第三話 帝国の獣
目に映る鮮やかな色の波にゲルは目を細めて辺りを見回した。
明るい太陽の下、市場のように屋台が並んでいる。お国柄、鮮やかな色彩を多く使用した建物や服飾、果物などが刺激的な街並みを作り出している。
大きな街道をいくつか抜け、カルバルニ王国から地元へ戻ってきたゲル達はお使い完了の旨を長たちに報告し、それからまた旅に出ている。今度の目的地は強大な国家アレハバラ帝国だ。今、その帝都に近い街に宿を求めて立ち寄ったところだ。
「若、お腹が空きました」
ゲルの背後で空腹を訴えるラッティーヌの隣で双子のウィーカも大きく頷いている。
「そうだな、そこの露店で好きなものを買うといい。宿の食事が入るくらいには加減しておくように」
主人の許可を得て、嬉しそうに双子が焼いた肉を売る店へ直行して行った。
「若、甘すぎます」
リュッテが渋い顔をしているがゲルは気にしない。
「私も少し羽目を外したいと思っているんだ。宿命を断ち切ることができると思うと心が浮き立つ。不思議だな。もっと辛いものだと思っていたのに、実際は清々しい気持ちだ」
澄んだ瞳でゲルは街並みを眺める。
「若のお心が軽くなられたようで見ていて安心致しました」
「やはり違うかな。自分では表に出していないつもりなのだが」
ゲルは背の高いリュッテを見上げて苦笑した。
「良いことですよ。我々にはもっと甘えて頂かないと」
「ふふ。お前はいつもそう言う。私を甘やかすとロクなことがないぞ」
「そう思っているのは若だけですよ」
リュッテもいつもとは違う軽やかな様相でいるからゲルも気軽に接してしまう。
思えば部族は掟が厳しく、砕けた関係を築くのは難しい。しかし旅を通してリュッテやウィーカ、ラッティーヌ達との仲は深くなり、信頼も間違いないものとなった。
過去に囚われない生き方をしてもいいのだと、やっと思える。
ゲルは背中の積荷を下ろしたような感覚に安堵さえしているのだ。今はまだ顔にある紋様が消えてはいないが、この帝国でそれを消すことができる。
「手紙は届いただろうか」
この旅に出る前に長達三人から帝国の長である皇帝宛に書簡が出された。それがゲルの宿命を断ち切るものであることは皆が知っている。
過去からの絆である番の契約を断つ術を唯一行使できるのがアレハバラ帝国の皇帝その人なのである。
彼ら部族には公にはできないが皇帝に会う伝手がある。それもかなり深く繋がった関係の。
「既に若のご到着をお待ちのはずですよ」
リュッテの言葉にゲルは頷いた。
胸が高鳴る。
それは己の宿命を断つ時がくることばかりが原因ではない。皇帝その人に会うことが嬉しいのだ。
「お元気にされているだろうか。彼の方は少しばかり無茶をなさるのが常だから」
幼い頃に幾度もゲルを助けてくれた皇帝その人に会うことはこれ以上ない喜びである。
「彼の方も心待ちにされています。若の様子がどうかといつも長達にお尋ねになられているとか」
「有難いことだ」
特に部族の中で扱いの難しい立ち位置にいるゲルには皇帝のように最大限に親愛を示してくれる存在は稀有だ。高位の存在である彼に幼い頃から無条件に愛されてゲルも素直に彼に好意を示せる。もしも彼がいなければ厳格な部族の掟の中に縛られてゲルはもっと苦しい思いをしたことだろう。
聖獣の番である紋を持って生まれたゲルに対して部族の反応は三つに分かれている。
聖獣の番だとして崇める者。
生まれながらにして業を背負ったとして忌避する者。
当の聖獣が不在であるにも関わらず紋を持って生まれたことに不快を示す者。
要するに番である獣がいないことが最大の問題なのだが、それはゲルのせいにされた。そして部族の大半から「いないもの」とされるか、嫌われている。彼が長の息子でなければもっと差別が酷かっただろうが。
部族の中で苦い思いをゲルはしてきた。
しかし聖獣が側にいないのだから当然の反応かもしれない、とも思うのだ。それは彼ら部族の成り立ちに密接に関係する話なのだった。
古代、神獣はあらゆる生き物の頂点にいた。そして神の意思を人間に伝えて人間を導く存在だった。
やがて神獣は人間の中から伴侶を選んだ。それは番と呼ばれ、人間でありながら神に近い存在として扱われるようになった。人としての限界以上に寿命が伸び、神獣の力の一部を使えるようになったのだ。
とはいえ、神獣は滅多に番を選ぶことはなかった。やがて一つの事実が浮かび上がった。番は同じ相手である、と。寿命が伸びたとはいえ人間は神獣ほど長くは生きられない。生まれ変わって、また神獣の番となる。それは魂の契約だったのだ。
ある時代、神獣と番の間に子供が産まれた。大きな体躯に何物にも囚われない自由な魂を持つ獣だった。だが同時に神獣に不調が見られ、長きの眠りにつくこととなった。前代未聞の神獣の不在。番は神獣を隠すことに決めた。愚かな人間達が神獣の不在に不穏な気配を見せることを知っていたのだ。そしてとある部族に神獣を守ることを命じた。
やがて神獣の不在に人々は神の意も、その神の創りたもうた神獣も忘れた。
世界は変化した。
番は人として世に馴染むために国を作り上げた。それがアレハバラ帝国であった。そしてその皇帝は「神獣の番」なのである。
さて、その神獣の不在に影響されたモノの一つに神獣の子である聖獣がいる。
本来であれば聖なる生き物としての勤めを果たし、神獣の代わりに人間を導く存在であった。運が悪いことに神獣の不在と産後の番が体調を崩して身罷ってしまう時期が重なったのだ。養育者のいない聖獣は我儘放題で誰も諌めることができなかった。そして聖獣は部族を飛び出し、行方不明となったのだった。
さらに魔力を持つ種の獣たちが人間を番とし、番契約を結ぶことが増えた。それ自体は自然なことだったが、神獣の不在の影響で意に沿わない番契約が増え、問題が起こり出した。魂の契約である番の契約は人々の人生を狂わせた。
生まれ変わってアレハバラの皇帝となった神獣の番は事態を憂い、番契約を消すことができる秘術を神より戴く。未だ眠りにつく神獣の代わりに人間の世界の安寧を取り戻すことを番の役目として。
神獣と神獣の番の子である聖獣もまた本能のままに人間の子を己の番とした。そして聖獣は消えた。番とされた相手を放置したままで。それが生まれ変わったゲルである。
そんな訳で最初からゲルのことを自分の子供のように愛してくれたのが皇帝だったのだ。今世は男として産まれた皇帝であるが母以上の愛をゲルに与えた。ゲルの本当の母が一度も彼を抱こうとしないことを知って余計に溺愛したのだ。
部族の中にはそれを快く思わない者もいた。聖獣以上の聖なる存在に未完の番が触れるべきではないという考えからだ。それに加え、神獣を守る部族と帝国は一切関わらない規定がある。
表では手助けできない分、皇帝の溺愛は増した。今ではゲルが部族を捨てて帝国に移住するように働きかけているほどだ。
そんな経緯があり、ゲルは自然と皇帝を「親」として敬うようになったのだった。




