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第5話 国を滅ぼしたバカ王子が「俺を助けろ」と逃げてきました。

 その日、辺境の私たちの白亜の豪邸に、一台の薄汚れた馬車が転がり込んできた。


「セレスティア! アリス! いるのだろう、早く出迎えんか!」


 玄関ホールに土足で踏み込んできたのは、ひび割れた鎧をまとい、顔を泥と疲労で歪ませたエドワード殿下だった。かつてのきらびやかな面影は見る影もない。


「……何の御用でしょうか、エドワード『元』殿下」

 私が冷ややかに見下ろすと、エドワードは血走った目で私を睨みつけた。


「元だと!? 貴様、王太子に向かって不敬であろう! 王都は魔物に落とされた! だが、お前のその実務能力と、アリスの聖女の力があれば、この辺境を新たな王都として再起できる! さあ、俺のために働け!」


 ……ああ、やはりこの男は何も分かっていない。

 私は手に持っていた書類ボードを軽く叩き、氷のような声で告げた。


「お言葉ですが。現在の王国の国庫はすでに底を突き、領土の八割が魔物の手に落ちたと報告を受けております。つまり、あなたにはもう何の権力も、価値もありませんわ。負債しか残っていない『滅亡した国の王族』など、この豊かなボレアス領には一歩たりとも入れるわけにはいきません」


「な、なんだと……!? 俺を誰だと思っている!」

「ただの不法侵入者です」


 正論と事実で完全に切り捨てられ、エドワードはわなわなと震え上がった。

 そして、私の背後に隠れるように立っていたアリスを見つけると、すがるように手を伸ばした。


「そ、そうだアリス! お前は俺を愛しているだろう!? この冷酷な悪女に脅されているんだな!? さあ、俺と一緒に——」


「ひっ……!」


 アリスは悲鳴を上げ、私の背中に強くしがみついた。ガタガタと小刻みに震え、瞳には涙が浮かんでいる。


「いやっ……来ないでくださいっ……! また私を、あの冷たいお城に閉じ込める気ですか……! お願い、お姉様、助けて……っ!」

「アリスさん! 大丈夫です、私が守りますから!」


 私はエドワードの汚い手を扇でパチンと弾き飛ばし、アリスを抱き寄せた。

 ……なんて卑劣な男なの! トラウマで震えるこの可憐な少女に、まだ無理を強いるなんて!


「アリスに触れるな! さっさと出て行きなさい!」

 私が語気を荒らげた、その瞬間だった。


 私の胸に抱かれながら。

 アリスは、私には絶対に見えない角度で、エドワードの顔を真っ直ぐに見据えていた。


 エドワードの視界の中だけで、アリスの『純真な涙』がスッと消え失せた。

 代わりに現れたのは、這い寄る混沌のような、底知れぬ狂気と嘲笑のグラデーション。


 アリスは声帯を震わせず、エドワードの脳内に直接『念話』を叩き込んだ。


『——本当に愚かな男ですね。気付いていませんでしたか?』

「な……っ!?」

『私があなたに虐められているように見せかけたのも、嘘の涙を流したのも、全部私が仕組んだことです。セレスお姉様をこの辺境へ連れ出し、二人きりの楽園を築くために、あなたが勝手に勘違いして国を滅ぼすよう誘導してあげたんですよ?』


 エドワードの顔から、一気に血の気が引いた。


『あなたには本当に感謝しています。最高のピエロでしたよ。さあ、用済みです。私の愛するお姉様の視界から、永遠に消え失せなさい——ゴミが』


 アリスの瞳の奥で、膨大な光の魔力がドス黒く渦巻く。

 その圧倒的な死の気配と、自分が見ていた『真実』がすべて彼女の自作自演であったという絶望に、エドワードの精神は完全に崩壊した。


「あ……ああ……あ、アアアアアアアアッ!?」


 エドワードは発狂したように叫び声を上げると、自らの頭を掻きむしり、馬車にも乗らず、這うようにして荒野へと逃げ去っていった。

 二度と、正気に戻ることはないだろう。


「……何だったのかしら、突然叫び出して。やはり王都を失って気が触れてしまったのね」

「怖かったですぅ……お姉様ぁ……」


 エドワードの姿が見えなくなった瞬間、アリスは再びうるうるの仔犬の瞳に戻り、私の胸に顔をスリスリと擦り寄せてきた。


「もう大丈夫ですよ。さあ、美味しい紅茶を淹れましょうね」

「はいっ♡ お姉様のお紅茶、だぁいすきですっ!」


 かくして、王国の完全な崩壊と引き換えに。

 勘違いを極めた悪役令嬢と、国を滅ぼしてまで愛を手に入れたヤンデレ聖女の、絶対無敵で甘々な辺境スローライフが、永遠に続くのだった。

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