第28.5話 くまのぬいぐるみを気に入りました。
そういえば、帝国軍の襲撃から数日たったある日、屋敷に差出人不明の大きな木箱が届いていた。
中に入っていたのは、私の背丈ほどもある特大のクマのぬいぐるみだった。
「まあ、ふかふかで抱き枕にぴったりね。誰からの贈り物かしら」
私はその特大クマを気に入り、自室のベッドで抱きしめて眠りについた。
——深夜。
静まり返った寝室で、私の腕の中にいたクマのガラス玉の目が赤く発光した。
ブチブチッ! と不気味な音を立てて縫い目が裂ける。
裂けた腹から毒々しい色の綿や臓物のような呪符がはみ出し、口が耳元まで裂け上がった。
暗闇の中、私を見下ろしてニチャリと醜悪な笑みを浮かべる。
『キヒヒ……不用心な女メ。永遠ノ悪夢ニ沈メテヤル……』
巨大な銀色の鉄爪を振り上げ、無防備な白磁の首筋を切り裂こうとした瞬間。
『——動くな。ただの綿屑が』
ピタリ、と。
いつの間にか怪物の四肢と首筋に不可視の鋼糸が絡みつき、その動きを空中でギチリと縫い留めた。
『ギ、ギチッ……!?』
眼球だけを動かした怪物の視界が、絶望に染まる。
部屋の四隅には、月光すら呑み込む漆黒の結界が張り巡らされていた。
ベッドの足元には、瞳孔を開ききったパジャマ姿のアリス。
天井には、両手から無数の糸を操り、鋭い暗器を構えて張り付くメイドのクロエ。
二人の瞳には一切の光がなく、むせ返るようなドス黒い殺意だけが寝室の空気を氷点下まで凍らせていた。
『(お姉様の尊顔を直視した罪、チリ一つ残さず焼き尽くしますわ)』
『(お嬢様の安眠を妨げた罪、一万の肉片に解体して差し上げましょう)』
アリスの手に、大気をチリチリと焦がす眩い光球が生まれる。
クロエの指先が微かに動き、怪物を縛る鋼糸がギリッと肉に食い込んだ。
次の瞬間。
はみ出していた綿を瞬時に腹へ引っ込め、怪物は元の可愛い特大クマの姿へと縮んだ。
そのままベッドから滑り降り、床に額を擦り付けて目にも留まらぬ速さで土下座を決める。
呪いもプライドも投げ捨て、ガタガタガタガタッ! と全力で無害なぬいぐるみを演じて震え上がった。
一晩中、怪物は命の危機に怯え、寝室の扉の前で激しく震え続けていた。
——翌朝。
「……んっ、よく寝たわ」
私が清々しい気分で目を覚ますと、昨晩ベッドにいたはずの特大クマが、寝室の扉の前にどっしりと鎮座していた。
しかも、ブルブルブルブル! と毛羽立つほどの勢いで激しく震動している。
「あら? クマさんが移動しているし、なんだか震えているわね」
「おはようございます、お姉様っ! そのぬいぐるみはずっしりと重かったので、寝室の隙間風を防ぐオブジェとして私が配置いたしましたわ!」
「お目覚めの紅茶です。扉の重石にちょうどいいですね。その震動は、最新の魔道具の機能かと」
アリスとクロエが、満面の笑みで近づいてくる。
「まあ、二人が気を利かせてくれたのね。でもこの震え……あっ!」
私は閃き、震える特大クマの背中に自分の背中をぴったりと預けた。
ブルブルブルブル!
特大クマの小刻みで激しい振動が、書類仕事でガチガチに凝り固まった私の肩甲骨や腰の芯を、信じられないほど丁度いい力加減で解きほぐしていく。
「すごいわ! これ、全身をほぐしてくれるマッサージ機だったのね! とっても気持ちいいわ!」
私が満面の笑みで喜ぶと、特大クマは涙目になりながらさらに振動を強めた。
そのままクマの頭を撫でると、お腹から少しだけ毒々しい色の綿がはみ出しているのに気がついた。
「あら、お腹から綿がはみ出しているわ。昨日の夜、私が強く抱きしめすぎちゃったのかしら。あとで縫ってあげるわね。あなたのお名前は『ハミィ』にしましょう」
私が名前を与えて優しく微笑みかけると、ハミィのガラス玉の目に、うっすらと涙のような水滴が浮かんだ気がした。
「素敵な名前ですわ、お姉様(……マッサージ機として命拾いしましたね、ゴミ)」
「ええ、光栄に思いなさい、ハミィ(……お嬢様が見ていない間は、私の下僕として掃除から庭いじりまで小間使いとして働かせますからね)」
二人の笑顔の裏に隠された殺気に、ハミィは微動だにせぬまま心の中でヒィッと悲鳴を上げる。
かくして特級呪物は、私が一切気づかぬ死角で、最強ヒロインたちの忠実な小間使い兼、私専用の極上マッサージ機として永遠の労働を強いられることになったのだった。




