第63話 ならず者をトルソーにしましょう。
「おい、小娘。辺境だからって、タダで店を開いていいと思ってんのか? お行儀よくショバ代を払ってもらおうか」
ボレアス領の新市街。真新しい仕立て屋の採寸部屋に、土足の足音が響く。
ボウイは下劣な笑みを浮かべて、仕立て屋ニーナを壁際に追い詰めていた。ボウイが握る短刀が、鈍い金属光沢を放っている。
「……あの、お仕事を邪魔しないでください。お嬢様のお茶会用のドレスを縫わなければならないのです。とても、いそがしいので」
ニーナは怯える様子もなく、手元のはさみを動かし続けている。王都の修羅場を生き抜いてきた少女にとって、ボウイによる質の低い恐喝は日常茶飯事の雑音にすぎないらしい。
ボウイが舌打ちをして短刀を振り上げる、刹那。
空気が薄くなるような静かな圧が、『ごう……』と部屋を満たした。
薄暗い扉から、漆黒のメイドが音もなく滑り込んできた。
彼女の名はクロエ。黄金色の瞳には、いっさいの光が存在しない。
「不審者を発見。……ですが、お嬢様は『おもてなしの法』を制定なさいました。よって、わたくしたちはメイドとして、徹底的にお片付けする所存ですわ」
「は? メイドが何を――」
不可視の鋼糸『虚空断ちの銀糸』が這い出す。
鋼糸の残像が空間を格子状に切り刻み、ボウイは一歩も動けなくなる。短刀を握った腕、膝、首関節がミリ単位の精度で空間に固定され、文字通りの直立不動へと仕立て上げられていく。
極限の恐怖に耐えきれず、ボウイの股間からじわりと温かい液体が染み出し、床へ滴り落ちようとする。
「お嬢様の視界に、不浄は不要ですわ」
クロエの瞳が冷たく細められた。
懐から取り出した『ボレアス領特産・ハチミツ消臭石鹸』をモップの先に纏わせ、超音速で床を払う。ハチミツの香りが、不浄の気配をむりやり上書きした。
「ニーナ。ならず者をトルソーにしましょう。ちょうど肩幅のデータが足りていませんでしたの」
「わかりました。では、わたくしがベースを整えます」
シュッ、シャッ、チク、チク、チクッ!!
ボウイの顔面のコンマ一ミリ横を巨大な裁ちハサミが音速で往復し、風圧だけで頬の産毛が剃り落とされる。クロエのハサミが切り刻んだのは、ボウイが着ていた薄汚い衣服だ。
粉砕された布地の破片が雪のように舞い散り、ボウイはあっという間に裸のトルソーへと剥き出しにされた。
綺麗に処理されたボウイの体の上に、ニーナがうやうやしく純白の『月光絹』を被せる。
お嬢様用ドレスのフィッティングが始まった。
被せられた月光絹の繊維の奥には、マリーの洗濯でも落ちきらなかった微細な『絶死の呪いの灰』が潜んでいる。
クロエが灰を見極め、はさみの先でパチパチと弾き出す。
「(お嬢様の肌に触れさせるわけにはまいりません)」
「(ええ、一粒残らず回収します)」
横からニーナが魔力遮断のガラス小瓶を構え、宙に舞った灰をコンマ一秒の連携プレイで瓶のなかへ密封していく。採寸部屋の安全は、ふたりのプロのによって鉄壁に担保されていた。
「まあ! みなさん、もうお茶会用のドレスのフィッティングを始めてくださっているのね!」
パチパチと楽しげな拍手の音。
扉が開き、セレスティア様が姿を現した。お嬢様のすぐ背後には、お姉様の前で一分の隙もない気品ある妹分を演じるアリス様が、澄ました笑顔でぴったりと付き従っている。
さらに、試着に同行していた悪役令嬢ヴィクトリア様が、部屋の隅の光景を見て、扇子を取り落としそうになって硬直していた。
「セレスティア! あんたのメイド、生身の人間をドレスの型にしておりますわ!? 」
「ふふっ、ヴィクトリア様。見間違えるのも無理はありませんわ」
お嬢様がモデルに歩み寄る、刹那。
クロエが死角で指先をクイッと動かし、『虚空断ちの銀糸』をマリオネットのように弾いた。
ガクンッ。
直立不動だったボウイの首と腰が強制的に曲げられ、お嬢様に向けて優雅なお辞儀のポーズをとらされる。同時にクロエが喉の筋肉を操作し、無理やり声帯を震わせた。
「(ひぃっ、ご、ごきげんよう……ですわぁ……っ!)」
ボウイの顔面には、ギトギトの脂汗がびっしりと浮かんでいた。クロエが死角から余り布でサッと汗を無音でクレンジングしていく。
「まあ、クロエ。彼が志願してくれたモデルさんなのね! 汗を流して体勢をキープするなんて、なんてお仕事に対するプロ意識が素晴らしいのかしら。」
セレスティア様は両手を合わせ、うっとりと微笑んだ。
本人の強い意思による、誇り高きプロの仕事。頑張る労働者を応援する領主としての評価は、うなぎ登りだ。
「お嬢様。お茶会用ドレスの仮縫いが完了いたしました」
ニーナがうやうやしく、ボウイに被せられたままの純白のドレスを指し示す。
「なんて美しい仕上がりかしら」
セレスティア様が目を輝かせ、ボウイが着ているドレスの裾へ手を伸ばす。
まさに、その刹那。
クロエの『虚空断ちの銀糸』が瞬時にボウイの体を一回転し、傷一つつけずに月光絹のドレスパーツだけをコンマ一秒で回収、縫合。
同時並行で、余り布の純白キャンバス生地をボウイの全身へ音速で巻き付け、ギリシャ彫刻のように気品ある全身白タイツ仕様の『アンダーカバー』を纏わせて固定する。
ボウイの汚汚しい生肌は純白カバーの奥へ一瞬にして隠蔽された。
お嬢様の手が届く前に、神聖なドレスは美しく磨き上げられた純金のハンガーへとうやうやしく掛け直されていた。
セレスティア様は、清浄なドレスの裾へそっと素手で触れる。
「クロエ、ニーナ。ふたりともいつもありがとう」
セレスティア様はふわりと振り返ると、クロエの後頭部を自らの豊かな胸元へと引き寄せ、優しく抱きしめた。
クロエの背中がビクンと跳ねる。
お嬢様のやわらかな温もり。鼻腔を満たす甘い紅茶の香り。
胸の奥底から熱いものが込み上げ、クロエの呼吸が浅く乱れていく。絶対的な忠誠心と卑屈さが混ざり合い、理性の境界線がどろどろと溶け落ちた。
脳髄のいっさいの思考が、尊さの極限熱量によって融解する。
クロエは白目を剥き、蕩けた笑顔を浮かべたままプス、プスと頭から小さな煙を上げて意識を手放した。
「あらあら。立ったまま寝ちゃうなんて、よっぽど一生懸命にドレスを縫ってくれたのね」
よしよしと撫でられる甘い光景のすぐ横。アリス様はお上品で可憐な妹分の微笑み。だが、微笑みの裏側では暗黒なる嫉妬心が放出されていた。
アリス様から放たれる絶対零度の冷気が、採寸部屋の窓ガラスを白く染めていく。
シャン、シャン。
冷気の余波を受け、アリス様の頭上に美しい氷のシャンデリア(つらら)が結晶化して浮遊し始めた。
「ちょ、ちょっとアリス! お茶会が始まる前に、会場に局地ブリザードを召喚してどうしますのーッ!?」
ヴィクトリア様が、ドレスの裾をガタガタと震わせて大声で叫ぶ。
セレスティア様は驚いたように目を丸くし、やがて優しく微笑んだ。
「まあ! アリス、お茶会のために、そんな涼しげで芸術的な氷の魔術演出を考えてくれていたのね!」
***
白く凍りついたガラス窓の向こう。通りを隔てた、共同洗濯場。
洗濯係のマリーは、干し上がったシーツを抱えたまま立ち尽くしていた。
かつて、お嬢様に拾われ、あったかいパンをもらった。恩を返すためだけに、マリーは今日まで生き延びてきた。
めくり上げた前腕の裏側。血管が這う皮膚には、灰色が、すでに手首を越えて腕のなかほどまでじわじわと這い上がってきている。
「……なにさ、これ」
指先の感覚が、冷たく、じくじくと肘に向かって浸食してくる感覚。だが、自分の腕の不調よりも、マリーの胸を締め付けるのは別の恐怖だった。
「お嬢様のために、洗濯をするんだ……」
マリーは、真っ白なシーツをロープへ掛けようと腕を高く振り上げた、刹那。
ガクンッ。
マリーの右の手首から先が、石のよう麻痺して力なく折れ曲がった。
「あ……ッ」
支えを失ったシーツが、地面へと滑り落ちそうになる。
(汚してなるものか……ッ!)
マリーはなりふり構わず身を乗り出し、落下するシーツを全身で受け止める。洗濯オカンの執念。
お嬢様が微笑む、美しい世界の足元。
静かに、しかし狂いなく。愛と呪いのタイムリミットは、一秒ずつ音を立てて削り取られていく――。




