第10話:しまわれていたイメージ
「こちらのドレスは、波をイメージしたデザインでして、この部分で、寄せては返すリズムを、この部分では砕ける波頭を表しております」
眼鏡をかけた小太りの女店主が、人型に着せたドレスサンプルのコンセプトを説明していた。サンプルは、切替線の形がよく分かるよう、全て、白い生地を赤い糸で縫い合わせてあった。この、純粋にデザインだけを提示するのが、この店の売りであるらしかった。
しげしげとサンプルを眺めるアルキュオネの後ろで、ザウテルは腕を組んでいた。時折、人差し指で頬を掻く。
「う~ん、素敵は素敵なんですけど……他にはどういったものがありますの?」
アルキュオネの言葉に、頷いた店主は更に奥へと二人を案内した。
奥の部屋にも、様々な白いドレスを着た人型が、所狭しと置かれていた。
「まあ、凄いですね! これ、全部コンセプトがあるんですの?」
「はい。うちでは、全てのデザインに明確なコンセプトを設定しておりまして、お客様がイメージするものに一番近いものを提供できるよう、心掛けております」
「まあ。では、デザイナーの方も大変ですね」
「はい、そこは頑張ってもらっております。お客様にご満足頂くためですので」
「凄いですね。ありすぎて、ピンと来るものが見つかるかしら?」
そう言って、アルキュオネはザウテルを振り返った。微笑んだ彼は、どうぞご自由に、という風に片手を差し出した。
「ではこちらから説明致しますと……」
店主がそう言いかけた時だった。
「ああ、失礼、マダム・ソルトー、実は、生地の件でちょっとご相談がありまして、少しよろしいかな?」
「はい、もちろんです、公爵様。では、あちらで」
「すまないな、アーネ。少し一人で見てもらえるか?」
言いながら、ザウテルはウインクしていた。アルキュオネは微笑んだ。
「分かりました。どうぞお気になさらず」
二人が立ち去ると、静寂が部屋を満たした。
……ザウテル様、気を使って下さったのね。マダム・ソルトーには悪いけど、あの調子で、全てのサンプルを説明されたのではたまらない……
改めてサンプル達を見渡す。
……ほんと、凄いわね。花とかならまだ分かる。でも、風や波をデザインで表すなんて……
よく見ると、各サンプルには札がぶら下がっていた。その一つを手に取ってみる。何かの番号と共に、そこには『雨』と書かれていた。これがイメージか。
……当てられるかな?……
アルキュオネはその隣のサンプルを眺めた。
……これは……木?
札を手に取る。
……全然違った。じゃあ、これは……何これ?……蜘蛛?
微笑んだり、眉を顰めたりしながら、アルキュオネはサンプルのイメージ当てに夢中になっていた。
ふと、部屋の隅に目をやる。衝立の立てられた一角があった。何故か気になった彼女は、その陰を覗いてみた。そこにも、一着のサンプルがあった。
……これは?……
そっと衝立を寄せて、彼女はサンプルの前に立った。
胸の中央から、5本の切替線が、首と両肩、両脇から腰へと伸びていた。その曲線は途中でくっきりと折れ曲がり、独特の凹凸を形作っていた。愛らしい感じではない。凛とした意志を思わせる、流れるような曲線を繋いだ切替線であった。
……これ……
「アーネ? どこだ?」
ザウテルの声が聞こえた。
「こちらです」
やがて、サンプルの間から彼がやってきた。
「どうだ? 気に入ったデザインはあったか?」
微笑んだアルキュオネは、もう一度サンプルに目をやった。
「私、このデザインが気に入りました」
「ほう……」
ザウテルは顎に手をやった。
「どうでしょう? ちょっと大人っぽ過ぎますか?」
心配そうに振り返るアルキュオネに、彼は笑顔で答えた。
「いいや。アーネに相応しいデザインだ」
ゆっくりと視点を左右に動かしながら、彼は眉を顰めた。
「これは何のイメージだ?」
「それが……イメージの札が付いていなくて……」
ザウテルは、遅れてやってきた店主を振り返った。
「マダム?」
店主は、動かされた衝立に戸惑った表情を見せていた。眼鏡に手をやる。
「ああ……それは、その……『翼』のイメージでございます」
「翼?!」
ザウテルの目が見開かれた。顔から笑顔の気配が消える。アルキュオネは思わず彼を見た。どうしてそんなに驚かれるのか……しかし、彼がそれ以上の言葉を発することはなかった。
アルキュオネは、ゆっくりと店主に目を戻した。
「どうしてこれだけ札がないのですか?」
店主は目を伏せると、髪を整える仕草を繰り返した。
「あ~、それは、うちのデザイナーの渾身の一作だったのですが……神節典に抵触するのではないかとお話がありまして……」
「神節典に?」
「はい……主によって奪われた翼を、ドレスとして再び身に纏うというのは、果たしてどういったものかと……」
そう言うと、眼鏡の奥から窺うように、店主はアルキュオネとザウテルを見た。
ザウテルは苦笑した。
「フン! つまらんことを気にする者がいたものだ」
アルキュオネを見る。
「アーネ、どうしたい?」
アルキュオネはもう一度サンプルを見た。思いを確かめる。
「私は……やはりこれがいいです」
「そうか。……しかし、翼のイメージとは、お前達は本当に……」
天井を仰いだザウテルは眉根を寄せていた。
「お前達?」
アルキュオネは首を傾げた。
「まあいい。今日は、何というか……実に痛快だ!」
白い歯を見せたザウテルは、店主に向き直った。
「マダム、このデザインでお願いできるか?」
「いや、ですが……」
渋る店主に、ザウテルは腕を組んだ。
「客のイメージに一番近いものを提供し、満足してもらうのがこの店のモットーではないのか?」
「それは……そうなのですが……」
ザウテルは両手を腰に回すと歩き出していた。サンプルの前を巡る。
「ではこうしよう。このデザインのイメージは……今から『宿命』だ。他に『宿命』のイメージデザインはあるか?」
「いえ、ございませんが……」
「ならちょうどいい」
「しかし、それは一体どういう?」
店主に歩み寄ると、彼は顔を近付けた。
「意味はない。思い付きだ。どうだ? お願いできるか?」
間近に立った長身のザウテルに気圧されていた店主だったが、やがて覚悟を決めたように、ニッコリと微笑んだ。
「分かりました。この『宿命』のデザインで、ドレスをお作り致します」
「うん。頼む。仕上がりはいつになるかな?」
「そうですね……一月もあれば」
「分かった。では、仕上がったらまた来るとしよう」
そういうと、ザウテルはアルキュオネに目をやった。彼女は満面の笑みを浮かべた。
「楽しみですわ!」
* * *
「縁組?!」
カップを持つ手が止まっていた。父との夕食の後での、突然の話だった。
「そうだ」
紫茶を口にした父は頷いた。
「いや……でも……私まだ学生ですし……」
何とかそう返しながら、アルキュオネの頭の中では思考が渦を巻いていた。縁組? 私が? 何故?
父は微笑んだ。
「今すぐとは言わん。ただ、婚約ぐらいはしておいてもいいかと」
婚約? カップを持つ手が震え出す。彼女はゆっくりと紫茶を置いた。指が妙に取っ手に絡む。彼女は強張った笑顔を浮かべた。
「……お相手は誰ですの?」
彼女の言葉に、父は僅かに躊躇したように見えた。
「リーデンブロイ公だ」
「リーデン……まさか、ハイス?!」
アルキュオネは思わず立ち上がっていた。
「そうだ」
……父は冗談を言っているのだろうか?……頬の筋肉が思うように動かない……頬だけではない。喉も麻痺しているようだった。うまく言葉が出て来ない。
「お父様は……私が彼を嫌いなの、ご存じなのでは?」
父は苦笑した。
「それは初等院の時の話だろう?」
初等院の時の……? 何か、光が失われていく気がした。遥か彼方のテーブルの端に、父が霞んで見える。
彼女の沈黙に、父は顔を顰めた。
「……エッセンニーカのことか?」
そういうと、父は椅子にもたれた。
「家柄としては問題ないが、ヤツの人となりがな……。第一、お前は相手にされていないだろう?」
鼓動が高鳴る。胸が苦しいのに、息ができない。無理に吸い込むと全身が震えた。そのまま震えが止まらなくなる。テーブルに手を付いて、彼女は俯いた。
「……私達が、自由に殿方を選べないことは分かっています……でも、よりによってハイスだなんて……」
そこで彼女は口を噤んだ。胸の奥から込み上げてくるものが、口から出るのではないかと思ったからだ。しかし、灼熱のような塊は、喉を超えて鼻腔まで押し寄せた。
父は手を組むと、諭すように話していた。
「彼は今ではリーデンブロイ家の当主だ。協議会でも積極的に意見を述べ、旧態依然とした組織を改革しようとしている。まあ、少々急ぎ過ぎる感はあるが、立派な男だぞ。どうだ?」
その顔が滲んだ。眼球が焼けるようだった。天井を仰いだが、湯のような涙が、瞳から押し出されていた。歯を食いしばるほどに涙は溢れた。
テーブルクロスに涙を滴らせて、彼女は父を見た。何度も言いかけては息をつく。
「……お父様は……知らないの?……」
アルキュオネはようやく言葉を絞り出した。表情が苦悶に歪む。
「彼は……あいつは……お母様を侮辱したの! だから私は……あいつを絶対に許さない!」
最後は絶叫になっていた。肩を激しく上下させる。普段見せたことのない彼女の激しい感情に、父は呆然としていた。
ずっと言えなかった負の思いを吐き出すと、今度は、自分が内側へと潰れていくような気がした。アルキュオネは、不意によろめいてテーブルに肘をついた。
「……お父様なら、分かっていてくれていると思っていたのに……」
俯いたまま、彼女は呻いた。テーブルクロスに涙の沁みが広がる。
「アルキュオネ……」
父の言葉に、彼女は顔を上げた。縋るように彼を見る。青い瞳は絶望に満たされていた。
「お父様は……今まで一体……私の何を見てきたの?」
執事のベルナールが食堂に飛び込んできたのはその時だった。
「失礼致します! 旦那様!」
「後にしろ! 今、大事な話の最中だ!」
父は怒鳴り声を上げたが、ベルナールは引き下がらなかった。
「あ、いや、しかし、ラスティリアード様が!」
「ラスティリアードがどうした?」
天井を仰いだ父はうんざりしたような声を上げた。ベルナールは唾を飲み込んだ。
「はい、監察局に逮捕されたと!」
「逮捕?」
眉を顰めた父は立ち上がっていた。ゆっくりとベルナールに近づく。
「どういうことだ?! 一体何の容疑で?!」
「それが……」
ベルナールは一度俯くと、眼鏡に手をやった。上目遣いに父を窺う。
「……主への反逆行為だそうで……」
「反逆?」
父はみるみる青ざめた。何事かをベルナールに怒鳴る。そこから先は、アルキュオネにはよく聞こえなかった。何もかもが、自分から遠ざかっていくような気がする。
「……主への反逆?……」
テーブルの上にくず折れかけた彼女は、ベルナールの言葉を繰り返した。一体何が起きているのか、今の彼女には理解できなかった――
「銀翼のキセキ外伝 もう一人のクロネッカ」をお読み頂きましてありがとうございます。本第10話で、第一部の終了となります。第11話以降の公開につきましては、申し訳ありませんが、少しお時間を頂く予定です。引き続き、お付き合い頂ければ幸いです。




