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第57話 大工ガストンの意地と商人魂

 ボレアス領の大工工房。

 広がる乾いた木屑の香り。

 ベテラン職人であるガストンの深い溜め息が、高い天井へと吸い込まれていく。


 難民受け入れに伴う、生活用家具の修繕依頼。

 作業台に山積みにされた、ガタのきた簡素な丸椅子。

 六十代のガストンは、視察に訪れていたメイド長のクロエへ声をかけた。


「おい、メイド長。丸椅子の数が多すぎて手が回らねえ。すこし手伝ってはくれないか」

「メイドの業務に難民用家具の修繕は含まれておりません。にかわで止めるか、床に座ればこと足りるでしょう。ボレアス家の財産と私の時間を浪費させないでください」


 冷淡極まる対応。

 氷の冷たさ。

 ガストンが「冷たい女だ」と呟いた、まさにその瞬間だった。

 工房の見習いが、青ざめた顔で駆け込んでくる。


「た、大変です! セレスティアお嬢様が中庭で愛用されている椅子の脚が……石畳との摩擦で、一ミリほど摩耗しています!!」


 ピタッ。

 クロエの動きが、一歩も動かない彫像のように停止した。

 次の瞬間、メイド長の姿が工房内から掻き消える。

 音もなく中庭へ急行。

 愛用の椅子を確保。

 コンマ一秒の間に工房へ帰還。

 白磁の指先には、精巧で鈍く光る特殊な金属ヤスリが握られていた。


 シュバババババババッ。


 耳を劈く摩擦音が工房に響き渡る。

 クロエは暗器であるヤスリを凄まじい速度で操り、摩耗した脚だけでなく、他の三本すらもミリ単位で均し始めた。

 舞い散る木屑。

 削り出された脚の先端は、光を反射して真珠のように滑らかに輝き、水平を保っている。


「……完成です。お嬢様が座られた際の体感ストレスは最小限に抑えられます」


 ガストンは絶句した。

 木肌の性質を捉え、刃を当てる角度、力加減、すべてが美しく揃っている。

 六十年の職人人生で積み上げた誇りが、静かに、しかし確実に火を噴いた。


「……負けられん。小娘に、大工の意地を見せてやらねばな」


 ガストンは防護用のエプロンをきつく締め直し、愛用ののみを手にする。


「……クロエ殿。お嬢様の玉座、すこしばかり仕上げが甘いんじゃないか?」

「私が修正した箇所に、不備など存在しません」

「ならば、限界突破の美しさを証明してみせよう」


 騒ぎを聞きつけたセレスティアが、冷たいレモネードを持って現れた。


「あらあら。ガストンさん、クロエ。切磋琢磨して素晴らしいわね」


 微笑むセレスティア。

 その瞬間、クロエとガストンの間に流れる空気が、一段階深く沈み込んだ。

 二人はもはや、大声で技名を叫ぶような野暮な真似はしない。

 お嬢様の御前。

 見苦しい騒音など立てられるはずがない。


『(……一秒たりとも、醜い過程をお見せするわけにはいきませんわ)』

『(……見とけよ小娘。六十年の魂、音を殺したカンナ掛けだ)』


 無音。

 しかし、作業速度は常軌を逸していた。

 クロエの指先で極細の鋼糸が陽炎のように揺らぎ、ガストンの分厚い手がブレるたびに、絹糸のような鉋屑が音もなく宙に舞う。

 静かなる神業の応酬。

 お嬢様の玉座を美しく仕上げた後も止まらず、作業の余波は周囲に積まれていた新領民用の丸椅子へと向けられた。


 ほんの数分の間に。

 工房の前には、装飾こそないものの、一切の継ぎ目がない球体の脚と、吸い付くような座り心地を実現した規格外の丸椅子の山が、静かに築き上げられていた。


 同時刻。

 ボレアス領、新市街の広場。

 王都から馬車を飛ばしてきた大陸商業ギルドの幹部、ルチアーノは、いやらしい笑みを浮かべていた。


『(フフフ。急な難民の受け入れで、家具が圧倒的に不足しているはず。王都で二束三文で買い叩いた粗悪な端材の家具を、十倍の価格で売りつけて大儲けしてやる!)』


 足元を見る気満々で広場に足を踏み入れた悪徳商人のルチアーノ。

 しかし、歩みがぴたりと止まった。


 新しくボレアス領の「家族」として迎え入れられた新領民たちが、焚き火を囲んで談笑している。

 座っているのは、簡素なデザインの丸椅子。

 だが、ルチアーノの商人の目が、椅子の異常性を即座に見抜いた。


「な、なんだ目の前の椅子は……ッ!?」


 ルチアーノはたまらず一人の新領民、元農夫のトーマスに声をかけ、椅子を覗き込んだ。

 懐から鑑定ルーペを取り出し、木目と接合部を確認する。


『(釘を一本も使わず、木材の膨張率だけで噛み合わせる神代組み……!? いや、表面の滑らかさは王宮の宝物庫の彫刻すら凌駕している! なぜ、ただの農夫が国宝級の美術品に座っているんだ!?)』


「おい、お前! 見事な椅子、一体どこから手にいれた!?」


 血相を変えて尋ねるルチアーノに、トーマスは不思議そうに胸を張った。


「手にいれたも何も、我が領のメイド長と大工のガストンさんが、俺たち新しい家族のために作ってくれた歓迎の椅子だ。ボレアス領じゃ、今の品質が最低基準なんだよ」


 誇らしげに語るトーマスの言葉に、ルチアーノは雷に打たれたように硬直した。


『(神代組みのクオリティが、最低基準だと……!?)』


 ルチアーノは振り返り、自身の荷馬車を見た。

 積まれているのは、にかわで無理やりくっつけた、ガタガタの粗悪な家具たち。

 完璧な椅子が当たり前の顔をして並んでいる領地で、持ち込んだゴミを売りに出せばどうなるか。


『(大恥をかくどころではない。商業ギルドの幹部としての信用が奈落の底へ沈む……ッ)』


 普通の小悪党なら、己の浅はかさを恥じて逃げ帰る。

 だが、ルチアーノは伊達に大陸の商業ギルドで幹部まで登り詰めた男ではない。

 胸の奥底で、商人としてのどす黒い欲望が猛烈に沸き立った。


「おい、お前ら! 荷馬車の家具に幌を被せろ! 持ち込んだゴミ、絶対に誰の目にも触れさせるな!」


 部下に鋭く指示を飛ばすと、ルチアーノは瞬時に商人の作り笑いを顔に貼り付け、トーマスの手を両手でガシリと握りしめた。


「素晴らしい! 素晴らしい領地ですな!!」

「な、なんだあんた、急に……」

「トーマス様! 丸椅子、いや、ボレアス領で生産される日用品の『独占輸出権』……どうすれば手にいるか、ご存知ありませんか!? どんな条件でも、いくら積んででも構いません!!」


 ルチアーノの目は、血走ったドル袋のようになっていた。


『(異常なクオリティの家具を『ボレアス・ブランド』として他国に卸せば……王侯貴族どもが財産を投げ打ってでも買い漁るぞ! 粗悪品で小銭を稼いでいる場合ではない! 私はボレアス領に食い込み、莫大な富を築いてみせるッ!)』


「さあ! 領主様か、メイド長様のところへ案内してください! 商人人生のすべてを懸けて、商談をさせていただきたい!!」


 鼻息を荒くしてすり寄ってくる王都の豪商に、トーマスたち新領民は「変な商人が来たぞ」とドン引きして後ずさる。


 メイドと職人の静かな意地の張り合い。

 王都の商人の魂に火をつけ、ボレアス領を経済の中心地へと押し上げる巨大なうねりを生み出した瞬間であった。

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