第4話:忠告
玄関の扉を開けると、廊下にはボルツが立っていた。
「おはよう、ボルツ!」
「これは、アルキュオネ様」
アルキュオネは、布のかけられた藤製の大きな籠を差し出した。
「はい、これ。うちの農園で採れた葡萄」
「わざわざありがとうございます」
受け取りながら恭しく頭を下げるボルツを横目に、彼女は遠慮なく屋敷の中へと足を進めた。
「ねえ、ラスティいる?」
ボルツが後に続く。
「旦那様は外出中でございます」
「そう。いつ帰るの?」
足を止めて振り返る彼女に、ボルツは声を掛けた。
「アルキュオネ様」
「何?」
一度目を伏せると、ボルツは静かに顔を上げた。
「恐れながら、旦那様はクロネッカ宗家の当主となられました。これからは、ラスティリアード様とお呼び下さい」
苦笑したアルキュオネはひらひらと片手を振った。
「心配しなくても大丈夫よ。外ではちゃんと呼ぶから。で、いつ帰るの?」
「……恐らく夕刻かと」
「え~! そんなに?」
露骨に顔を顰める彼女に、ボルツは小さく肩をすくめた。
「アルキュオネ様ご訪問の予定は聞いておりませんでしたので……」
「う~ん……」
さてどうする? 偵察任務は、いきなり暗礁に乗り上げてしまった。また待ちぼうけか……
「……そう言えば、家督相続式の後、北の棟で何をやってたの?」
ふと思いついて、彼女は尋ねた。ボルツは頭を下げた。
「残念ながら、申し上げることはできませぬ」
「なぁに? また男同士の話?」
うんざりした声をあげるアルキュオネに、ボルツは視線を戻した。
「いいえ。主同士のお話でございます」
思いがけないそのまなざしの強さに、気圧された彼女は目をそらした。
「ふ~ん……。じゃあ、リリィはどこ?」
* * *
中庭の日陰の一角で、リリィは大きなたらいに洗濯板を差し入れ、その上で煤けたカーテンを洗っていた。アルキュオネより二つほど年上のリリィは、彼女がクロネッカ宗家を訪れた時のよき遊び相手であり、相談相手でもあった。アルキュオネは、リリィの隣に座って膝を抱えた。
「ねえ、リリィ」
「はい? お嬢様」
「例えば、例えばよ。リリィが仲良し三人組の一人だったとして、みんな仲良しだったと思っていたのに、リリィ以外の二人が、実は仲が悪いんじゃないかって知った時、リリィならどうする?」
カーテンを擦る手を止めると、彼女は額の汗を拭った。
「……別に何も」
「え? 仲を取り持ったりしないの?」
言いながら、アルキュオネは石鹸を差し出す。リリィは小さく頭を下げた。
「それは、私がどうこうできる話ではございません」
「え~。仲良くして欲しいじゃない」
受け取った石鹸をカーテンの上に置くと、リリィはアルキュオネを見つめた。
「お嬢様。人の心は如何ともしがたいものでございます」
「まあ、そうだけどさ」
アルキュオネは、立てた自分のつま先に目をやった。リリィは息をついた。
「お嬢様も、リーデンブロイ公をお好きにはなれないのでは?」
アルキュオネは苦笑した。
「あ~、そこまで極端な話ではないんだけど……」
リリィは一瞬眉を上げると、石鹸をカーテンに擦りつけ出した。暫くして、顔を上げずに聞く。
「修学院で何かあったのですか?」
「いや、別に……」
そう言うと、アルキュオネはチラリとリリィを見た。深く息を吸う。
「……そういえば、最近、ラスティはどんな感じ?」
「どんな感じとは?」
「あー、えーと……そう! 女性の影とかありそう?」
リリィは思わず顔を上げた。
「女性の?」
微かに身を引いたアルキュオネは天を見上げた。
「実は、ちょっとお友達を紹介しようと思ってるんだけど、先約があるなら嫌だなって思って……」
そこで目線だけをリリィに戻す。彼女は、『あらまぁ!』――そんな心の声が聞こえてきそうな顔をした。瞳が輝く。アルキュオネも微笑んだ。二度ほど頷くと、リリィはここ最近を思い返すような遠い目をした。
「坊ちゃま……いえ、旦那様は……そういうのはあんまり……」
そう言うと、彼女は再び石鹸を動かした。
「じゃあ、特に変わったことはない?」
「はい」
「そう……」
アルキュオネは息をついた。体を前後に揺する。
……まあいい。そうそう簡単に情報が手に入るとは思っていない……
ふと、リリィは顔を上げた。
「お嬢様。先程の三人組の話ですが……」
「うん。何?」
「もし、そのお二人が本当に仲違いをされているのなら……」
そこで、彼女はしっかりとアルキュオネの顔を見据えた。
「お嬢様も、どちらに付かれるか、お決めになった方がよろしいかと」
アルキュオネは眉を顰めた。
「どういうこと?」
リリィは目を伏せた。
「どちらの方にもいい顔をなされていると、結局、どちらの方も失うことになりますので……」
その意味を理解するのに、アルキュオネには少し時間がかかった。苦笑する。
「え? まさかそんな……」
リリィはもう一度アルキュオネを見つめた。その真剣な眼差しに、アルキュオネは思わず言葉を飲んでいた。リリィはゆっくりと息をついた。
「これは、私の経験から、ご忠告申し上げておきます」
* * *
「アルキュオネ様。旦那様を待たれるのではないので?」
玄関へと向かうアルキュオネに、ボルツが声を掛けた。
「……いいわ。ちょっと考えることができたから……」
小さく肩をすくめるボルツを背に、彼女は屋敷を出た。
……どちらかを選ぶ?……
車寄せから門へと続く薔薇園の中を、俯きながらアルキュオネは歩いていた。
それこそ、如何ともしがたいものだわ……。だって、私が選べるわけじゃないもの……
小さく唇を噛む。
でも……でも、もし、ザウテル様が私を選んで下さったなら……
彼女は顔を上げた。
私は、ラスティを捨てなくちゃならないの?
ラスティを捨てる?……
思い返すには多過ぎるほどの思い出に、ただ、一緒にいた時の空気感だけが蘇った。あの感じがなくなる?……実感が湧かなかった。
アルキュオネは大きく頭を振った。
仮定!……全ては仮定の話よ!
「お嬢様! お嬢様!」
背後で御者のエルナトが叫んでいた。
「何?」
「馬車にはお乗りにならないので?!」
車寄せには、彼女がさっき乗って来た馬車が止められていた。
「忘れてた!」
彼女は慌てて車寄せに戻った。
「銀翼のキセキ外伝 もう一人のクロネッカ」をお読み頂きましてありがとうございます。次の第5話は、「銀翼のキセキ外伝 ミス・エスメーラ達の午後」第3話の後日譚となります。先に第3話をお読み頂くと、次の第5話がよりお楽しみ頂けると思います。引き続き、お付き合い頂ければ幸いです。




