第30話 とびきりの手土産はお気に召しましたでしょうか。
ボレアス領主邸のそびえ立つ鉄門前。
豪奢な馬車から、ヴァンキッシュ侯爵が降り立った。
懐では、他者の精神を強制的に屈服させる国宝級の魔道具が熱を帯びている。
侯爵が口角を歪め、一歩を踏み出そうとした瞬間だった。
「失礼。服に害虫がついておりましたので」
出迎えたクロエが、はたきを無造作に振るった。
パァァァンッ。
侯爵の胸元で、乾いた破裂音が鳴った。
国宝級の魔道具が細かい砂と化し、石畳の上へ散っていく。
「……は?」
「さあ、お嬢様がお待ちです」
クロエは一礼し、踵を返した。
侯爵は冷や汗を噴き出し、ガタつく膝を押さえてその後を追った。
***
うららかな陽射しと、薔薇の香りに包まれた領主邸のテラス。
「ようこそいらっしゃいました、侯爵様」
私は極上の笑顔で立ち上がった。
テーブルには、淹れたての芳醇な紅茶と、湯気を立てるスコーンが並んでいる。
「わざわざ当領地まで足をお運びくださるなんて、本当に光栄ですわ」
侯爵は絹のハンカチで額の汗を拭い、力なく椅子に腰を下ろした。
顔色は青白く、ひゅう、ひゅうと浅い呼吸を繰り返している。
早く同盟を結びたいと、馬車を飛ばして駆けつけてくれたのだろう。
なんて誠実で、情熱的な方かしら。
「侯爵様にはボレアスの物流をご心配いただき、感謝しておりますの」
私が微笑みかけると、侯爵はビクッと肩を跳ねさせた。
ティーカップに伸ばした手が震え、カチャカチャと磁器を鳴らしている。
「今日は、侯爵様に安心して同盟を結んでいただくための手土産をご用意いたしましたわ」
私は分厚く製本された黒革の書類の束を持ち上げた。
徹夜で書き上げた、王家の裏帳簿だ。
侯爵の目の前に、ずっしりとした重い音を立てて置く。
「どうぞ、中をご確認くださいませ」
侯爵は痙攣する手を伸ばし、分厚い表紙をめくった。
ページに視線を落とした瞬間、彼の呼吸がピタリと止まる。
『王国暦三一四年四月十二日。裏社会ギルドを通じた不正取引。利益金三千二百五十万ルピア』
『王国暦三一五年九月八日。隣国への関税逃れルート構築。関与者一覧——』
一日の狂いもない日付と美しい文字が、ページいっぱいに羅列されていた。
侯爵の指から血の気が失せ、紙を強く握りしめる。
大粒の汗が顎を伝い、テーブルに落ちて染みを作った。
「どうかしら。私の記憶力、少しはお役に立てそう?」
私が小首を傾げて尋ねる。
「ヒッ……ァ……」
侯爵の喉の奥から、空気が漏れた。
私の背後には、アリスとクロエが静かに立ち尽くしている。
一切の感情を排した二対の瞳が、侯爵を見据えていた。
「これで、ボレアス領が同盟に足る能力を持っているとご安心いただけたかしら」
私は慈愛に満ちた笑顔を向けた。
侯爵の顔から、血の気が抜け落ちた。
小鳥のさえずりが響く有意義なティーパーティーは、静寂に包まれていた。




