第39話 シェルターが破られました。
アリスとクロエの放った攻撃が、ヴィクトリア様の豊かなマシュマロボディに弾き返される。
ズガァァァァァンッ!!
小部屋の中で物理的に鼓膜を殴りつけるような轟音が鳴り、同時に、分厚い石造りの天井から白い漆喰の粉がパラパラと降ってきた。
「あらあら、天井の埃まで落ちてきてしまったわ。ヴィクトリア様の綺麗なお髪が汚れてしまうじゃない」
私はヴィクトリア様のふかふかの胸元から顔を上げ、そのお髪に落ちた粉を優しく手で払う。
パリンッ……!
すると今度は、小部屋の外から薄い氷が割れるような甲高い音が響き、悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「あら、外も騒がしいわね。ご近所トラブルかしら」
私はヴィクトリア様から離れ、小部屋の重厚なドアをガチャリと開けた。
視界に飛び込んできたのは、細かい亀裂が無数に走り、いまにも砕け散ろうとしている巨大な氷の結界だった。
「ぐっ……、もたせ、なさいっ……!」
出入り口の最前線。
結界の要であるマダム・ジョセフィーヌが、歯を食いしばりながら両手で杖を握りしめている。
トレードマークである豪奢な羽根つき帽子はひしゃげ、額からは脂汗が滝のように流れていた。
ピキリ、と杖の宝玉に致命的な亀裂が走る。
パリンッ。
薄い飴細工が割れるような、ひどく軽快な音と共に防壁が消失した。
『グゥルァァァァアアアッ!!』
鼓膜を裂く咆哮。
土埃と、鼻が曲がるような獣の体臭。
黒い体毛と赤い眼を持つ異形の群れが、決壊したダムのようにシェルター内へなだれ込んでくる。
その鋭い爪と牙の先にあるのは。
「……あら? どこかで見覚えのあるお顔ね。確か、王都の夜会でよくご一緒した若手官僚や貴族の方々ではないかしら」
だが、現在の姿に、あの夜の気取った態度は微塵もない。
仕立ての良いベルベットのジャケットやシルクのシャツは泥と煤にまみれ、ビリビリに引き裂かれている。
逃げ惑うことも無様に命乞いをすることもなく、自身の背後にいる平民の子供たちへ覆い被さっていた。
「目を、開けるな……っ!」
かつて血統の良さを声高に誇示していた若き侯爵が、泥だらけの腕で幼い少女を抱き込み、自らの背中を魔物に向けて丸くなる。
文字通り「肉の盾」として。
泥まみれの背中へ、無数の凶爪が振り下ろされる。
若き伯爵が子供を庇う腕にぐっと力を込め、固く目を閉じた、そのコンマ一秒のことだった。
――シュンッ。
私の斜め後ろに控えていたアリスとクロエの姿が、陽炎のようにふっとブレた、気がした。
次の瞬間。
「……あら?」
私がパチクリと一回瞬きをした時には、すべてが終わっていた。
獣の咆哮も、生臭い体臭も、なだれ込んできていたはずの数千の魔物も。
床を汚す血の一滴、飛び散る肉片すら残さず、空間から消去されている。
代わりに、シェルターの殺風景な広場の中央には、純白のテーブルクロスが掛けられた最高級のガーデンテーブルが鎮座していた。
「お待たせいたしました、お嬢様。本日は素晴らしいダージリンの初摘み(ファーストフラッシュ)が手に入りました」
「お姉様!お茶菓子には、焼きたてのスコーンと自家製のクロテッドクリームをご用意しましたの。さあ、冷めないうちにこちらへ」
クロエがティーポットから黄金色の紅茶を注ぎ、アリスがティースタンドの位置を微調整している。
何事もなかったかのような、とろけるような笑顔と淀みない所作。
淹れたての紅茶の芳醇な香りが、むせ返るような獣の臭いを上書きしていく。
その目の前では。
泥まみれになって子供に覆い被さっていた貴族たちが、背中を丸め「死を覚悟した」まま、ポカンと口を開けて硬直していた。
「……は? え……? 魔物は!? お茶……っ!?」
私の背後から顔を覗かせたヴィクトリア様が、信じられないものを見る目でティーテーブルとメイドたちを指差す。
限界を迎えたヴィクトリア様の喉から、間の抜けたかすれ声が漏れた。
「なんでこんな絶体絶命の状況で、メイドがお茶を淹れてますのーッ!?」




