第十七話「ケジメ」
童話兄弟が衛兵を足止めしている隙に、俺たちは排水路を抜けた。
途端に、眩しい光が目に入り込んでくる。
「──っ」
思わず目を細める。
見上げれば、空は夕焼けに染まっていた。
赤く滲んだ光が、ロミエットの街並みを照らしている。
ついさっきまでいた薄暗い地下とは、あまりにも違う景色だった。
「ハーッ、久々のシャバの空気は最高だぜ」
レントは凝り固まった身体をほぐすように背を伸ばし、そう呟いた。
「......そうだな」
俺は短く返した。
冷たく乾いた風が頬を撫でる。
その風を味わうように、しばらく黙って受けていた。
「──なあ、エルマ」
「ん?」
隣を歩くエルマに声をかける。
「......悪かった」
「え? 何がだ?」
「俺、お前を疑ってたんだ」
エルマは一瞬目を丸くした。
だが、すぐに鼻で笑う。
「んだよ、そんなことか」
「そんなことって......」
「仕方ねえよ」
エルマは肩を竦める。
「あんな状況だったんだ。疑われたって文句は言えねえ」
「でも......」
「それより、謝るのはあたしの方だ」
それを機に、エルマの表情が少しだけ曇る。
「お前らを巻き込んだ。
......全部、頭であるあたしの責任だ」
それからしばらく、彼女は俯いていた。
やがて──。
「──すまなかった」
らしくもない、素直な言葉だった。
その声は、僅かに震えていた。
いつものエルマなら、こんな風に頭を下げたりはしないだろう。
冗談の一つでも飛ばして、笑って誤魔化すはずだ。
「......顔、上げろよ」
けれど、今は違った。
______ゆっくりと顔を上げた彼女の目元には、今にも零れ落ちそうに涙が浮かんでいた。
その表情には、アッシュへの動揺と──俺たちへの申し訳なさが滲んでいるようだった。
「もう、大丈夫だ」
「......チハル」
「助けに来てくれたんだろ」
エルマの目が、僅かに揺れた。
「だったら、それで十分だ」
「──っ」
しばらく、沈黙が続いた。
エルマは口を尖らせ、涙を堪えるのに必死なようだった。
「──ったく、いつまでしんみりしてんだよ」
やがて、見かねたレントが沈黙を破った。
「エルマ。気を取り直して、あの恩知らずにケジメをつけにいくぞ」
「......ああ。わかってる」
エルマは目元を拭った。
「──ちょっと待て」
俺は二人を呼び止めた。
確かに、アッシュへのケジメは必要だろう。
______だが、それよりも優先すべきことが、俺にはある。
「俺としては、メルトナを放ってはおけない」
彼女は今、どこにいる。
何をされている。
──間に合うのか。
「それなら心配すんな。手短に済ませる」
エルマは、俺の言いたいことを察したようだった。
「......ちなみに、詳細は知ってるのか?」
「ああ。街にいりゃ、嫌でも耳に入ってきたよ」
彼女の表情が引き締まる。
「──メルトナの姉ちゃんは、翌日の昼間に王都ルシャンドで処刑される」
「......」
その言葉を聞いた瞬間、息が詰まった。
王都ルシャンド。
翌日の昼間。
──時間は、ほとんど残されていない。
それに、俺一人でどうにかできるとはとても思えない。
牢獄から抜け出すことさえ、エルマたちの力を借りてようやく成し遂げた。
なのに今度は、王都まで行ってメルトナを救い出さなければならない。
「大丈夫だ」
その一言に、顔を上げる。
エルマは、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「その後は、あたしもチハルを手伝うよ」
その声には、いつもの大胆さが戻っていた。
「──エルマがそう言うなら、俺も行くぜ」
レントも、すぐさま言葉を重ねる。
「お前ら......」
彼らの言葉に、俺の目が見開かれた。
レントは、相変わらずどこか浮ついた調子だ。
エルマもまた、僅かに口元を緩めている。
けれど──その目だけは真剣だった。
「──ありがとう」
胸の奥に張り詰めていたものが、ふっと緩んだ。
一人じゃない──そう考えるだけで、心強かった。
「ってわけで、まずはあのアホを懲らしめに行くぞ」
エルマが先頭に立つ。
やがて俺たちの方へ振り返り、その拳を胸に当てた。
「──心にガッツ、決めとけよ!」
その決め台詞に、俺は今までになく鼓舞される。
「「おう!」」
俺とレントも、力強く拳で胸を叩くのだった。
※ ※ ※ ※ ※
夕暮れの名残が、ゆっくりと闇に呑まれていく。
ロミエットの街に灯りが一つ、また一つと灯り始める、宵の頃。
そんな街中を、一人の男──アッシュが歩いていた。
王宮の仕官、あるいは貴族の執事が身につけるような、仕立ての良い服装。
それに身を包んだ彼は、迷うことなく街の一角へと歩みを進めている。
______やがて、アッシュはとある一軒の宿屋の前で足を止めた。
襟元を軽く整えた後、ゆっくりと扉を開ける。
「らっしゃい──」
宿主が顔を上げる。
だが、アッシュの姿を見た瞬間、その表情が僅かに強張った。
「......何事でしょうか?」
服装からして、貴族の使いか何かだろうか。
そんな者が、なんの前触れもなく宿を訪れる。
それだけで、ただ事ではないことくらいは察せられた。
「ご心配には及びません」
アッシュは穏やかな笑みを浮かべる。
「こちらに滞在してらっしゃる、アイヴィス殿に用事がありまして」
「アイヴィス様に......?」
「ええ」
アッシュは懐から何かを取り出すこともなく、ただ落ち着いた口調で続ける。
「彼女に、少々お時間をいただきたいのですが」
「......は、はい」
宿主は戸惑いながらも頷いた。
「二階の、一番奥の部屋です」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げる。
その所作にも、何の不自然さもない。
アッシュは階段を上り、教えられた部屋の前へと向かった。
そして、二回ほど扉を叩く。
「──はい?」
中から、女の声が返ってくる。
「アイヴィス殿、失礼いたします」
「......どうぞ」
返事を聞き、アッシュが扉を開ける。
「──誰?」
ベッドに寝たきりだったアイヴィスが、驚いたように顔を上げた。
見知らぬ男。
その姿に、一瞬だけ警戒の色が浮かぶ。
だが──。
男が身にまとっている服を見て、その表情が僅かに和らいだ。
「突然の訪問、失礼いたします」
アッシュは丁寧に頭を下げた。
「私は、使いの者です」
「使い......?」
「はい」
アイヴィスが訝しげに眉を寄せる。
「どなたの?」
「ヴェノッサ様より、伝言を預かっているのです」
「──!」
その名を聞いた途端、アイヴィスの表情が変わった。
「彼が......?」
「はい」
アッシュは、変わらぬ笑みを浮かべる。
「アイヴィス殿に、直接お伝えするよう仰せつかっております」
「......そう」
アイヴィスは、もう一度アッシュの姿を見つめる。
仕官としての正装。
そして、ヴェノッサの名。
それだけで、彼女の警戒心は大きく和らいでいた。
「それで......伝言って?」
その問いかけに、アッシュはほんの僅かに目を伏せた。
「お仲間の遺品を、受け取ってほしいと」
「──っ」
アイヴィスの瞳が、大きく揺れた。
______アッシュはほんの僅かに口角を上げながらも、整然と話を続ける。
「仲間の──?」
「はい」
アッシュは静かに頷いた。
「ヴェノッサ様が預かっておられたそうです」
その声色には、先ほどまでと変わらぬ落ち着きがあった。
「そんな......」
アイヴィスは言葉を失った。
脳裏に浮かんだのは、あの夜の光景。
自分を庇い、命を落としたブルモッドの姿だった。
「それを......どこに?」
「今は、この街のとある骨董品屋に保管されております」
アッシュはいかにも恐縮した様子で頭を下げた。
「少々御足労をおかけしますが──同行を願えますか?」
アイヴィスの脳裏に、一瞬だけ迷いがよぎる。
だがそれ以上に、仲間への想いとヴェノッサの名の信頼が勝った。
______やがて、彼女はベッドから立ち上がる。
「──分かった。案内して」
「ありがとうございます」
アッシュが一礼する。
「では、こちらへ」
______アッシュに案内されるがまま、アイヴィスは宿を出た。
暗闇に沈みかける街を、二人は並んで歩き始めた。
アイヴィスは、特に疑う様子もなくアッシュの後をついていく。
「そのお店はどこにあるの?」
「少々、離れた場所に」
「......そう」
それ以上、アイヴィスが何かを尋ねることはなかった。
やがて、二人は大通りを外れる。
通りすがる人々の数も、こちらを伺う好奇の目線も。
歩みを進めるにつれ、少しずつ減っていく。
賑やかな街の喧騒も、次第に遠ざかっていった。
「......?」
アイヴィスが、僅かに周囲を見渡す。
その表情には、若干の不安が芽生えていた。
「こっちで、合ってるの?」
痺れを切らしたように、彼女は問いかけた。
「ええ」
アッシュは振り返り、何事もないかのように微笑んだ。
「もう少しです」
その言葉が、アイヴィスの胸に芽生えかけた疑念を凪いだ。
「......わかった」
二人はさらに奥へと進む。
建物と建物の隙間。
街灯すらも届かない、薄暗い路地。
人の気配は、もうほとんどない。
______やがて、アッシュは足を止めた。
「......?」
アイヴィスも立ち止まる。
「どうしたの?」
返事はない。
アッシュはゆっくりと振り返った。
「......ここでいいか」
アッシュの瞳が、アイヴィスを鋭く捕らえる。
そこに宿っていたのは、獲物に狙いをつけた捕食者の眼光だった。
「──っ」
______騙された。
そう察した直後、アイヴィスの顔から血の気が引いていく。
アッシュはその様子を気にも留めず、衣服の内側から一本の剣を滑り出す。
「あなた......なにを......!」
問いかけるよりも早く、身体が動いていた。
すぐさま術式を編む。
相手は剣士。
剣士と魔術師の一対一では、魔術を発動できるか否かが全てを決する。
発動さえ叶えば勝ちも同然。
しかし、これだけの接近戦となると、複雑な魔術では間に合わない。
ならば──。
最も短い工程で発動できる、基礎魔術が最適解。
「──‘’ラド‘’!」
魔力が集まり、石弾へと姿を変える。
だが──。
______シュンッ。
刹那の間──空を切る音が、世界を支配する。
アイヴィスの石弾が放たれるより早く、鋭い剣閃が走った。
「かっ......」
アッシュの凶刃が、アイヴィスの喉元を容赦なく刻む。
術式が、途切れた。
「......げほっ!」
喉に血が絡み、呼吸すらままならない。
アイヴィスは激しく咳き込んだ。
鮮血が溢れ、焼けるような痛みが走る。
あまりの苦痛に、彼女は膝をついた。
「──終わりだ」
淡々とした声だった。
アッシュは血の滴る剣を構えなおす。
その顔には、焦りもなければ躊躇もない。
「その傷じゃあ、二度と詠唱は叶わねえだろう」
アイヴィスは、震える手で喉元を押さえた。
何が起きたのか。
どうしてこうなったのか。
頭が追いつかない。
だが、ひとつだけ理解できることがあった。
──殺される。
「ハッ」
アッシュは、そんな彼女を見下ろして。
ゆっくりと、口角を吊り上げた。
その笑みは、もはや人の好さを装っていた先ほどまでのものとはまるで違う。
口元だけが、異様なほどに大きく歪んでいる。
「嬢ちゃん」
愉悦に歪んだ声が、薄暗い路地に響く。
「──バカだなぁ」
それは、ただ罠に気づかず、ノコノコとついてきたアイヴィスへの罵倒──ではない。
仲間を捨ててまで、身分を手に入れようとするアッシュにとって。
仲間のためなら、身分すら捨てられるアイヴィスという女が──心底理解できなかった。
その価値観は、アッシュにとってあまりにも異質だったのだ。
______だからこそ。
彼女の愚かさを、アッシュはただ嘲笑うことしかできなかった。
そのときだった。
「──いたぞ!」
暗闇の向こうから、怒号が響いた。
「......来たか」
アッシュの笑みが、僅かに止まる。
だが、その表情に焦りはない。
まるで、彼らがこの場へ来ることを予見していたかのようだ。
苦悶の中、アイヴィスもまた、声のした方へ目を向けた。
痛みのあまり視界を滲ませながらも、その輪郭を必死に捉えようとする。
一人。
また一人。
そして──。
「......っ!」
その中には、見覚えのある男がいた。
「よお、アッシュ。ケジメつけようじゃねえか」
薄暗い路地裏を、エルマの声が支配した。




