第41話 不死属性……なるほど、永久バーベキュー機関ですね。
『ギルルルルルルゥゥゥゥウウウウッッ!!!』
鼓膜だけでなく、内臓そのものを震わせるような悍ましい咆哮が地下シェルターに響き渡った。
天井に空いた巨大な大穴から首をもたげたのは、赤黒い瘴気を纏った巨大な竜。
全身を覆う鱗はマグマのように明滅し、その隙間からは高熱の蒸気が噴き出している。
ぽたりと滴り落ちたドラゴンの涎が石畳に触れた瞬間、ジュゥゥッという音と共に分厚い岩盤が飴のように溶け、穴を開けた。
「ひ、ひぃぃ……っ!?」
「あ、あああ……」
ガシャァン! パリンッ!
さっきまで安堵の涙を流しながらお茶を飲んでいた周囲の貴族や難民たちの手から、次々とティーカップが滑り落ちる。
誰も悲鳴すら上げられない。圧倒的な死の象徴を前に、腰を抜かしてその場にへたり込み、ただガタガタと歯の根を鳴らしている。
マダム先生でさえ、再び王女殿下の上に覆い被さり、泥だらけのドレスごと震えていた。
ドラゴンの喉の奥で、太陽のような極大の高熱源が圧縮されていく。
この閉鎖空間でブレスを吐かれれば、シェルターごと全員が炭化して消滅する。その絶対的な死の予感が、空間の酸素を奪い取っていた。
「……あら?」
私は、テーブルクロスの上の埃をハンカチで払いながら、その巨大な赤いトカゲを見上げた。
「誰かが火起こし用のストーブを呼んでくれたのかしら。少し大きいけれど、気が利くわね」
「なんでそんな呑気なんですのーーーッ!?」
私の背後にいたヴィクトリア様が、涙と鼻水を撒き散らしながら絶叫した。
パニックになった彼女は逃げ出そうとして自らのドレスの裾を踏みづけ、すってんころりんと私の前に転がり出る。
『グルルルルルゥゥゥッ!!』
その瞬間、ドラゴンが標的を定めたかのように、ヴィクトリア様に向かって極太の高熱ブレスを放った。
空気が爆発的に膨張し、紅蓮の炎が彼女の体を飲み込もうと迫る。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ヴィクトリア様が両手で顔を覆い、しゃがみ込んだ。
――ぽよんっ。
「……へ?」
『……ガ?』
炎がヴィクトリア様の背中……正確には、先ほどのスパルタ・エステによって未知の弾力へと再構築された『極限のマシュマロボディ』に直撃した瞬間。
まるでバランスボールに弾かれたように、綺麗なV字軌道を描いて天井の穴へと跳ね返っていった。
「な、なんでわたくし、ドラゴンのブレスを弾いてますの!?」
ヴィクトリア様本人が一番理解できていない顔で自分の体をペタペタと触っている。
ドラゴンも「自分の攻撃が、この謎の柔らかい生物に無効化された」という事実にショックを受けたのか、虚無の表情でブレスを連発し始めた。
ぽよん、ぽよーん、ぽい〜ん。
放たれる熱線はことごとくヴィクトリア様のふくよかさに反射され、明後日の方向へと飛んでいく。
数分後。息切れを起こしたドラゴンは、ゼェゼェと肩で荒い息を吐きながら床に突っ伏した。
「……万死。お嬢様のティータイムに埃を降らせたばかりか、騒音と熱気を撒き散らすなど」
「メインディッシュの準備をしましょう。バーベキューのお時間です」
疲労困憊のドラゴンの前に、アリスとクロエが滑り出た。
二人の姿がブレた直後、ドラゴンの巨体が空中で『最高級のブロック肉』へと三十等分に解体される。血の一滴も飛ばさない、コンマ一秒の神業だった。
「ひっ……!?」
モブ貴族たちが別の意味で悲鳴を上げる。
だが、次の瞬間。
空中に散らばったブロック肉がドクドクと脈打ち、瞬時に集まって、再び巨大なドラゴンの姿へと戻ってしまったのだ。
「ほう。不死属性ですか」
「……なるほど。何度切っても再生する。つまり、無限に肉が採れる『永久バーベキュー機関』ということですね」
アリスとクロエの目の色が、狂気的な歓喜に染まる。
そこから先は、地獄の無限解体ショーだった。
斬る、戻る、斬る、戻る。
ドラゴンは生きたまま極上の薄切り肉にされ続け、その激痛と恐怖に涙を流しながら再生を繰り返した。
しかし、異変はすぐに起きた。
「……お姉様。申し訳ありません」
数百回目の解体を終えたアリスが、銀のトレイを片手に申し訳なさそうに私の元へやってきた。
「どうしたの?」
「このトカゲ、不死ではあるのですが……『切った肉の質量分だけ、再生するたびに本体が縮む』というケチくさい仕様だったようです。本日の食材は、これにて打ち止めかと」
アリスが視線を向けた先。
そこには、もはや『中型犬サイズ』にまで縮んでしまったレッドドラゴンの姿があった。
ミニチュアドラゴンは、アリスの包丁を恐れるようにガタガタと震えている。
「あら、もうお肉はおしまい? せっかくのバーベキューなのに、途中で縮んでしまうなんて、不良品の火起こし係ね」
私が不満げにため息をついた、その時だった。
『ギ、ギィィィィィィィィィッッッ!!!』
中型犬サイズにまで縮小したドラゴンが、突如として、血を吐くような凄絶な咆哮を上げた。
その体から、先ほどまでの巨体時すら上回る、異常なほどの赤黒い瘴気が噴き出し始める。
「チッ……! 己の命と残存魔力を全て燃やし尽くし、自爆覚悟のブレスを放つ気ですか……!」
クロエが舌打ちと共に双剣を構える。
ドラゴンの喉の奥で、周囲の空間が歪むほどの超高熱が圧縮されていく。
先ほどの比ではない。
放たれればシェルターの岩盤ごと、文字通りすべてを蒸発させる『滅びの極大ブレス』。
圧倒的な熱波が、凄まじい勢いで地下空間を包み込み始める。
中型犬サイズに縮んだはずの赤い竜の喉奥で、白く輝く極小の『太陽』が圧縮されていく。
「お姉様、危険です! 我が全魔力を以て、絶対防壁を展開します!」
「お嬢様の髪の毛一本、ドレスの糸くず一ミリたりとも焦がすわけにはいきません……ッ!」
アリスが純白の祈りを捧げ、クロエが双剣を地面に突き立てた瞬間。
私の座るティーテーブルを中心とした半径一メートルに、幾重にも重なる半球状の光の結界が展開された。
直後。
竜の口から、音もなく『白い熱線』が解き放たれた。
それは、もはや炎などという生ぬるいものではない。
旧王都を一夜にして蒸発させたという、圧倒的な滅びの熱量。
防壁の外側では、分厚い石造りの床や柱が、熱波に触れた端からドロドロのマグマへと変貌していく。
ジュゥゥゥッ……!
壁が溶け落ちる不気味な音と、鼻を突くような焦げ臭さがシェルター内に充満する。
「あ、ぁぁ……っ、息が……」
「熱い、熱いっ……!」
絶対防壁の外に取り残されたヴィクトリア様やマダム先生、そして難民たちが、次々とその場に倒れ伏した。
極度の高熱によって空間の酸素が一瞬で燃え尽き、彼らは喉をかきむしりながら、絶望の涙を流している。
メイドたちの防壁は『私を守ること』のみに全力を注いでおり、もはや外の人間を助けに出る余裕すら残されていないのだ。
「……あら?」
私は、安全な結界の中でティーカップを置き、ふうと短いため息をついた。
「今日の火起こし係は、随分と火力を強くするのね。これではせっかくの焼き菓子がパサパサになってしまうし、何より、乾燥して私のお肌に悪いですわ」
私は日傘の代わりに手元にあった扇子を広げ、立ち上がった。
「お姉様!? 外は危険です! 岩盤すら蒸発する熱波で——」
「少し、風を入れてきますわね」
アリスの悲痛な叫びを背に受けながら、私は光の防壁をすっと通り抜けた。
――バチバチバチッ!
外に出た瞬間、髪を焦がすような熱風が吹き付けてくる。
だが、幼い頃から最高級の魔力教育を受け、王都の厳しい環境を生き抜いてきた私にとって、この程度の熱気は『真夏の少し日差しが強い日』となんら変わらない。
私は優雅に扇子を扇ぎながら、ドロドロに溶けた岩盤の海を、ドレスの裾を少しだけ持ち上げて軽やかに歩いていく。
「ひぃっ!? セレス、ティア様……!? だ、駄目です、死んでしまいますわ!」
床に這いつくばったヴィクトリア様が、かすれた声で私に手を伸ばす。
私は彼女に微笑みかけると、そのまま熱線を吐き出し続けている竜の真正面へと立ち塞がった。
『ギ、ギィィィィィィィィィ——ッ!?』
竜が、白く輝くブレスを放ちながら、信じられないものを見るように眼球をひきつらせた。
極大の熱線を真正面から浴びているというのに。
私のプラチナブロンドの髪は一本も焦げず、ドレスには焦げ跡すらつかない。ただ、熱風に煽られて優雅になびいているだけだ。
「少し、火力を下げなさいな。お肉が焦げてしまうでしょ?」
私は扇子をパチンと閉じると。
その硬い竹の骨で、熱線を吐き出している竜の鼻先を、
――ペチッ。
と、軽く叩いた。
『……………………ガ?』
竜の喉奥から溢れ出ていた極大の熱線が、ピタリと止まった。
その紅蓮の瞳に浮かんでいたのは、凶暴な殺意や、自爆すら辞さない狂気ではない。
食物連鎖の頂点に立つ『絶対的な捕食者』を前にしてしまった、哀れな小動物の絶望だった。
竜はガクガクと全身の鱗を震わせると、ゴクンッ、と喉の奥に残っていた自爆用の熱線を、自らの腹の中へと無理やり飲み込んだ。
『キャ、キャンッ……!』
旧王都を滅ぼした最強の魔獣が、情けない犬のような鳴き声を上げる。
竜はそのまま私に向かって平身低頭にひれ伏すと、自らの尻尾を噛みちぎり、銀のトレイの上へと恭しく差し出した。
「あら、ようやくお肉の準備ができたのね」
私が頷くと、竜は「これ以上、絶対に再生してたまるものか」とばかりに気合いで切断面を焼き固め、自らの不死属性をねじ伏せた。
そして、トレイの横にちょこんと丸まると、チロチロと絶妙な弱火のブレスを吐き出し、自らの尻尾肉を丁寧に焼き始めたのだ。
「ふふっ。ようやく火加減のコツを覚えたようね。えらいわ」
私は竜の頭を優しく撫でてやりながら、完璧な卓上コンロへと転職したトカゲさんの働きぶりに満足げに微笑んだ。
「…………え?」
熱波が引き、徐々に呼吸を取り戻したヴィクトリア様やマダム先生が、その光景を見て間の抜けた声を漏らす。
旧王都を一夜で蒸発させた絶望の竜が、尻尾を振って愛想を振りまきながら、自らの肉を弱火でミディアムレアに焼いている。
理解の範疇を完全に超えた宇宙の真理を前にして。
ヴィクトリア様も、マダム先生も、貴族たちも。
全員がぽかんと口を開けたまま、一切の身動きを止めて硬直するのだった。




