第11話:鳥のように
本第11話は、「銀翼のキセキ」本編第三章第6節「覚悟」の一シーンを、アルキュオネの視点で再構成したものになります。
『聖暦三一三二年乙の月十二日、聖摂院監察局は、主への反逆の容疑で、五大貴族の当主であるラスティリアード=V=クロネッカと、かつての熱機関の権威であるアルベルト=ガリオネッティを逮捕したと発表した。二人は共謀して、神説典に抵触する空飛ぶ機械を作っていたと見られており、現在、監察局の方で捜査が続けられている。五大貴族の、しかも宗家当主が反逆行為に関わっていたことはこれまでに例がなく、今後の捜査の行方が注目される。』
――これが、アルキュオネがクロネッカ宗家に向かう間に、新聞から得ることのできた情報だった。保釈金を払って帰宅したラスティリアードは、彼女の父との激しい言い争いの中で、信念のために死を選ぶと宣言し、ショックを受けた父は、使用人達に支えられながら、来客用の一室へと運ばれていった。ラスティリアードは自室へと下がり、アルキュオネは、もう暫く前から、彼の寝室の前に立ち尽くしていた。
昨夜は一睡もできなかった。縁組の話に、父との衝突、そこにラスティ逮捕と、受け止めるには有り余るほどの出来事が立て続けに起きていた。彼女が感じている微かなめまいは、決して睡眠不足だけから来るものではなかった。
会って……何を言うの?……そもそも、私に何ができるの?……
ノックしようと手を上げる度に、同じ問いが頭をもたげる。
いっそ、眠っていてくれたら……そしたら……
アルキュオネは大きく頭を振った。遂に意を決して、寝室のドアをノックする。
「ああ、そのままでいいわ。疲れてるんでしょう?」
ベッドの上に身を起こしたラスティリアードに、部屋に入ったアルキュオネは言った。カーテンを引いた薄暗い寝室で、彼女はベッドの隅に腰を下ろした。
「叔父上はどうしている?」
「部屋で休んでるわ」
「そうか……」
後の会話は続かなかった。これほどまでに沈黙を苦痛に感じたことはなかった。
何て声をかけるべき? 一体、どんな調子で?……
「叔父上に何か言われたのだろう?」
不意にラスティリアードが尋ねた。それは、これまでにも幾度となく彼にかけられた言葉だった。その、あまりにもいつもと変わらぬ口調に、アルキュオネは自分の耳を疑った。
「えっ?!……ええ……ちょっと、縁組の話があってね」
そんな軽い感じで話すような内容ではなかった――少なくとも彼女にとっては――が、普段通りのラスティに感謝すると共に、自分もそれに応えなくては……そんな気持ちがあった。
「へえ……相手は誰だい?」
彼女は息をついた。
「……リーデンブロイのハイスよ……」
「そうか、それで……」
「冗談じゃないわ、誰があんな自分勝手な男と……」
いえ。自分勝手なだけじゃない。あいつは……。きっと、ラスティはあのことを知らない。だから……父と同じ反応になる。でも、ラスティは知らなくていい。それは、我が家の問題だから……
「そうかい? それを言うなら、ザウテルだって同じだろう?」
彼にとっては軽口だったのだろう。でも、海のような布で翼のドレスをプレゼントしてくれるザウテル様と、あいつを一緒にするなんて! 今の彼女には、余計に許せなかった。
「違うわ! 彼は奔放なのよ」
思わず声を荒げる。その真意を知らないまま、彼は天井を見上げて微笑んだ。
「……でも、アーネがあんなことを言ってくれるとは思わなかったよ」
アルキュオネは一瞬言葉に詰まった。
「私にだって、自分の人生について思うところはあるわ……」
言いながら、彼女は自問していた。あの擁護は、本当に彼を思ってのことだったのか……昨夜うやむやになった父への鬱憤を、彼にかこつけて晴らしたかっただけなのでは……。
我に返ると、彼女は苦笑した。
「……それより、私は、ラスティの方こそあんなことを言うとは思わなかった。もっといい子だと思っていたから……」
そう、狭き門のローゼンブラッド修学院に入学、そして卒業した自慢の甥――その彼が、あれほど父に盾突く場面を見たことはなかった。彼女とは違って、彼は、表向きだけでも父に従い、色々と呆れられながらも、父から良い心証を得ていたから……。
「いい子でなくて悪かったな」
ラスティの言葉に、二人は笑い合った。しかし、笑い声は直ぐに重苦しい雰囲気に掻き消された。
やがて息を整えると、アルキュオネは一番聞きたかったことを尋ねた。
「どうするの? これから……」
「さあ……どうすればいいと思う?」
拍子抜けするような答えに、アルキュオネは眉を顰めた。彼は、敢えてそんな風に言っているの? 大変な事態なのに……
彼女は慎重に言葉を選んだ。
「私にはわからないわ。新聞であなたのことを知った時、正直言ってやっぱり驚いたもの。どうしてそんなことをしたんだろうって……。それがラスティの夢だったら仕方ないけど、そう願うことが、果たして正しいことなのか間違ったことなのかは、私にだってわかるはずがないでしょう?……ただ……」
そこで、アルキュオネは躊躇した。
「ただ?」
ラスティリアードに促される。彼女は、いつだったか、塔の上から見た、飛び交う鳩の群れを思い返していた。耳元に羽音が蘇る……
「ただ……私だって、鳥のように空を飛んでみたいと思ったことはあるわ……そう考えることが、そんなにいけないことなのかしら?……」
彼に迎合した訳ではない。それは、彼女の偽らざる気持ちであった。あの時、確かに私はそう思った。いや、そう願ったのだろうか?……
「ラスティ?……」
彼からの返事がないことに気付いて、彼女は振り返った。
ラスティリアードは眠りに落ちたようだった。
アルキュオネは長い息をつくと、ベッドの上に置いた左腕に体重を預けた。体が重い。
……ねえ、どうしてそんな、「ちょっと先生に怒られた」みたいな態度なの? あなたの……あなたの……生死に関わることなのよ……
様々な人の、様々な言葉が彼女の脳裏を巡り出していた。めまいが強くなる。
<……アーネの親友がある男にぞっこんだったとする。ただ、その男にはいい噂を聞かない……まあ、そうだな……法を犯すような……>
……ザウテル様は、分かっていたのね……
<……隠してあることには、ちゃんとした理由がある。ばらすとロクでもないことになるからよ。そんなものを暴いたら、ショックを受けるに決まってるでしょ……>
……エレクトラ、ほんとそうだった……
そして――睡蓮池での、ロージェスタの嬉しそうな顔が思い浮かぶ。
「……ロージェ、ショックだろうなぁ……」
彼女のことを思うと、胸が軋んだ。押し潰され、幾重にも折り畳まれる心の悲鳴に、鼻の奥が熱くなる。
……泣いちゃダメ……泣いちゃダメ……
彼女は両手で口元を押さえた。肩を震わせる。昨夜の出来事以来、何年も封印していたはずの涙が、とめどなく溢れ出す。彼に気付かれてはいけない。
ラスティの寝顔を見る。幼い頃から変わらない、少しあどけない寝顔。
これが主への反逆者だと言うの?……
<……お嬢様も、どちらに付かれるか、お決めになった方がよろしいかと……>
リリィの言葉が思い返される。
……私は……私は……
涙は、既に手の甲の上に筋を引いていた。
……ダメ……決められない……
嗚咽を必死に堪えながら、アルキュオネはベッドの上にうずくまった――
「銀翼のキセキ外伝 もう一人のクロネッカ」をお読み頂きましてありがとうございます。第11話は案外早く執筆できましたが、第12話以降についてはもう少しお待ち頂きたいと思います。引き続き、お付き合い頂ければ幸いです。




