動く。
「そうか」
それだけ。
それだけなのに。
温室の空気が変わった。
リナには分からない。
だがグリゼルダだけは気付いた。
今。
ジークヴァストの興味が、完全にリナから離れたことに。
そして向かった先が――
森の薬師。
エドガーであることに。
リナの胸がどくどくと鳴る。
おじいちゃんが来る。
その事実だけで胃が痛かった。
絶対怒られる。
しかも今回はかなり怒られる。
温室の薬草を見ただけなのに。
いや、見ただけじゃない。
喋ってしまった。
余計なことを。
リナは俯いた。
「案内しろ」
ジークヴァストが言う。
騎士が頭を下げる。
「はっ」
すぐに踵を返した。
「グリゼルダ様、お茶会は後ほど」
ジークヴァストはそう言ってグリゼルダへ礼をする。
が。
「よろしくてよ、私達もそちらへ行こうかしら」
と答える。
リナは二人の会話についていけない。
「リナ」
突然名前を呼ばれる。
「は、はい」
「あなたも来なさい」
「……私もですか?」
思わず聞き返してしまった。
グリゼルダが微笑む。
「ええ」
「せっかくだもの、久しぶり祖父様ではなくて?」
そして少しだけ声を落とす。
「私、あなたのお祖父様にも、お礼を言いたいわ」
リナの顔が青くなる。
違う。
そうじゃない。
絶対違う。
お礼だけじゃない。
会ったら、怒られるだろうし。
夫人からも、ジークヴァストからも問い詰められるだろうし…
(おじいちゃん逃げて)
思わず本気でそう願った。
⸻
一方その頃。
ローゼンディア城の正門では。
ひとりの老人が馬から降りていた。
古びた外套。
火傷痕の残る顔。
無愛想な表情。
門番の騎士が名簿を確認する。
「氏名を」
老人は短く答えた。
⸻
「エドガー」
⸻
その瞬間。
騎士の背筋が伸びる。
彼は知らない。
目の前の老人が。
王都の学術院で
“沈黙の賢者”
と呼ばれていた男だということを。
エドガーは城を見上げた。
高い塔。
白い壁。
風にはためく薔薇と鳥の旗。
懐かしくもない。
昔1度だけ訪れたこの場所。
ただ一つ。
面倒だと思った。
「だから嫌だったんだ」
小さく呟く。
その声は風に消えた。




