表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖訳(ようやく)──翻訳方・秋津雪の記録──  作者: よるの 余白
一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/14

第十二話「声」

 


 我は鶴。

 千年を生きる。

 この里の北の古い木に留まる、一羽の白い鶴。


 妖語で「声」を扱う。

 人語では「声」は、ただの音。

 しかし、妖語では「声」は四つの層を持つ。


 第一層:音の波。

 第二層:呼ばれた者の応えを引き出す、力。

 第三層:遠くに意図を運ぶもの。

 第四層:呼ばれた者と呼んだ者の、境界を越える声。


 我は、四層全てを扱う。

 特に、第三層。

 遠くに意図を運ぶ。

 だから、里の妖たちは我を呼ぶ時、「声の鶴様」と呼ぶ。


  ◇


 今朝里に風が一つ入った。


 朝の竹林の、囁き。

 その中に紛れて、二つの足音。

 一つは、古い桑の木の精。

 照り、と呼ばれる。

 最近、名を取り戻した老婆。


 もう一つは、若い人間の娘。

 黒い髪に、桜木の櫛。

 樺色ではなく、濃紺の袴。

 翻訳方の制服。


(──娘か)


 我は木の枝の上で、首を傾げた。


(──この娘、どこかで見た気がする)


 我は、千年生きている。

 記憶は長い。

 しかし、娘の顔は覚えがある。


(──あの面影)

(──柊の娘か)


  ◇


 十二年、前。


 柊が、里に来た。

 髪の長い、美しい女だった。

 目に、深い光があった。


 柊は我の枝の下に立って、尋ねた。


「鶴様、お力をお貸しください」


 我は、柊を見た。


「人間の娘か」


「はい」


「翻訳方の訳官か」


「はい」


「何故、我を呼ぶ」


 柊は、深く頭を下げた。


「私は翻訳方の中で、大きな誤訳を見つけました」

「しかし、一人では対峙できません」

「鶴様の「声」をお借りして、遠くの同志に声を届けたく存じます」


 我は少し、間を置いた。


(──人間の内部の争いに、我が関わる理由はないが)

(──この娘の目の深さは、妖のものに近い)

(──話だけ、聞いてみるか)


「──話せよ」


 柊は、我に全てを話した。

 梶山という、人間の誤訳。

 処分された妖たち。

 桑の精、照りの件。

 そして柊自身が告発しようとしていることを。


 我は聞きながら、心で計った。


(──この娘は人間だが、妖の味方になる覚悟を持っている)

(──珍しい人間だ)


「──娘」


「はい」


「名を名乗れ」


「秋津 柊でございます」


「柊か」

「覚えた」


 我は、柊に「声」の術を貸した。

 遠くの同志に、声を届ける力。

 それから十年、柊は幾度か里に来た。

 我に、伝言を託した。


 そしてある日、柊は来なくなった。


(──行ったのか)

(──「行く」のどの層でか)


 我は、柊の最後の伝言をまだ届けていなかった。

 十年、保留したままだった。


  ◇


 そして今朝。


 その娘の娘が、里に入ってきた。

 桜木の櫛。

 濃紺の袴。

 背が母より、少し低い。


(──柊の娘か)

(──名は雪、と聞いた)


 我は、枝の上から降りた。

 白い翼を、広げた。

 娘の前に、舞い降りた。


  ◇


 娘──秋津 雪は我を見た。

 膝を折った。


「鶴様、秋津雪と申します」


(──正しい敬意)

(──母と同じ敬意)


「お前の母の伝言、預かっておる」


 雪の目が、見開かれた。


「──母の伝言」


「十年、保留したままだ」

「娘が訳官として成長する日を待て、と柊から命じられた」


 雪の指が、袴の上で動いた。


(──やはり母と同じ動き)


「今お前が訳官として成長した、と認めよう」

「伝言を届ける」


 雪は頭を深く下げた。


「──お願いいたします」


  ◇


 我は、白い翼を羽ばたかせた。


 十年封じていた、柊の声を呼び出した。

 柊の声は、我の喉の奥でまだ生きていた。


 我は、雪の頭の上で「声」を放った。


「雪──」


 柊の声。

 柔らかく、しかし芯の通った女の声。


 雪の顔が、一瞬止まった。

 そして両手を口に当てた。


「──母さんの声」


「──雪、訳官として立ちましたね。誇りに思います。

 これから、嵯峨様、桐生、そして久世殿と共に訳し終えてください。

 久世殿は、楠の跡地におられます。

 澪様も、そこに。

 行きなさい。」


 柊の声は、そこで終わった。


 雪は涙を流した。

 両手で、顔を覆った。

 声を立てずに、涙だけが流れた。


 我は、翼を畳んだ。

 雪の側に、降りた。


(──柊の娘よ)

(──しかし、お前はすでに柊を超えている)

(──柊は、二百九十七語までだった)

(──お前はもう三百十二語)

(──母より、先を訳せる娘)


  ◇


 照り様が雪の横で静かに待っていた。


 雪は涙を袖で拭った。


「照り様」


「──はい」


「鶴様」


「──うむ」


「楠の跡地へ、ご案内くださいませ」


 我は、頷いた。


「我が、先導する」

「しかし、娘」


「はい」


「楠の跡地には今誰も居ない」

「楠が処分されてから五年、誰も近づかない」

「しかし、近くに小さな小屋がある」

「その小屋に、久世真一郎と娘一人」

「久世は五年、娘を匿っている」


(──久世様と澪様)

(──本当に生きておられる)


 雪の顔が、微かに明るくなった。


  ◇


 我は、翼を広げた。

 里の北の方へ、飛んだ。

 低く雪と照り様が歩ける速度で先導した。


 雪と照り様は竹林を抜けた。

 古い倒木を、越えた。

 苔むした石の川を、渡った。


 妖の里の北の奥。

 かつて、三百年の楠が立っていた場所。


 今は、巨大な切り株だけが残っていた。

 楠の根が地面から露出して、乾いていた。

 五年前梶山の誤訳で処分された楠の精の、痕跡。


 雪は切り株の前で立ち止まった。


「楠の精様」


 雪は切り株に頭を下げた。


「──あなたの身代わりの志を、私、確かに聞きました」

「澪様を守ろうとされたことを」

「必ず、梶山様の誤訳を訳し直します」

「あなたの名誉を、戻します」


 楠の切り株は、沈黙していた。

 しかし、その沈黙の奥に、何かが応える気配があった。


 我は、それを感じた。

(──楠の魂は、まだこの切り株の根に残っている)

(──雪の言葉が、届いた)


  ◇


 切り株の向こうに、小さな小屋。

 藁葺きの、粗末な造り。

 しかし、煙が一筋立っていた。


(──久世と娘は、ここにいる)


 我は、小屋の屋根に降りた。


 雪と照り様が小屋の入口に立った。


「失礼いたします」


 雪の声。

 戸は、開いていた。

 雪は一歩入った。


  ◇


 小屋の中。


 土間。

 一つの囲炉裏。

 火が、弱く燃えていた。

 その前に、一人の男。

 三十代半ば。

 髪は肩まで伸び、薄い髭。

 しかし、目は鋭かった。


 そして奥に一人の娘。

 二十歳、ほど。

 黒い髪を、肩まで垂らしている。

 白い肌。

 顔立ちは、嵯峨に似ていた。


(──嵯峨の妹、か)


 雪の息が止まった。


「──九条 澪、様」


 娘は、顔を上げた。

 目が、見開かれた。


「──あなたは」


「秋津雪、と申します」

「翻訳方の見習い訳官」

「秋津 柊の娘でございます」


 娘──澪様の目に、涙が溜まった。


「──柊様の娘」


 囲炉裏の前の男も、立ち上がった。


「──秋津」


 男は、雪を見た。


「柊の娘か」


「──久世様で、ございますか」


 久世真一郎は、深く頷いた。


「──久しぶりに「秋津」という名を、聞いた」


  ◇


 久世は雪を囲炉裏の前に招いた。

 照り様も、一緒に。


 澪様は雪の目の前で畳に座って、じっと雪を見た。


「秋津雪、様」


「──はい」


「兄は、お元気ですか」


 雪の息が止まった。


(──澪様は五年ぶりに兄・嵯峨様の消息を聞くのだ)


「──はい。ご健勝でございます」

「澪様を必ずお連れすると、仰っておられます」


 澪様の目から、涙が溢れた。

 しかし、笑顔だった。


「──兄」


「──嵯峨様は」


 雪は嵯峨様から預かった訳文の写しを、懐から取り出した。


「五年前の梶山様の誤訳の写しを、持って参りました」

「楠の精様が、あなた様を守ろうとして処分されたことも」

「全て、分かりました」


 澪様の両手が震えた。


「私も、知っておりました」

「楠の精様は、私を守ってくださいました」

「私は久世様に助けられてここで五年、過ごしてきました」


  ◇


 久世が口を開いた。


「秋津」


「──はい」


「柊は、どうなった」


 雪の息が、一瞬止まった。


「──十年前の春に「行かれました」」


 久世の目が、一瞬閉じた。


「──そうか」

「俺は柊より先に身を隠した」

「柊も、俺と同じ道を辿ったか」


「──しかし、母は書き残されていました」


 雪は母の帳面と共同記録を、久世の前に差し出した。


 久世の指が震えた。


「──これは、柊と俺の記録」


「実家の梅の下に、埋まっておりました」

「母が私に託されました」


 久世は帳面を両手で受け取った。


「十年、待った」

「ようやく娘が来てくれた」


 久世の目に、涙が溜まった。

 しかし、涙は流れなかった。


  ◇


 我は、小屋の屋根で全てを聞いていた。


(──柊の十年の保留が、今解かれていく)

(──娘は、母の遺志を受け取り、久世と再会した)

(──澪も、兄の元へ帰れる)


 我は、翼を広げた。


(──我も、最後の仕事をせねば)


  ◇


 久世が雪に語った。


「柊と俺は十五年前に梶山の最初の誤訳を掴んだ」

「楠の精、寿を朽と書き換えた件ではない」

「もっと古い件。二十年前のかわうその件」


(──獺)

(──母の帳面に、書かれていなかった件)


「俺は十五年前に梶山に直接問い質した」

「梶山は俺を翻訳方から追い出そうとした」

「俺は身を隠した」

「柊は残った。表向きは、何も知らぬふりで」


「母は一人で調査を続けられたのですか」


「俺は里から情報を送り続けた」

「鶴様の「声」で」

「柊と俺は十二年、声で繋がっていた」


(──鶴様を介して、母と久世様は共同研究を続けていた)

(──鶴様が二人の架け橋だった)


  ◇


 雪は我を見上げた。


「鶴様、ありがとうございます」


 我は、頭を一度下げた。


「娘、それが我の役目だ」


  ◇


 澪様が雪に告げた。


「秋津様、私、帰れましょうか」


「──はい」

「もう帰れます」

「ただ、梶山様との決着がつくまで、しばらく安全な場所にお移しする必要がございます」


 澪様は頷いた。


「私、兄に会えますか」


「──はい。明日には」


 澪様の目から、また涙が落ちた。

 しかし、今度は笑みの涙だった。


  ◇


 久世が立ち上がった。


「秋津、俺も京洛に戻る」

「十五年、隠れていたが、今は違う」

「柊の娘と嵯峨様と桐生殿が、揃った」

「我々、五人で梶山を訳し直す」


「──ありがとうございます」


 久世は微かに笑った。


「柊の分まで、俺も戻る」


  ◇


 小屋を出る、時。


 我は、雪の頭の上を旋回した。


「娘」


「──はい」


「我が「声」で、嵯峨と桐生に先に伝える」

「お前が戻る前に、迎えが手配される」


「──ありがとうございます」


 我は、翼を強く羽ばたかせた。


 北から、南へ。

 京洛の翻訳方の方角へ。


 我の「声」は、嵯峨の耳元に届いた。


「九条嵯峨。澪様はご無事。久世真一郎と共に、秋津 雪、里から戻る」


 嵯峨の息を、我は遠くから聞いた。

 嵯峨は、動いた。

 迎えを、手配し始めた。


  ◇


 雪、照り様、久世、澪様。

 四人は、妖の里を出た。


 我は、空から見守った。


(──柊、お前の娘は立派に育った)

(──今日お前の十年の保留が、解けた)

(──お前の「行く」の第三層が、果たされた)

(──お前は書き残したもので時を越えて、娘に届いた)


 我は、里の北の古い木に戻った。


 しかし、枝の上で一つ察した。


(──京洛で、梶山の反撃が始まる)

(──あれほどの権力者が、大人しく告発を受け入れるはずがない)

(──娘、気をつけよ)


 我は「声」を、もう一度放った。


「雪、気をつけよ。梶山の反撃は、近い」


 雪の指が、袴の上で動いた、気配を、我は、感じた。


(──届いたな)


 我は、翼を畳んだ。

 そして枝の上で目を閉じた。


 千年生きる鶴は今日また一つ、仕事を終えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ