第十八話「決裂」
「お前ら──随分と早かったな」
アッシュは動揺することもなく、ただ堂々としていた。
まるで、俺たちがこの場へ来ることを分かっていたかのように。
ふと、奴の傍らに倒れている女に視線がいく。
喉元から血を垂らしており、見ているだけで痛々しい。
だというのに、目線を逸らせなかった。
あの女には、どこか見覚えがあったのだ。
彼女は、確か──
「おい、アッシュ。お前、何を血迷ってんだ」
レントの言葉が飛ぶ。
「血迷ってなんかないさ。俺は元からこういう人間だ」
アッシュは肩を竦めながら平然と答える。
その右手には、血の滴る剣が握られていた。
かつての団欒からは考えられないほど、奴の瞳は狂気に滲んでいる。
______まるで、別人だ。
「──てめえ、何企んでやがる」
その声は、揺らいでいた。
怒りか、困惑か。
俺には、そのどちらなのか分からなかった。
「なんでメルトナの姉ちゃんを売った? 金か? そこまでして金が欲しかったのか?
仲間を売ってまで手に入れたそのご立派な服は、さぞかし着心地がいいんだろうな?」
抑えていた感情を叩きつけるように、エルマが一気に捲し立てる。
「......」
アッシュは答えない。
ただ、鋭い眼差しでエルマを睨みつけていた。
「それに、そっちの姉ちゃんはなんだ?」
エルマの視線が、倒れている女へ向く。
「仲間を売るだけじゃ飽き足らず、今度は女攫って斬りつけるたぁ......。
てめぇ、随分と気色の悪ぃ性癖をお持ちのようだな」
「......」
アッシュは、なおも黙っている。
エルマはそんな奴を一瞥すると、ふっと鼻で笑った。
「......なるほどな」
そして、アッシュの姿を改めて眺める。
仲間を踏み台にして。
弱い相手には好き勝手に振る舞って。
そのくせ、自分だけは立派な身なりをして、人の上に立ったつもりでいる。
まるで──。
「──ハッ、盗賊が貴族サマの真似事たぁ、随分と出世したもんだ」
______その瞬間。
アッシュが初めて歯を食いしばった。
「──盗賊風情が、綺麗ごと語るんじゃねえ」
「......あ?」
エルマの眉が、ぴくりと動いた。
次の瞬間──。
「来るぞ!」
レントが叫ぶ。
アッシュが地面を蹴った。
同時に、路地の奥から二つの人影が飛び出してくる。
現れたのは、覆面を被った男と、ベールをつけた女。
「──っ!」
俺は反射的に身構えた。
──連れがいたのか。
「勘違いすんなよ。三対一じゃねえ」
迫りくるアッシュが薄く笑う。
「──三対三だ」
アッシュの剣先がエルマを捉える。
対するエルマは臆することなく、懐から一本の短剣を抜いた。
「‘’ヴィネクト‘’」
短い詠唱。
直後、淡い紫の魔力が短剣へ絡みつく。
それはやがて、滴る樹液のように刃を覆った。
「来いよ」
エルマは動じず、アッシュを煽る。
直後、鋭い剣閃が彼女へ迫った。
だが──。
「──チッ」
振り下ろされた剣が、エルマを捉えることはなかった。
──その刹那。
すぐ傍で、建物の壁を一つの影が駆け抜ける。
______速い。俺の目では追い切れない。
やがてエルマは壁を強く蹴り、その身体を弾丸のように飛び出す。
一直線に、アッシュの懐へ。
「なっ──」
アッシュが振り返る。
しかし、もう遅い。
「終わりだ」
エルマの短剣が、アッシュの喉元へ向かって突き出される。
だが──。
______キィン!!
その刃が届くことはなかった。
横から伸びた剣が、短剣を弾き返す。
「クソッ......!」
エルマが睨んだ先。
アッシュの前へ、覆面の男が割り込んでいた。
「......ふん」
男はそう吐き捨て、剣を構えなおした。
※ ※ ※ ※ ※
______同刻、その一方。
少し離れた場所で、レントがベールの女と対峙していた。
女の両手には、それぞれ一本ずつ短剣が握られている。
「......邪魔すんじゃねえ」
レントは剣柄に手を当て、構えを取る。
「それはこちらのセリフだ」
女は短剣を逆手に持ち直す。
______直後。
女が地面を蹴り、レントに迫った。
(あの構え......)
距離を詰める、その最中。
レントの構えを見て、女の脳裏を一つの考えがよぎる。
(『環流』か)
______攻撃を捌き、受け流すことに特化した流派──『環流』。
レントがとったのは、その代表的なカウンター技の一つ『流転の構え』だった。
それを承知の上で。
女は危険を顧みず、さらに踏み込んだ。
左右から、ほとんど同時に短剣が迫る。
レントは即座に剣を立て、二本の刃を受け流した。
______キィン!
火花が散る。
だが、女はそのまま身体を捻り、今度は低い位置から短剣を突き立てた。
「ちっ......!」
間一髪、レントが身を引き距離を取る。
だが──。
「‘’ゼクロ‘’」
女の短い詠唱。
直後、短剣から細かな斬撃が放たれる。
「──なっ!?」
不意を突かれたレントは、避け切れない。
______ザザッ!
「ぐっ......」
肩を切り裂かれる。
鮮血が飛び散り、レントがよろめく。
「──取った」
女が一気に畳みかける。
短剣を構えなおすと同時に、すぐさまレントとの距離を詰めた。
その凶刃が、レントの胸元へ迫る。
しかし、その瞬間。
「──‘’シロン‘’」
力なく垂れていたはずの、レントの指先に。
ほんの僅かに、白い光が灯った。
「はっ──!?」
女が驚愕の声を上げるよりも早く。
______パァァン!
至近距離で、閃光が弾けた。
女はたまらず目を覆い、顔を背ける。
視界を奪われ、身体を大きく仰け反らせた。
「小癪な──!」
誘われた──女が、そう勘付いた直後。
「盗賊ってのは小癪なもんでね」
剣の柄が、女の鳩尾へ叩き込まれる。
「ぐっ......」
女はそのまま、力なく倒れた。
※ ※ ※ ※ ※
俺は、目の前のアッシュを睨みつけていた。
奴もまた、剣を構えたまま俺を見据えている。
路地裏は騒然としていた。
剣戟の音。
怒号。
魔術の弾ける音。
様々な音が、入り交じっている。
だが──。
俺の意識は、目の前の大男から離れなかった。
______やがて、奴の右手に掲げられた剣が、月明かりを鈍く反射した。
俺は短剣を構える。
手のひらが汗ばんでいる。
心臓が、うるさいほどに脈打っていた。
──来る。
そう思った瞬間。
アッシュの姿が消えた。
「──っ!」
咄嗟に身体を捻る。
直後、目の前を剣閃が走った。
______シュンッ!
空を切る音。
首を掠め、熱いものが伝う。
......血だ。
反応が、遅れていた。
「ぐっ......!」
痛みに顔を歪める。
その隙を逃さず、アッシュが踏み込んだ。
剣先が、再び俺の首筋へと迫る。
______まずい。
避けきれない。
そう思った、次の瞬間。
______ヒュッ!
何かが、横から飛んできた。
「なっ......!?」
アッシュが、僅かに身を捻る。
だが、間に合わなかった。
短剣が、奴の肩へ突き刺さった。
「クソッ──エルマか......!」
アッシュの動きが止まる。
奴に刺さったのは、さっきまでエルマが握っていた短剣だ。
刀には、淡い紫色の魔力が纏わりついたままだった。
これは、もしや──。
「毒......!」
俺が呟く。
アッシュは肩に刺さった短剣を乱暴に引き抜く。
血が飛び散った。
それでも──奴は倒れない。
剣を握り直し、再びこちらへ向き直る。
その動きに、僅かな乱れすらない。
______まだ、やれるのか。
俺は再び短剣を握りなおした。
※ ※ ※ ※ ※
エルマは、眼前の覆面男と激しく刃を交えていた。
______キィン!
剣撃がぶつかり、火花が散る。
「はあっ!」
男の剣が、再び迫る。
エルマは身を捻り、紙一重で躱した。
そのとき。
「......っ!」
視界の端に、チハルの姿が映った。
アッシュの剣が、彼へ迫っている。
──避けられない。
そう判断した瞬間、エルマの手が動く。
______ヒュッ!
彼女は、握っていた短剣をアッシュへと投擲した。
その刃は、一直線に戦場を横切り──アッシュの肩へと突き刺さった。
おかげでアッシュの凶刃は止まり、チハルの危機は救われる。
だが──
「武器を捨てたな」
男は、その隙を見逃さない。
「チッ......」
見透かされたかのように、エルマは舌打ちをする。
丸腰となった彼女は、ただ──じっと男を見据えるだけだった。
「終わりだ」
勝ちを確信し、男が剣を振り掲げる。
______そのとき、エルマの口元が僅かに吊り上がった。
彼女の袖口から一本の小さなナイフがするりと垂れ下がる。
それを指先で掴んだかと思えば──刃に、淡く青白い光が纏う。
次の瞬間。
ナイフは男の脇腹へと投擲された。
「......?」
その一連の動きを、男は視認することすらできなかった。
ただ、気づけば──脇腹に、僅かな痛みが走っていた。
「──あ?」
困惑する男。
だが──。
次の瞬間、男の身体から力が抜けた。
「なに......を......」
膝が崩れる。
そして──。
男はそのまま、力なく地面へ倒れこんだ。
眠りに落ちるように。
※ ※ ※ ※ ※
俺は、必死にアッシュの攻撃を捌いていた。
隙を見て右腕を掲げ、短剣の先へ魔力を集める。
「──ヴォ......」
「させねえよ!」
詠唱が終わるより早く、剣が迫る。
「──っ!」
頬を掠める痛みを気にも留めず、咄嗟に身を引く。
もう一度、魔力を集める。
だが、それすらも許されない。
アッシュは執拗に距離を詰め、俺へ剣を振り続ける。
──くそっ。
このままじゃ、押し負ける。
俺はもう、体力が限界だ。
せめて、魔術を放つ隙さえ作れたら......。
______そう思った直後。
アッシュの動きが、僅かに鈍り始める。
「……?」
踏み込もうとした足が、僅かによろめいた。
身体の奥から、力が抜けていくように。
「──っ!」
俺は理解する。
先ほどエルマから受けた短剣。
──その毒が、効き始めた。
「ハァ......ハァ......」
アッシュは息を荒くしながら、剣を支えにするように、地面へ突き立てた。
______今だ。
俺は、迷わなかった。
再び、右腕を掲げる。
身体の奥から、魔力を一気に引き出す。
熱が、腕を駆け抜けていく。
「──‘’ヴォルトナ‘’」
瞬間。
短剣を媒介に、魔力が一気に増幅される。
その切っ先から、凄まじい閃光とともに、膨大な炎が放たれた。
______ドォォォン!!
「がっ......!」
炎の奔流が、アッシュの身体を真正面から捉える。
その身体が宙へ浮き上がり──。
勢いのまま、背後の壁へと叩きつけられた。
______ズドン!!
石壁に亀裂が走る。
アッシュは、そのまま動かなかった。
「......」
俺は荒い息を吐きながら、目の前の男を見つめる。
奴の傍らには、先ほどまで必死に握っていた剣が転がっていた。
______完全に、決着がついた。




