第27話 シロのお散歩。
ヴァンキッシュ侯爵領の執務室。
侯爵が、窓辺に片膝をつく漆黒の装束の男たちを見下ろした。
「夜のうちにボレアス領へ潜入し、領主の首を刎ねろ。同時に伝令の魔獣を放ち、周辺領主との連絡網を絶て」
「はっ」
暗殺者たちが夜の闇へと溶けていく。
入れ替わるように、窓の外へコウモリの翼を持つ巨大な魔獣が飛び立った。
***
ボレアス領の領主邸の裏庭。
静まり返った夜の森で、シロはのんびりと草むらを歩いていた。
ふと、上空の月を巨大な影が覆い隠す。
『ん? なんだあの薄汚いコウモリは』
見上げれば、魔獣の太い足に、厳重な封蝋が施された一本の羊皮紙が括り付けられている。
『まあいいか、ちょうどいい遊び道具だ』
シロは地面を蹴った。
爆音。
草むらがクレーター状に吹き飛び、シロの小さな体は音速を超えて上空へ跳躍する。
空中でトリプルアクセルを決め、魔獣の顔面を無造作に蹴り砕いた。
魔獣は己に何が起きたのか理解する間もなく、空中で肉塊となって四散する。
血飛沫を躱しながら、シロは空中で魔獣の足から羊皮紙をもぎ取り、音もなく着地した。
『ただの紙切れか。お嬢様にでも持っていくか』
シロは羊皮紙をくわえ、尻尾を揺らしながら屋敷へと向かった。
***
深夜三時。
私は執務室のランプの下で、うず高く積まれた書類の山と格闘していた。
「ふぅ……。まだまだ終わらないわね」
窓からスッと冷たい風が吹き込んだ。
黒い影が五つ、一切の足音を立てずに絨毯の上へ降り立つ。
私は振り返り、彼らの漆黒の装束を見てパァッと顔を輝かせた。
「まあ! 侯爵様が夜勤の応援を派遣してくださったのね」
「……は?」
「深夜の執務は目が疲れるから、光の反射を抑える黒い服を着てきてくれたのね。さあ、こちらへ」
私は立ち上がり、呆然とする五人をデスクの横へと招き入れる。
「え、いや……俺たちは命を——」
「遠慮しなくていいのよ。はい、この帳簿の整理をお願いね」
私はドサリと鈍い音を立てる分厚い書類の束と、ずっしりと重い魔石製のボレアス特製万年筆を、彼らの胸元へ強引に押し付けた。
「あっ」
異常な重量物を、彼らが反射的に両手で受け止めた瞬間。
カラン、カランッ。
彼らの手から、不気味な紫色の光を放つ短剣が床へこぼれ落ちた。
手荷物を落としてしまうなんて、不器用な応援さんたちね。
ふと、部屋の隅の暗がりから、ピキッと空気が凍りつくような冷気が漏れ出した。
同時に、天井の梁のあたりから、ギラリと光る黄金色と漆黒の瞳が見えた気がした。
応援さんたちの顔からスッと血の気が引き、ガタガタと激しく震え始める。
彼らの吐く息が、ランプの灯りの下で白く染まっていた。
「深夜は冷え込むものね。すぐに終わらせましょう」
そこへ、半開きの扉からシロがトコトコと入ってきた。
口にくわえていた、赤い封蝋のついた丸めた羊皮紙を、私の足元へポトリと落とす。
「あら、シロ。夜のお散歩で木の枝を拾ってきてくれたの?」
私がしゃがみ込んで頭を撫でると、シロは気持ちよさそうに目を細めて尻尾を振った。
「偉いわね。じゃあ、これは暖炉の薪にしてしまうわね」
私はその汚れた紙切れを、燃え盛る暖炉の火の中へ放り込んだ。
赤い封蝋が溶け、侯爵の紋章がパチパチと音を立てて灰になっていく。
それを見た応援さんたちが、なぜか絶望したように崩れ落ち、両膝を床についた。
「さあ、応援の皆様。朝までに終わらせましょうね」
彼らは震える手で万年筆を握りしめ、果てしない書類の山へ向かった。




