第50話 お役所ごっこをしました。
旧王都からボレアス領の領主邸へ帰り着いた私たちは、まっすぐ執務室へと向かった。
「ただいま。おるすばん、ご苦労様ね」
重厚な扉を開けた目に、異様な光景が飛び込んでくる。
執務机の上では、特大のくまのぬいぐるみであるハミィが、ブルブルブルッ! と激しく震動しながら、頭をガチャン、ガチャンと書類へ打ち付け続けていた。
並んで、真っ白な仔犬のシロが、ハミィの頭が過熱して燃え尽きないよう、ハミィの首元に必死にしがみつきながら、冷たいブレスを吹きかけ続けている。
「まあ!」
私はパチンと手を打って、満面の笑みを浮かべた。
「ハミィといっしょに『お役所ごっこ』でお出迎えしてくれているのね! とってもかわいいわ!」
過労でヘトヘトなペットたちの姿が、微笑ましいお出迎えの遊戯にしか見えない。
「私も社長さん役で混ぜてちょうだい!」
上機嫌で執務机の中央、一等の革張りチェアに腰を下ろす。
「さあ、誰か私に決裁してほしいお願いはあるかしら?」
無邪気に問いかけた、瞬間。
バサァァァンッ!
アリスとクロエは分厚い『公式要望書』の束を抱え、私の左右にぴったりと張り付いていた。
「お姉様。『二十四時間密着型・魔力同期の件』につきまして、至急ご承認を……っ」
アリスが書類を差し出しながら、右耳に顔を寄せる。
壊れてしまいそうなほど華奢な肩が私の二の腕にそっと寄り添い、花のように甘い吐息が耳たぶを直接くすぐる。
上目遣いの潤んだ瞳が、至近距離で見つめてきた。
「お嬢様。『入浴から就寝までのエスコート権の件』、詳細のご確認をお願いいたしますわ」
左側からは、クロエが私の太ももへそっと手を滑り込ませた。
「スカートの裾が乱れておりましたので」と囁きながら、ガーターベルトの際をなぞる冷たくも滑らかな指先。
首筋に顔を寄せられ、背筋に甘い痺れが走る。
「ふふっ、二人とも熱心でよい企画ね」
左右から迫るアリスとクロエの頭を、やさしく撫でた。
さらさらとした髪の感触。
指先が地肌に触れるたび、アリスとクロエの口から「あはぁっ♡」「んんっ……」と、とろけるような熱い吐息がこぼれ落ちる。
甘い香りと柔らかな感触に、私はうっとりと目を閉じた。
――しかし、机の下の死角では。
私が座ったことで視界から外れたハミィが、裂けた腹から毒々しい色の綿を触手のように展開し、シロと協力して書類をさばき始めていた。
『おい、犬と綿屑。今すぐ稟議書に特例承認のハンコを押しなさい』
『コンマ一秒でも遅れたら、細胞一つ残さず消し炭にして差し上げますわ』
私の頭を撫でる手つきに骨抜きにされながらも、クロエとアリスから殺気が放たれる。
普段であれば、恐怖に血の涙する場面。
だが、シロとハミィの瞳には、ギラギラとした光が宿っていた。
終わらない激務、そして理不尽な暴力。
極限のストレスを突き抜け、ペットたちの脳内に未知の麻薬物質が分泌され始めていたのだ。
『(ワンッ!=遅い遅い! もっと稟議書を出せ! 究極の有能さをご主人様に見せつけるんだ!)』
シロが三本のハンコを口と両前足で構え、マッハの速度で乱れ打ちを始める。
ハミィも数十本の綿の触手で机の下で書類を仕分け、異常な速度で裁いていく。
ガチャンガチャンガチャンガチャンッ!!
そればかりか、シロはアリスたちの書いた『公式要望書』の誤字脱字を勝手に赤ペンで修正し、ハミィが「費用対効果が不明瞭」と付箋を貼って差し戻し始めた。
『な、何ですの、この畜生ども……っ! 仕事が、仕事がはやすぎて、逆に気味が悪いですわ……!』
『……ば、馬鹿な。処理速度が想定の限界値を超えています。……お嬢様のメイドである私ですら、恐怖を覚える手際でございますわ……っ』
あまりにも異常な処理速度を前に、脅していたはずのアリスとクロエの手元が、音もなくカタカタと細かく震え出す。
そこへ、五百人の難民の案内を終えてへとへとになったヴィクトリア様が、執務室の扉をバァンと開けてなだれ込んできた。
「セレスティア! 難民たちの居住区への案内が、ようやく終わりましたわ……ってもう一歩も動けま――って、お昼間からなんて破廉恥な……! って、犬とぬいぐるみ!? なんであんたたちが白目を剥いてハンコを連打してますのーーッ!? ……はっ、でも悔しいけれどあのモフモフ感、最高にかわいいですわーーッ!!」
ヴィクトリア様の魂のツッコミも、甘々スキンシップとハンコの爆音にかき消され、私の耳には少しも届かない。
「あぁん……もう、アリスもクロエもくすぐったいわぁ……」
「「お姉様(お嬢様)……しゅきぃ……ッ!」」
ガチャンガチャンガチャンッ!!
甘やかなスキンシップと凄惨な打刻音が入り交じる混沌のオフィスで、今日もボレアス領の決裁ラインは、異常な速度で回り続けている。




