第13話:私にできること
アルキュオネは、エッセンニーカ家の応接室で、ザウテルの帰りを待っていた。時折、掌で目元を覆う。瞼は腫れぼったく、瞬きをするたびに重く引きつるような感覚があった。
……きっと気付かれる……もう向日葵なんかじゃないことに……
ふと、ロージェスタの言葉を思い出す。
<……笑顔は封印して、儚げというか、物憂げな表情で接してみるとか……>
まさかそんなことになるなんて……苦笑しようとしたが、その時のロージェスタの笑顔を思い浮かべると、また目頭が熱くなった。あれは、本当にあった出来事なのだろうか? 今となっては、全てが虚ろに思えてくる。
扉が開かれた。
「アーネ」
入って来たザウテルに笑顔はなかった。彼女の顔を目にすると、彼の眉間には一層の皺が刻まれた。
「大変なことになったな」
アルキュオネはソファから立ち上がろうとしたが、腰が鉛のように重く、体がついて来なかった。ザウテルは手をかざして止めさせると、そのまま彼女の向かいに座った。息をつくと、彼女の顔を見つめる。
「……辛いな……」
アルキュオネは堪えられずに俯いた。
「……ザウテル様は……ラスティのこと、ご存じでしたのね……」
彼女の言葉に、両膝の上に両肘を置いた彼は、目を伏せると手を組んだ。
「すまなかった。どうすべきか、俺にも分からなくてな。何しろ、あいつは俺の話を聞かんからな」
そう言うと、顔を上げたザウテルは微かに微笑んだ。アルキュオネも、何とか笑顔を作ろうとした。
「……結局、時だけがいたずらに過ぎてしまった。本当にすまん」
ザウテルは頭を下げていた。
「いえ、そんな……」
一度目を伏せたアルキュオネは、膝の上の自分の手を見た。決意を込めて握り締める。
「今日はお願いがあって伺いました」
そこで顔を上げる。ザウテルと目が合った。
「裁判には三人の弁護人が必要だと聞いています。どうか、ラスティの弁護人になっては頂けませんか?! お願いします!」
彼女は深々と頭を下げた。
「ご迷惑なのは重々承知しています。でも……他にお願いできる人がいないんです!」
また涙が滲む。それは、自分の無力さを痛感するからであった。どうして自分は、こんなにもできないことばかりなのだろう……
「確かに、彼のしたことは、神節典に抵触することです。でも……それでも、私は彼を助けたい。そのために、私ができることはこれしかないんです! お願いします!」
沈黙があった。涙が零れないよう、瞬きと共に、彼女は心の中で言葉を繰り返していた。
……お願い……お願い……お願い……
ザウテルは大きく息をついた。
「アーネ……」
アルキュオネはゆっくりと顔を上げた。目を合わせるのが怖かった。きっと大丈夫と思いながらも、万が一のことを考えると、視線だけは、一番最後に彼に向けられた。
ザウテルは、幼い頃からよく目にする、アーネの仕出かした失敗に呆れるような顔をしていた。
「俺を誰だと思っている?」
そう言った彼は、満面の笑みを浮かべた。
「元からそのつもりだ」
その言葉に、全身の関節が外れて、その場に崩れていく気がした。襲い掛かるめまいに必死に抗って、彼女は無理矢理笑顔を作った。
「ありがとうございます!」
右目から涙が零れて、彼女は慌ててそれを手で払った。泣いていることは分かっているだろうが、それでも涙は見せたくなかった。
「あいつはいい家族を持ったな……」
伏し目がちに、ザウテルは呟いた。
「いいえ……」
思いがけない彼女の否定の言葉に、彼は眉を顰めた。
「それは私の方なんです……。だから……」
天井を見上げたアルキュオネは、改めて両手で頬を拭った。
「そうか……」
ザウテルは腰を上げた。窓際へと歩く。
「アーネ、残念ながら、大丈夫だとは言えん。だが、まだ手はある」
そこで、彼は一度アルキュオネを振り返った。
「カラウリアで手に入れたのは、海の布だけではない」
そう言うと、彼は窓の外を見つめた。過去を思い返す一瞬の沈黙があった。
「あの島で、俺は尊敬できる人物に出会った。彼なら、きっとラスティの助けになってくれるだろう。既に打診はしてある」
腕を組んだザウテルは再びアルキュオネを振り返った。
「これで二人だ。後は何とかなるだろう」
アルキュオネは頷くしかなかった。ザウテルは微笑んだ。
「どうだ? 便利な兄貴分だろう?」
* * *
エッセンニーカ家からの帰路、アルキュオネはずっと馬車の床を見ていた。ザウテルがラスティリアードの弁護のために力を尽くしてくれることに、ほんの少しだけ、安堵する気持ちはあった。しかし――
……もうないの? わたしにできることは、本当にこれだけなの?……
両手で顔を覆う。
……もう、何も失いたくない……
その時だった。沈黙を切り裂くような鋭い音と共に、馬車の窓ガラスが割れた。思わず耳を塞ぐ。何度か鈍い音がして、床の上に拳ほどの石が転がった。馬車が急停車する。
「何をするか?!」
御者のエルナトが叫んでいた。
「反逆者は地獄に落ちろ!」
遠くに男の声が聞こえた。すぐに血相を変えたエルナトがドアから飛び込んできた。
「お嬢様! 御無事で?!」
アルキュオネは縮み上がっていた。床の石からなるべく距離を取るように、膝を抱える。
……これは何? どうしてこうなるの?……
「……反逆者?……」
眉を顰めるエルナトの前で、アルキュオネはゆっくりと立ち上がった。扉の外を見る。
「……お嬢様?……」
「……違う……」
取っ手に手をかけて扉を開く。エルナトは慌てて彼女を庇った。
「お嬢様! 危のうございます!」
「違う! 反逆者じゃない!」
車内に押し戻そうとするエルナトに逆らって、アルキュオネは声を絞り出していた。
「反逆者なんかじゃない! 違う! 違うのよ!」




