第18話:捨てていない
ザウテルは、彼の希望で大部屋の窓際のベッドへと移っていた。青の貴公子の入室に、同室の病人や看護人は驚いたが、過度に敬遠する訳でもなく、彼に微笑みかけたり、短い言葉を交わしたりしていた。ザウテルは、アルキュオネを自身の従妹と紹介した。当然だ。クロネッカ家のものだと分かれば、彼らの態度は――きっとこうはならない。
ふと気配を感じて、彼女は部屋の入口に目をやった。
ラスティリアードが立っていた。彼の寝室で話をしたのはつい最近だったはずなのに、もう何年も会ってないような気がした。しかし、その時より、彼の頬はこけていた。金髪にも艶はなく、目も落ち窪んでいるように見えた。無理もない。実際に世界と戦っているのは彼なのだ。かける言葉が見つからずに、アルキュオネは、ただ首を小さく動かした。
病室内には俄かに緊張が走った。終末の日をもたらす魔王が来ているのだから、当然と言えた。しかし、魔王の機嫌を損ねようとするほど勇敢な者は、この部屋にはいなかった。
「すみません、僕のためにこんなことになってしまって……」
様態を訊いた後、彼は頭を下げた。
「なあに、気にすることはない。判決が出る前に殺されたとあっちゃあ、お前も悔やみ切れないと思ってな」
ザウテルの快活さに、ラスティリアードは苦笑した。
「……ところで、三人目の弁護人のことだが……」
ザウテルは急に真顔になった。
「風の龍の降天で、ずっと船便が欠航になっていたんだが、ようやく明日、港に着くことになった。俺はこんな有り様だ、お前が迎えに行ってくれないか。その人の名はヴァンデミアトス=リューダー卿。カラウリア島の司祭をされている。俺などより、ずっとお前の力になってくれるはずだ……」
* * *
ラスティリアードが立ち去ってすぐ、アルキュオネはザウテルに尋ねた。
「弁護人は、司祭なのですか?」
不安そうな表情の彼女に、彼は微笑んだ。
「教会側の人間が全て敵とは限らん。主に仕える者とは、本来ああいう人をいうのだろう。リューダー卿は……世界を差し貫ける銛だ」
「銛……ですか……」
浮かない顔のまま、彼女は呟いた。この圧倒的な世界の流れのどこに、銛を打ち込む隙があるというのだろう……
ザウテルは、そんな彼女の顔から、窓の外へと視線を移した。
「言っただろう? 世の中、まだまだ捨てたもんじゃない」
……捨てる……
その言葉に、ハッとしたアルキュオネは慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい! ちょっと失礼します!」
「ラスティ!」
病院の渡り廊下で、ラスティリアードに追いついたアルキュオネは声をかけた。
立ち止まって振り向く彼と目が合ったが、そのまま話を続けられずに、目を伏せる。
「……ロージェが、婚約したって……」
「ああ、聞いたよ」
素っ気ない返事に、顔を上げたアルキュオネは身を乗り出した。
「いいの?」
眉を上げた彼は苦笑した。
「いいも何も、僕は、何かを言えるような立場にないよ」
アルキュオネは唇を噛んだ。ラスティは――彼は、ロージェのことをどう思っているのだろう? 立場や状況ではなく、一人の男性として、一人の女性を――。結局、彼の心の裡を覗くことはできないままだった。
「ミス・ブリザルディアに、婚約おめでとう、と伝えてくれないか?」
気が付くと、彼は穏やかな表情で言っていた。
「彼女、傍聴席には毎回来ているんだが、僕から声を掛ける訳にはいかないからね」
アルキュオネは目を見開いた。
「ロージェが、法廷に?」
「ああ。頼んだよ」
そう言うと、彼は再び歩き出していた。
アルキュオネは思わず一歩踏み出したが、それ以上声をかけることはできなかった。引き留めようとして挙げた右手が、目的を失って、そのままゆっくりと下ろされる。
……ロージェが、彼の裁判を毎回傍聴していたなんて……
アルキュオネは、廊下の床を見つめた。
……彼女は……彼を捨てたんじゃないの?……
困惑に満ちた足取りで病室へと戻ると、ザウテルはアルキュオネの顔を見た。
微かに眉を顰める。
「……ミス・ブリザルディアの件か?」
「えっ?……ええ……」
驚いたアルキュオネだったが、彼に隠し事はできないと観念した。
彼は息をついた。
「婚約相手のダイロンバール家は、造船業を手掛けている。いい船を造るがな。俺が、何度も嵐に遭いながら、一年間の査察航海から無事帰ってこれたのも、ダイロンバールのガルディラ号のおかげだ。俺の両親も、ダイロンバールの船に乗っていればな……」
そこで、ザウテルは一度顔を顰めた。彼は、幼い頃に海難事故で両親を失くしていた。
「……それはともかく、いい船にはいい鉄が必要だ」
右手を掲げる。
「一方で、ブリザルディア家はギアンサル鉱山を持っている。ギアンサルの鉄鉱石は質がいいらしい。となれば、両家が強く結びつくことは、メリットしかない」
次いで掲げた左手を、ザウテルは握り合わせた。
「政略結婚など、今に始まった話ではないが……」
そこで、彼はアルキュオネを見た。
「彼女の将来は、恐らく生まれた時から決まっていたのだろう……」
彼の言葉に、アルキュオネは目を瞠った。思わず、右手で口元を覆う。
ロージェは、ラスティを捨ててなんかいなかった。だから裁判の傍聴に……
でも、同時に、彼女には、最初から選ぶ権利などなかったのでは……
それなのに、私は、『メギル・メギル』の前で……
どうしよう?!……
「アーネ、俺はもう大丈夫だ」
不意にザウテルは言った。急に現実に引き戻され、その意味が分からずに、アルキュオネは眉を顰めた。
ザウテルは微笑んだ。
「用事が、できたんじゃないのか?」




