第二話 安穏と焦燥
「若、少し休憩されてはいかがですか」
腕を掴まれてからゲルはやっと我に返った。
振り返ればリュッテとラッティーヌ、ウィーカが疲れた顔で、だがそれと悟られないように彼を見返している。
カルバルニ王国の王都から隣国に抜ける街道を深夜からたった今、この早朝まで歩き詰めでいる。
馬を調達しても荷馬車の荷台に乗せてもらうこともできたのに、ゲルは自分の足でただ黙々と歩いていたのだ。
「悪かった」
素直に気遣えなかったことを謝ると彼の心中を察してリュッテたちは俯いた。
「私は平気だ。いや、こうして歩かせておいてそれはないな。考えを整理していたんだ。結局、過去のしがらみとやらを断ち切る方法を選ぼうと思う」
ゲルの言葉に彼らは安堵したような、それでいて不安そうな表情を浮かべる。
「お心が決まったのであれば我々はそれを手助けするのみ」
リュッテの肯定にゲルはやっと笑みを浮かべた。
「感謝する。こうして付き合ってくれて本当はとても心強かった」
滅多に見せることのない脆さを曝け出すようにゲルは表情を歪めた。
本当は泣きたいのに泣けない。
そんな顔を見せられて彼の保護者たちが平然といられる訳がなかった。
「あのクソ王子、若に対して何なんですか。偉そうに。若の何を知っていると言うのだか。見限って正解です、若」
大いに憤慨してウィーカが言うとラッティーヌも大きく頷いた。
「私の為に怒ってくれるか。ふふ、お前たちは私に対して過保護だな」
「何を言っているんですか。若がどれだけご自分を律して過ごしておられるか知らない者はありません。だからこそ、我々の役目は若を存分に甘やかすこと。もっと頼って下さい」
ラッティーヌの懇願のような言葉にゲルは曖昧に微笑んだ。
「私には過ぎた臣下たちだ。これからもお前たちの信頼に応えるべく邁進しよう」
「若」
そんな言葉が聞きたいのではない、と言うようにリュッテが厳しい表情を浮かべている。
「あなたの辛さを一緒に背負うのが我らの使命。我らの前では鎧を脱いでも構わないのですよ」
「だけど」
ゲルは顔を伏せた。
「幼少の頃よりお世話してきた私の言葉を疑うのですか」
リュッテが彼の肩に手を置いて言った。
「疑うはずがない。でもこれは私の問題だ」
「いいえ。若だけの問題ではない。未成熟な聖獣を我らは放置できない。若だけでなく、今後もこういった事態が起こる。それを阻止する為にも、今ここで若が道を正すことが大事なのです。そのせいで若が辛い思いをすることは必須ならば我々がその支えとなり、重荷を分かち合うことは必然」
力強い言葉にゲルは俯いた。
一筋の煌めきが彼の頬を伝う。
「あの野郎、私を覚えていないとほざきやがった。何百年も連れ添った相手に、なんて言い草だ。しかも私を醜いと言いやがった。前世では一時も離れたがらなかったくせに。厚かましい奴だ。しかも契約していないと言ったな、あいつ。初対面の私の首にいきなり噛みついてきておいて覚えてやがれ、あのクソ野郎。今も昔もちっとも変わってない。いつまでも子供っぽくてワガママで世間を知らなさすぎる」
普段の寡黙さをかなぐり捨てて、ゲルはキラキラ王子を思う存分罵る。
「もう終わりですか。あんな見た目だけの王子、もっと酷い言葉で貶せばいい」
リュッテの言葉にゲルは顔を上げた。もう普段の冷静な表情に戻っている。
「スッキリした。ありがとう」
ゲルは息を吐き出して微笑んだ。
主君の貴重な笑顔に臣下たちは胸を熱くしながらも顔には出さずに頭を垂れる。
「全く、何の因果なのだろうか」
ゲルの小さな呟きは風に乗って消えていく。
エンゲルハーノス・リザリスには前世の記憶がある。それは彼の一族とも密接な関わりがあった。
彼らの部族は太古の昔から使命を帯びて暮らしてきた。それは神が創りたもうた聖なる獣「神獣」を守り、時に導く尊き役目。時の権力者とは交わらず、神にだけ忠誠を誓う一族。その一族の三人の長のうちの一人アーハムリッヒ・リザリスの息子が彼である。
彼らの見守る「神獣」は今は眠っている。そのせいか、世界は神獣を忘れ、神を忘れて暮らしている。だからゲルの知る常識は今の世界に通用しない。そしてそれは前世の自分にも当てはまることだったのだ。
前世の自分はあのキラキラ王子のいた国の女王だった。これは神のイタズラなのかと苦々しく思ったのだが、それは彼の心の内に留めておくことにした。そもそも、彼が女王だった頃から一千年以上は経っている。今はもうその女王も忘れ去られていることだろう。そして自分も今はキラキラ王子と縁も縁もない。それなのに。
キラキラ王子の前世が厄介なのだ。
ゲルはふと空を見上げた。
一羽の鷹が悠々と空を飛び去っていく。ふとゲルの口元に苦笑が漏れた。
昔、あのキラキラ王子の前世だったアイツは鳥を捕まえたいばかりに空を飛ぶことを望み、必死に練習していた。
あのクソ王子。
また不遜な王子の顔が思い出されてゲルの内面に小波が立つ。
クソ王子こと、カルバルニ王国の王太子セルグルはゲルの知るところによると前世は大層な牙を持つ大型の獣だった。しかも神獣の子供で生まれながらに魔法を使え、体格の良い生き物だった。一方、ゲルは神獣の生まれる国とは遠く離れたカルバルニ王国を若くして継いだ苦労症の青年だった。出会ったのは砂漠の地。査察に出た女王はいきなり現れた大きな獣に襲われ、首に噛みつかれて瀕死の重傷を負った。獣は魔法を使って彼女を癒したが、それからというもの、彼女の側から離れず生涯を共にすることとなったのだ。なぜか彼女の寿命も伸びて、不老不死かと囁かれ、それが獣のせいだと分かる頃には彼女を知る既知は去り、女王の統治する安寧の王国は末長く発展した。
そしてその国の王太子にその獣がなっている。
一方ゲルはその獣が生まれ育つはずだった部族の地に生まれ落ちた。
何の因果か。
しかもゲルには獣の残した「番の証」が顔に現れている。
腹立たしい。
ゲルは死後もなお束縛しようとした獣に怒りを覚える一方、本音では今世も一緒に過ごせるのなら悪くないとも思ったのだ。だが獣はゲルの前に一切現れなかった。
そして知った。キラキラ王子として生まれ変わった獣は前世を一切憶えておらず、ゲルのことを汚らわしいと言った事実。ちなみに王子は「気持ち悪い」と言ったのだが、ゲルの中では怒りのために汚らわしいに変換されていた。
夕陽の差すカーテンの隙間の光のゆらめきで目を覚ましたセルグルは目覚めてなお消えない胸の痛みに拳を握りしめる。
謁見の間で得体の知れない青年に出会い、それからと言うもの激しい焦燥感に苛まれている。そして胸の痛み。これが喪失の痛みであると彼は知らない。
あれから寝台に伏せって起き上がることができない。御典医でさえ原因が分からないと言う。
「俺は死ぬのか」
ぼそっと呟いた言葉を聞きつけて侍従のレンが慌てて顔を覗き込んできた。
「殿下、お目覚めになられたのですね。お腹は空いてないですか。お気に入りのお茶をお淹れしましょうか。それともお香を炊きましょうか」
「いい、レン。一人にしてくれたら、それでいい」
唯一わがままを言える相手であるレンに背を向けてキラキラ王子は体を丸める。
「陛下が隣国から殿下の為に魔導師をお呼びになられたそうです。医師がダメなら魔導師が治してくれるかも知れません」
「……そうか。それで、あの紋の入った顔の男は見つかったのか」
背を向けたまま問うセルグルにレンの顔が曇る。
「まだ見つかってはおりません。どうやって侵入したかも不明です。現在騎士団長が指揮をとって捜索中です。殿下はあの若者に呪いをかけられたのでしょうか」
「違うアイツはそんなことしない」
即断言したセルグルにレンが驚いたように固まった。その気配を感じてセルグルは渋々起き上がる。
「そう感じるんだ。それに」
悪いのは俺だ。
あんな言葉を言うのではなかった。激しい後悔が胸に渦巻く。
抱きしめて君が世界で一番美しいと褒め称えても足りない。
あんなにも心動かされる相手は他にいない。
それなのに。
彼の言った言葉を思い出す。
『この身の契約も破棄されると確約する。安心なされるといい』
彼はどんな表情でその言葉を言った?
契約。それはどんなものだ。
もう一度会いたい。
「殿下」
いつもとは全く様子の違うセルグルにレンがどう言葉をかけていいか分からずに辛そうな表情になっている。
「心配ない。すぐに治る。父上がわざわざマハド公国から魔導師を呼んで下さったのだろう?それならば優秀な者が来るに違いない。俺の症状もすぐに言い当てて治してくれるさ」
本当は知っている。喪失は埋まらない。
どうしたらいい?
己の愚かさに打ちのめされる日が来ようとは彼は想像だにしていなかったのだった。




