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第29話 月間MVPのご褒美は膝枕ですわ。

 執務室の午後。

 私の膝の上で、温かい毛玉となったシロがスースーと規則的な寝息を立てていた。


 陽だまりのようなふわふわの毛並みを撫でる。

 ふと視線を上げると、アリスとクロエが冷たくシロを凝視していた。


『(このオス犬……お姉様の特等席を……ッ)』

『(今すぐその毛皮を……ッ)』


 二人の無機質な眼差しを受け、シロがビクッと耳を跳ねさせた。

 仰向けになって腹を見せ、フローリングを滑るようにそそくさと部屋の隅へ逃げていく。


 あらあら。

 二人とも、シロが羨ましいのね。


「領民たちが頑張ってくれて、新しい特産品が間に合ったわ」


 私はデスクの端に積まれた、真新しい木箱を撫でた。

 色鮮やかなベリーのジャムが詰まったガラス小瓶と、手触りの良い織物。

 万年筆に続く、ボレアス領の誇る特産品だ。


「今月の売り上げが一番だった人には、特別にご褒美をあげるわ」


「「ご褒美、ですか?」」


「ええ。私の、膝枕よ」


 パリンッ。

 アリスの手の中で、純白のティーカップが粉砕された。

 クロエの銀縁眼鏡に、ピキッと亀裂が走る。


「あら、いらなかったかしら」


「いりますっ!」

「必ずやトップの座を……ッ」


 二人は瞬き一つせず互いを一瞥し、無言のまま突風のように執務室を飛び出していった。


 ***


 ヴァンキッシュ侯爵領、光の届かない裏路地の最深部。

 傷だらけの山賊やゴロツキたちが、石積みの壁際でガタガタと震え上がっていた。


 薄暗い路地を、目が眩むほどの神々しい光が満たしている。


「皆様、これまでたくさん悪いことをしてきたのですよね」


 アリスが極上の笑顔で、山賊たちの古傷を『過剰回復オーバーヒール』で癒していく。

 ボコボコと肉が異常な速度で蠢き、強制的に細胞が活性化される未知の感覚に、山賊たちは白目を剥いた。


「さあ、今日から心を入れ替えて、この特産品を売り歩きなさい。ノルマ未達の方には、明日は24時間ぶっ続けで『懺悔の祈り』にお付き合いいただきますわ」


「ひぃぃぃッ! う、売ります! 何個でも売りますからぁッ!」


 屈強な山賊たちが滂沱の涙を流し、可愛らしいリボン付きの小瓶をひったくるように抱えて表通りへ駆け出していく。


 夜の帳が下りる頃。

 行き交う人々に声をかけてくるのは、いかつい顔を引きつらせ、小指を立てて小瓶を差し出す涙目の訪問販売員たちだった。


「お、奥さん……あま〜いジャムは、いかがっすかぁ……ッ」


 ***


 侯爵領の地下深く、裏社会の金融ギルド。

 カビと重苦しい紫煙が立ち込める部屋で、クロエがギルド長の大机に一枚の分厚い羊皮紙を滑らせた。


「侯爵が貴公らから借りている全債権を、当ボレアス領が買い取ります。代金はこちらの権利書で」


「……なんだこれは。ボレアス領の中央広場にある、純金製の巨大像だと?」


 ギルド長が下劣な笑みを浮かべて羊皮紙を手に取る。


「本気か? あの黄金像なら、侯爵の借金など軽く帳消しにしてお釣りがくるぞ」


「ええ。お嬢様のご意志により、正当な経済取引として『代金』をお支払いします。これで商談成立ですね」


 ギルド長が羽ペンでサインを済ませ、莫大な借金の束をクロエへと引き渡した。

 債権を鞄へしまい込むと、クロエは中指でひび割れた眼鏡を押し上げる。


「では、私はこれで。……ああ、一つだけ忠告を」


「ん?」


「あの像は、当領地の『聖女様』が狂信的な愛を込めて建造した信仰の対象です」


 クロエの漆黒の瞳から、一切の光が消える。


「お嬢様以外の者が指一本でも触れれば、全自動で『神罰の光柱』が降り注ぎ、周囲一帯がチリ一つ残さず蒸発する防衛結界が張られております」


「……は?」


「法的には貴公らの所有物ですが、回収へ赴く際は、決死隊を編成されることをお勧めします」


 一礼して去っていくメイドの静かな足音を見送りながら。

 ギルド長は手元の、実質価値ゼロの黄金の権利書を見て、泡を吹いて気絶した。


 一晩にして、侯爵の全借金債権は合法的にボレアス領の金庫へ収まった。


 ***


 夕刻のボレアス領主邸。


 執務室の扉が開き、アリスとクロエが戻ってきた。


「お姉様! 裏社会の全販路を開拓し、特産品の在庫をすべて売り切りましたっ!」

「お嬢様。侯爵の全債権を買い取り、実質的な生殺与奪の権を掌握いたしました」


 二人は私の前へ並んで膝をつく。


 まあ。


「二人のおかげで侯爵領の治安まで良くなって、本当に助かったわ」


 私は二人へ、とびきりの笑顔を向けた。


「これで、侯爵様も安心して同盟を結んでくださるわね」


 手元の最終同意書へ、ボレアス特製万年筆の漆黒のペン先を滑らせる。

 スラスラと、一切の引っ掛かりのない軽快な音が執務室に響く。

 それは、侯爵領の全経済を掌握し、完全に属国化するための完璧な書類だった。

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