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10.




客室へ案内される頃には、リナの足はすっかり重くなっていた。


城の廊下は静かすぎる。


使用人たちは皆丁寧で、誰一人として無礼ではない。


……やめてほしい、とリナは思った。

所詮、自分は平民なのだから。




なによりも――。





(帰して、くれないんだ……)


その事実だけは嫌というほど分かった。

案内された部屋は、小さな屋敷ほど広かった。




磨かれた机。

柔らかな寝台。

窓の外には整えられた中庭まで見える。


森で暮らしていたリナには落ち着かないほど綺麗な部屋だった。


侍女が深く頭を下げる。


「何か必要なものがあれば、お呼びください」


「あ、はい……」


扉が閉まる。


静寂。


リナはようやく小さく息を吐いた。


その瞬間、どっと疲労が押し寄せる。


「……帰りたい……」


ぽつりと零れた声は、広い部屋に吸い込まれていった。





×××××××××




その頃。


別室では、領主オルフェン・ローゼンディアと、壮年の男ジークヴァスト・アルノンドが向かい合っていた。


卓上には数冊の書類。


そのうちの一冊を、ジークヴァストが静かに閉じる。


「ベルン商会の記録は彼女が城内に入る前にすでに確認済みです」


領主が目を細めた。


「どうだった」


「不自然な点はありません」


淡々とした返答。




「黒蜘蛛草の毒性、症状、処置法。過去の納品記録に紛れる形で自然に記載されています」


「最近加筆された形跡は?」


「ありません。紙の劣化も、インクの馴染みも一致している」


領主は小さく息を吐いた。


つまり、リナの証言自体には矛盾がない。ということだ。

ジークヴァストが続ける。


「少なくとも、あの娘が嘘をついている可能性は低いでしょう」


「……彼女の祖父については?」


そこで初めて、ジークヴァストの目が僅かに細くなった。


「分かりません」


その言葉だけが、逆に不気味だった。


「納品された薬は、一般的なものですが、エルヴィス様に使用されたものは、恐らく高品質なものです。黒蜘蛛草への知識も含め、ただの森の薬師では説明がつかない」


領主は椅子に深く背を預ける。


「なんとも奇妙だな」


「ええ」


静かな声。


「こちらが調べることを前提に、最初から全て整えられていたようにも見える

不自然がない事が、かえって不自然だな」


部屋に短い沈黙が落ちた。


「あの娘はどう見る」


「恐らく、本当に何も知らないでしょう」


即答だった。


「隠し事はありますが、技術が未熟です。あの娘自身は駒に近いのでは?」


「……厄介だな」


「ええ」


ジークヴァストは静かに頷く。


「だからこそ、慎重に扱うべきです」





ジークヴァストは、置かれた書類を見落としがないか調べるために読み始めた。



数日後。


「接待」という名目で、リナは城の中庭へ案内されていた。


ここ数日、侍女達からは代わる代わる礼を言われた。跡取りであるエルヴィスはよっぽど城のものたちに慕われてたようだった。

お礼なのか、とても良くしてもらっていたリナは、慣れなかった綺麗なワンピースも今ではすっかり着慣れてしまった。



白い石畳の先には、美しく整えられた東屋。

薬草花壇からは穏やかな香りが漂っている。


きれいすぎて落ち着かない。


侍女たちは優しい。

食事も豪華すぎるほどだ。




だが常に誰かの視線を感じていた。


(絶対監視されてるよね……)


胃が痛い。

監視していても、自分は何も知りませんよ…と、できる自信もなく。






そんなことを考えていると、不意に柔らかな声がした。


「お待たせてしまったかしら?」


リナが顔を上げる。


そこにいたのは、一人の女性だった。


艶やかな銀灰色の髪をゆるやかに結い上げ、穏やかな微笑みを浮かべている。

柔らかな物腰とは裏腹に、その立ち姿には自然な威厳があった。





「わ、わ……」


慌てて立ち上がるリナに、女性はくすりと笑う。


「そんなに緊張しなくて大丈夫よ」


優しい声だった。


「私はグリゼルダ・ローゼンディア。エルヴィスの母です」


「あ……リナ、です」


「存じ上げてましてよ。息子を助けてくれたのでしょう?」



グリゼルダは静かに目を細めた。

「あの子、昔から無茶ばかりで……本当にありがとう」


その声音には、確かな母親の温度があった。


リナの肩から少しだけ力が抜ける。


「い、いえ……たまたまです」


「その“たまたま”で助かる命は少ないのよ」


グリゼルダは穏やかに笑った。


その笑顔は柔らかい。

けれど、不思議と視線だけは鋭かった。


まるで、心の奥を静かに覗き込まれているみたいに。





しばらくお茶を飲みながら話したあと、グリゼルダがふと思い出したように立ち上がる。


「そうだわ。せっかくだもの、薬草園を見ていかない?」


「薬草園?」


「ローゼンディア自慢の温室よ」


その言葉に、リナは思わず少しだけ目を輝かせた。


それを見て、グリゼルダが小さく笑う。


「ふふ、やっぱり好きなのね」


案内された温室は、リナが見たこともないほど広かった。


貴重な薬草が整然と並び、空気まで管理されている。


(すご……)


思わず見入る。


だが、その途中。


リナの足が止まった。


「……あれ?」


グリゼルダが振り返る。


「どうしたの?」


リナは一角の薬草棚を見つめていた。


葉の色が、僅かにおかしい。


ぱっと見では分からないほど小さな変化。


けれど。


「この子たち……少し弱ってます」


空気が変わった。


近くに控えていた城付き薬師が眉をひそめる。


「何を根拠に」


リナは慌てながら葉に触れた。


「土ですね。水分が多すぎます」

「あと、根が少しだけ傷んでて……このままだと腐りますよね?」


薬師が顔をしかめる。


「そんなはずは」


「たしか昨日、夜に冷え込みませんでした?」


その言葉に、薬師の表情が止まった。


リナははっとする。


(あ、やば……)

リナの背筋が冷えた。


(この薬草…魔力管理型なんだ…)


――平民が、気づける類のものではない。







その奥で。


誰かの気配が動いた。


いつの間にいたのか。


温室の入口近くに、ジークヴァストが立っていた。


音もなく。


影みたいに。


その視線が、静かにリナへ向けられる。


そして。



「その知識は、“森の薬師見習い”にしては過ぎていますね」


低い声だけが、静かに落ちた。



そしてリナの頭に真っ先に浮かんだのは。


――おじいちゃんに怒られる。


だった。

ジークヴァストも色々設定があるので楽しみです。


グリゼルダ母は、キレイなお姉さんを思い浮かべて描きました。

キレイなお母さんっていいですよね笑

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