9.
城門をくぐると、空気が変わった。
リナの住む城壁や森の近くから一気に、城内の華やかな石畳の道、見慣れない商店なども並んでいる風景は見慣れないものでリナの心は少し浮きだっていた。
森の匂いは一気に遠ざかり、代わりに石と鉄の匂いが鼻に残る。
大きなローゼンディア領の城門は紋様のバラがモチーフなのだろう。
整えられた中庭。
手入れされた薬草花壇。
そのどれもが、ローゼンディア領らしい“実用の美”だった。
リナは思わずキョロキョロと見渡した。
華やかではない。
だが、綺麗すぎるそれは非現実な世界だった。
馬車が止まり、先程の騎士が見えた。
ガレスが小さく言う。
「降りろ、俺はここまでだ」
言葉に従い、リナは騎士と共に城内を進む。
長い廊下は静かだった。
壁にはバラと鳥の紋章。
ところどころに薬草標本のような装飾がある。
ローゼンディアは“薬の領地”である。
と、エドガーから教わったことを思い出していた。
奥へ進むと、ほのかに香る嗅ぎなれた薬の匂いがした。
やがて、大扉の前で止まった。
騎士が一人、扉に手をかける。
「入室を」
低い声とともに扉が開く。
中は広い。天井も高く、優美なシャンデリアがキラキラと輝いている。
だが、無駄に広いだけの空間ではない。
中央に細長い卓。大きさに合わず椅子は全くない。その奥に座る男。
傍らには何人かの側近が立っていた。
座っているのが、ローゼンディア領主であろう。
彼は、静かにリナを見る。
その視線は鋭いが、露骨な敵意はない。
むしろ「確認」に近い。
その左横に立っている男に目がいった。
リナはそこで、呼吸を一瞬止めた。
(……誰?)
冷たい。けど見たことのあるような。
壮年の男性。綺麗な顔をしている。
そして――どこかで見たような“静けさ”。
そう、エドガーに似ている。
ただし違う。同じ静けさなのに、温度がない。
壮年の男ははリナを一瞥しただけで、視線を外す。
まるで「人」ではなく「情報」を見ているようだった。
領主が口を開く。
「リナといったな」
「は、はい」
声が少しだけ響く。
「急に呼ばれて驚いたであろう。なに、今回の件、息子を救ったこと、礼を言いたくてな」
(謝礼…ってことかな)
リナは少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも、領主はにこやかな顔でこちらを見ていた。
しかし次の言葉で、空気が変わる。
「報奨金も用意する」
一拍。
そして続く。
「……それと確認したい」
領主の目が細くなる。
「黒蜘蛛草について、なぜ知っていた?」
確認だった、
黒蜘蛛草。魔力を持つ貴族しか育てることができない毒草である。
平民のリナが知っているのは充分おかしなことだ。
(おじいちゃんの話で黒蜘蛛草の生態のこと、すっかり忘れてた私が悪いけど…)
空気が一段、重くなる。
リナの喉がわずかに詰まる。
(……なんて伝えよう)
きっと領主の本題はこちらなのだろう。
私が敵なのか、味方なのか。
そして、"回収"の対象なのかの判断をするための。
リナは一瞬だけ言葉を探す。
エドガーの顔が浮かぶ。
“話すな”
その言葉を
けれど、沈黙は許されない。
壮年の男が初めて口を開く。
「黒蜘蛛草の症例などは、平民の森の薬師見習いが知る毒ではない」
声は静かだが、切り込み方が鋭い。
「どこで学んだ?」
リナは小さく息を吸う。
そして、正直に言える範囲だけを選ぶ。
「……た、たしか、本に載ってました」
一拍。
「ベルン商会の薬を作る際の本に載っていました」
領主の視線がわずかに動く。
「本?」
リナは慌てて付け加える。
「ベルン商会に卸している薬の記録です。そこに……黒蜘蛛草の毒性と症状が。
生態については知らなかったので…見たことの無い草だなとは思ってました」
嘘では無い。
今日の朝エドガーが記載してくると言ってた。
多少の口裏合わせはしてきたのだ。だがその後、どこかに出かけてしまっているのも確かである。
その瞬間、壮年の男の目がわずかに細くなる。
「ベルン商会」
小さく繰り返す。
領主はじっとリナを見つめていた。
だが、その沈黙は“納得”ではない。
“照合”に近い。
リナの背中に汗が滲む。
壮年の男が、ふと一歩だけ進む。
音がしない歩き方。
まるで影が動いたみたいに。
「エルヴィス様の頂いた薬は随分と効果が高かった。“祖父”という人物がつくっているのであろう?」
低い声。
「ただの薬師か?」
その瞬間。
リナの胸がきゅっと締まる。
言えない。
というか、知らない。
あの小瓶はリナがもし毒や怪我をした時に飲むように教えられている秘伝の薬らしいのだ。
(おじいちゃん…そんな効果高い薬だったの??)
「わ、分からないです…」
「そうか」
壮年の男のその返事は、分かってくれてるはずがなかった。領主も、にこやかな顔の下で何を考えているのか分からない。
リナは早く帰りたくて仕方なかった。
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