第28話 頑張った分だけ、きちんと評価しますわ。
東の空が白み始め、執務室に朝の光が差し込む。
デスクに向かう五人の男たちは、瞬きすら忘れてボレアス特製万年筆を走らせていた。
カリカリカリカリカリッ。
五つのペン先が、まるで一つの精密な機械のように完璧なシンクロニシティを描いて羊皮紙を滑る。
寸分の狂いもない正確さで、本年度の予算案から末端の物流整備計画まで、分厚い書類が次々と文字とグラフで埋め尽くされていく。
彼らの服装は、昨夜の黒い装束ではない。
アイロンの効いたパリッとした執事服に身を包み、顔には知的な銀縁眼鏡が光っていた。
私は手元へ、湯気を立てる紅茶のカップをそっと置いた。
「皆様、夜通しのお仕事お疲れ様でした」
ピタリ、と。
五人の手が同時に止まる。
「素晴らしい処理速度ね。侯爵様は本当に優秀な方々を派遣してくださったわ」
男たちは震える両手でカップを持ち上げ、琥珀色の液体を口に含んだ。
ビクンッ。
男たちの身体が大きく跳ねる。
最高級茶葉の香りが鼻腔を抜けた瞬間、彼らの血走っていた瞳から徹夜の疲労が完全に抜け落ちた。
代わりに、業務への飽くなき情熱と、異常なまでの活力が宿る。
「お、俺たちを……使い捨ての道具ではなく、一人の人間として評価してくださるなんて」
リーダー格の男の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ボレアス領は実力主義よ。頑張った分だけ、きちんと評価しますわ」
私が純白のハンカチを手渡す。
数多の命を奪ってきたであろう分厚くタコだらけの掌が、それを神への供物のように固く握りしめた。
そのまま、声にならない嗚咽を漏らして咽び泣く。
『前の職場は、よほど労務管理が杜撰だったのね』
「さあ、完成したこの企画書を侯爵様へ届けてちょうだい」
分厚く製本された書類を胸に抱き、男たちは狂い一つない完璧な角度で一礼した。
足音一つ立てず、朝靄の立ち込める窓の外へ飛び降りていく。
***
ヴァンキッシュ侯爵領の執務室。
侯爵は苛立たしげに窓の外を睨みつけ、指で机を叩いていた。
放ったはずの伝令魔獣からの報告はない。
扉がノックされ、五人の男が入室してくる。
侯爵は目を見開いた。
「お前たち……なんだその格好は」
足音すら立てない歩法のまま、リーダーの男がデスクの前へ進み出た。
中指でスッと眼鏡を押し上げる。
「侯爵様。ボレアス領より帰還いたしました」
ドサァァァンッ。
美しく製本された分厚い書類の束がデスクへ置かれた。
「なんだこれは」
「当領地の本年度赤字見通しグラフ、およびボレアス公爵令嬢様が提案する業務改善企画書です」
「……は?」
「昨今の物流封鎖による損失係数を算出した結果、当領地の経済は三ヶ月以内に破綻します。非合理的な暴力では、圧倒的な経済と実務の前に敗北するのみ。早急なご決断を」
一切の淀みなく放たれた理詰めのプレゼンテーションに、侯爵の顔から一気に血の気が引いた。
男たちは微動だにしない。
かつて血と死を求めていた殺意は完全に浄化され、あるのはただ、損益分岐点と業務効率だけを推し量る冷徹な事務官としての圧力だけだった。
「ひっ……化け物め……ッ」
未知の精神支配の恐怖に、侯爵は椅子ごと後ずさってガタガタと震え出した。
***
昼下がり。
テラスのテーブルに、クロエが分厚い報告書を置いた。
「侯爵領へ戻った五名について、裏の監視網から報告が入りました」
クロエの手が、微かに震えている。
「何かトラブルでもあったのかしら」
「いえ。ただ……完璧なプレゼンを受けた侯爵は腰を抜かし、泡を吹いて倒れかけたそうです」
部下の急激な成長に、侯爵様もさぞかし驚き、感動されたことだろう。
「ふふっ。きっと私の仕事への熱意が伝わったのね。侯爵様も優秀な部下を持って幸せだわ」
私が微笑んでティーカップを傾ける。
テラスの空気が、シンと冷え込んだ。
「……たった一晩で、裏社会の精鋭の精神構造を根底から書き換えた……」
クロエが眼鏡を押し上げる指先を止めている。
「お姉様の無自覚な洗脳……私たちの魔法よりずっと恐ろしいですわ……」
背後でアリスが両腕を抱きし、顔を引きつらせていた。
二人とも、応援の方々の有能さに感心しているのね。
パチン。
私は扇子を鳴らし、新しい白紙の羊皮紙を引き寄せた。




