第53話 呪いの手枷で、三人羽織の特訓ですわ。
うららかな午後の陽光が差し込む、ボレアス領主邸の執務室。
デスクの前には、目の下に真っ黒なクマを作った筆頭事務官のレイヴンが立っている。
分厚い羊皮紙の束を抱え、胃のあたりをさすりながら報告を続けていた。
「――以上が、先日裏社会のギルドから押収した違法魔道具の目録となります」
「ご苦労様。相変わらず仕事が早いわね」
微笑みかけると、レイヴンの血走った三白眼がわずかに潤む。
徹夜続きで疲労の限界を迎えているはずなのに、背筋を伸ばし「御意に」と深々と頭を下げてくれた。
ほんとうに、ボレアス領の職員は真面目で働き者ばかりだ。
ふと、木箱のなかに銀色に鈍く光る、鎖のついた奇妙な装飾品があるのに気がついた。
中央に大きなリングがあり、そこから左右に鎖が伸びて、小さな手枷に繋がっている。
「あら。ずいぶんきれいな細工ね」
「お待ちくださいお嬢様! それは呪いの――」
レイヴンの悲鳴のような制止が届くより早く、私は呪いの手枷を手にした。
まず中央のリングに、自分の両手首を揃えて通す。
カチャンと小気味よい音がして、私の両手は祈るようなポーズで吸い付くように固定された。
続けて、お茶を淹れるために控えていたアリスさんとクロエの手を引き寄せ、左右の手枷をはめ込む。
瞬間、銀色の金属が脈打つように赤黒く発光し、三人の手首にピタリと吸い付いた。
「……えっ?」
繋がれた鎖を引っ張ってみても、びくともしない。
レイヴンが淡々と説明を補足する。
「それは『永遠の愛を強要する呪いの手枷』です。いったんはめたら最後、対象同士を物理的につなぎ留める特級呪物。しかもお嬢様はご自身の両手を中央で拘束してしまわれたため、ご自身では指先ひとつ自由に動かせません……!」
「呪いの、手枷……」
自由を奪われた自分の両手と、そこから二人に伸びる鎖を見比べ、私はポンッと納得の声を上げる。
「なるほど! だったらちょうどいいわね」
私はソファにかけてあった特大のベルベットのマントを顎でしゃくると、三人の肩からガバッとすっぽり被せてもらった。
「これで準備完了よ。つまりこれは、大きなマントのなかであなたたちが私の『両腕』となり、熱々のスープを飲ませてくれる『三人羽織』の特訓アイテムね!」
「……はい?」
「私自身は両手が使えないのだから、あなたたちの連携がすべてよ。究極の連帯感が試される、すばらしい矯正器具だわ!」
明るく告げると、レイヴンは「お嬢様がそう仰るなら……」と後ずさり、逃げるように執務室をあとにしてしまった。
残されたのは、一つのマントにくるまれ、鎖で繋がれた私たち三人だ。
「さあ、まずは熱々のコンソメスープをいただくわ」
マントの下で、私の指示が飛ぶ。
「クロエは右手とアリスさんは左手で、両側からスープボウルを持ち上げてちょうだい。こぼさないように、少しずつ私の口元へ運ぶのよ」
「は、はいっ……!」
「かしこまり、ました……ッ」
二人が息を合わせてボウルを持ち上げようとする。
しかし、二人が腕を動かすたびに鎖がピンと張り、中央で拘束されている私の両手もマリオネットのように力なく空中へ引っ張り上げられてしまう。
私の両手がマントのなかでぶらぶらと揺れる、なんともシュールな空間だ。
二人の手が小刻みに震えながら、なみなみと注がれた熱いスープを私の唇へ寄せる。
「んっ……おいしいわ」
ふわりと傾いたボウルからスープが少しこぼれ、私の胸元がわずかに濡れた。
これも修行の一環である。
ふと横を見ると、アリスの黄金色の瞳が、かつてないほど恍惚とした光を放っていた。
『(ああ……っ! お姉様の自由を奪い、お姉様の御手ごと操って、私が食事を直接注ぎ込むなんて……ッ! 主導権を握りつぶしたこの絶対的支配と依存の形! 私とお姉様は今、真の完全生命体として同化しているのです!)』
光の聖女としての傲慢な自己肯定感が、あさっての方向へ暴走している。
「あはぁっ……」と甘い吐息を漏らし、アリスの鼻からは赤い線がツーッと垂れ、至福の笑みを浮かべていた。
一方のクロエは、漆黒の瞳を極限まで見開き、カタカタと奥歯を鳴らしている。
『(お嬢様の両腕を縛り上げ、あろうことか神聖なお胸に熱いスープをこぼすなど、メイドとして万死に値する大罪……! 私は生きていてはいけないゴミ! 今すぐ自分の腕を根元から切断してお嬢様を解放せねば……ッ!)』
しかし、少しでも乱暴に動けばお嬢様が鎖で引きずられてしまうため、微動だにできないジレンマに苛まれていた。
「キャパシティ、超過……私はただの無機物……ただの銀食器です……」
ついに、クロエの頭頂部からプシューッと高熱の蒸気が噴き出した。
「あらあら。クロエは代謝がいいのね。アリスさんもお鼻から血が出ているわ」
そして、この特訓における最大の難関が訪れた。
「少し、お花摘みに行ってくるわね」
「「…………っ!?」」
手はおろか指先すら使えない私は、当然一人では何もできない。
狭いお手洗いの個室に、マントを被ったまま三人で入らざるを得なかった。
大理石の冷たい壁に囲まれた密室。
「さあ。あなたたちの手で、私のドレスの裾を持ち上げてちょうだい」
アリスの瞳孔が、限界まで開ききった。
『(お姉様の、もっとも神聖で無防備な儀式を、すべてこの手でお世話する特等席……ッ! ああ、私は神に祝福されていますぅぅっ!)』
ブハァッ!
アリスの鼻から噴水のような勢いで鼻血が吹き出し、大理石の床を赤く染め上げる。
クロエは己の存在そのものを許せず、ついに限界を突破していた。
『(お嬢様のプライバシーを侵すなど、私は汚物以下のダニ……ッ! 見てはいけない、聞いてはいけない、触れてはいけない……ッ)』
パーンッ! と眼鏡が粉々に砕け散り、クロエは直立不動のまま白目を剥いた。
「もう。二人とも、狭いところは苦手なのね」
私は換気扇のスイッチを入れるよう指示を出しながら、優雅に用を足した。
その後も、三人羽織での就寝準備、歯磨き、寝返りの練習など、地獄のような連帯感特訓は夜通し続いた。
***
翌朝。
魔力切れを起こした手枷が、カチンと音を立てて外れた。
一晩中続いた拘束から解放された瞬間、幸福感と極限のストレスの反動で、二人の肉体は崩壊した。
ドロドロに溶け、ピンク色と漆黒のマーブル模様をしたスライム状のゲルとなって床へ広がっていく。
執務室のドアを開けたレイヴンが、寝室へ通じる奥の扉越しにその光景を目撃した。
巨大なベッドの上から床にかけて、不気味にうごめく二色の粘液がぶちまけられている。
その中心で、私は笑顔でモップを握り、バケツに集めた粘液をゴシゴシと掃除しているところだった。
「おはよう、レイヴン。二人ともチームワークを高めすぎて、スライムみたいに柔らかくなっちゃったのよ」
バケツのなかの粘液は、モップで力強く擦り洗われるたびにぶくぶくと歓喜の震動を繰り返している。
『(お、お姉様に……モップで、全身を力強く、ゴシゴシと擦り洗われているぅぅぅッ!! 幸せの極み……ッ! 泡吹いて死んじゃいますぅぅっ!!)』
『(お嬢様の持つモップの繊維の一本一本が、私の細胞の奥深くまで……ッ! 私は今、お嬢様と物理的に融合を果たしていますわ……ッ)』
バケツから漏れ出る、スライムどもの恍惚の叫びと桃色の泡。
レイヴンは中指で銀縁眼鏡をスッと押し上げながら、その指先を激しく痙攣させた。
『(……見なかったことにしよう。本日のスケジュールに、正体不明の粘液の清掃、および痴話喧嘩の片付けは含まれていない)』
一切の感情を殺したまま、冷徹な事務官は音もなくドアを閉め、自らのデスクワークへと静かに戻っていく。




