第3話 癒やしのお粥と、空飛ぶお局(ナース)
【前書き】
いらっしゃい! 荒野の青空食堂『杏』へようこそ!
まずは第2話のクイズ、【システム(閻魔)からの挑戦状】の答え合わせからいくよ。
元・町工場のオヤジ、ペンジが、わーしのピカピカな背中を何に例えて褒めたか……。
正解は ②「長年使い込まれた、極上の漆器」 でした!
機械油と鉄粉にまみれて生きてきたオヤジの口から、まさか「漆器」なんて上品な言葉が
出るとは思わなかったよ。
でも、職人が一番惚れ込む「輝き」ってのは、ショーケースにうやうやしく飾られた宝石
なんかじゃない。持ち主の手の形にすり減り、極限まで手入れし抜かれた「道具」にだけ
宿る勲章なんだってこと、あいつはよく分かってるんだねぇ。
さて、今日はそんなペンジ、そして「経営マネージャー」のサトルと一緒に、お店の
「リフォーム」に取り掛かるよ。でもね、見渡す限りの青空が広がる荒野のど真ん中に、
空からとんでもない「厄介客」が降ってきて……。
荒野の朝は、ひどく早い。
肌をチクチクと刺すような乾燥した風が吹き抜ける中、わーしたちの拠点予定地には、
昨日までこの世界に存在しなかった「活気」の音が響いていた。
「キュッ……キュッ……、キュゥゥゥン……、キュッ……」
ペンジの丸太のように太い腕が、荒野に転がっていた巨大な平岩を、一定の規則正しい
リズムで撫で上げている。
彼が持っているのは、ただの布切れじゃない。わーしが魔力で生成した微細な研磨砂と、
魔物から採れた良質な脂を絶妙な比率で含ませた特製の布だ。
ほんの昨日まで絶望に暮れて荒野をさまよっていたオークの男が、今は岩肌に耳を押し
当て、まるで恋人の微かな吐息でも聞き逃すまいとするような真剣な眼差しで、ただ
ひたすらに岩を磨いている。
分厚い胸板には玉のような汗が光り、その熱気が冷たい岩肌にじんわりと伝わっていく。
彼が布を滑らせるたびに、くすんでザラついていたただの岩が、少しずつ、太陽の光を
美しく跳ね返す「鏡」へと変わっていく。
それを見ているわーしの頭の中は、もう朝からお祭り騒ぎさ!
(いいよいいよー、ペンジ! その調子で磨き上げな!
そこがわーしたちの城の顔、客の笑顔を受け止める「魂のカウンター」になるんだからね!)
わーし自身も、短い足をワサワサと忙しなく動かしながら、ペンジが磨き終えた場所に、
魔力で「脚」となる石柱をしっかりと固定していく。
ゴブリンのサトルはといえば、手製の石板(彼曰くタブレット端末)を小脇に抱え、
「タタタタッ!」と足早に走り回っている。
「店主! 北北西の岩陰に、わずかですが湿り気を感じる地層を発見しましたぞ!
さらにその奥には、耐火レンガの建材になりそうな良質な粘土質の土も!
これより私めがボーリング調査に入ります!」
前世のIT営業時代を彷彿とさせる謎の横文字と、無駄にキレの良い報告。
ゴブリンのくせに、サトルもすっかり有能な「マネージャー」の顔になっている。
何もない荒野に、家が建つ。店ができる。
ただそれだけの「予感」が、胸の奥をワクワクと跳ねさせる。こんな高揚感は、前世で
借金をして初めて自分の店を持った時以来かもしれない。
だが、その幸せなセッションを切り裂く不吉な轟音が、はるか上空から降ってきた。
「……ん? なんだい、あの黒い影は……」
わーしが空を見上げた次の瞬間。
――「ヒュゥゥゥゥゥ…………ドゴォォォォンッ!!」
「おわわっ!?」
ペンジが悲鳴を上げ、咄嗟に自分の巨体で「特製カウンター」を庇い込むように地面に
伏せた。
たった今、彼が数時間をかけて鏡のように磨き上げた真新しいカウンターから、わずか
数メートル先の地面。そこに、空から「何か」が凄まじい勢いで墜落してきたのだ。
ドーム状に大きく舞い上がる土煙。パラパラと空から降ってくる、散らばった緑色の
美しい羽根。
すり鉢状にへこんだクレーターの真ん中に横たわっていたのは、鋭い爪を持つ鳥の足と、
ボロボロに傷ついた人間の女性の体を持つ魔物――ハーピーだった。
「おい、アンタ! 大丈夫かい!?」
わーしがワサワサと慌てて駆け寄ると、彼女は意識が混濁しているのか、虚ろな目で
何もない宙を睨み、血の気の引いたひび割れた唇を微かに動かした。
「……点滴……、全、12番ベッド……。
……また、欠勤……? 嘘、よ……。
私、が……代わりに行かなきゃ……回らない……」
そのうわ言を聞いた瞬間、わーしの背筋にゾクッと冷たいものが走った。
この目は、知っている。
深夜の中華屋にふらりと一人で現れ、注文の品が来るまでの数分で、座ったまま気絶する
ように寝落ちしてしまうお客さん。限界まで自分を削り、自分の命の炎を燃やして、誰かの
ために戦い続けた「人間」の目だ。
「……ペンジ、こいつを日陰に運びな!
丁寧にだぞ!
サトル、水だよ! 一番綺麗な水を早く!」
彼女――エルザの意識は、深く暗い水底のような闇の中にあった。
そこは、無機質な電子音が支配する、終わりのない「白い戦場」。
(……ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……)
絶え間なく鳴り響く心電図の音。
(……ピーーーッ!)
誰かの人生の終わりを告げる、凍りつくようなアラーム。
(……キュッ、キュッ、キュッ!)
深夜の薄暗い廊下を、悲鳴のような音を立てて走るナースシューズの擦れる音。
『エルザさん、あっちの部屋で急変です!』
『エルザさん、申し訳ないんですけどシフト代わってもらえませんか!?
また新人が飛んじゃって!』
『ご家族が面会に来られました、至急対応お願いします!』
四方八方から押し寄せる声。終わらない書類の山。鼻を突く消毒液のツンとした匂い。
山積みのカルテが「バサッ、バサッ!」と音を立てて積み上がり、足は鉛のように重く、
ひどくむくんで感覚がない。食事といえば、ナースステーションの隅で三分で胃袋に
詰め込む、冷え切ったコンビニのおにぎりや、パサパサの栄養補助食品だけ。
彼女は、自分が音を立てて壊れていく音すら、日々の忙殺の中で聞き逃していた。
誰もいない夜勤のステーションで、書きかけの看護記録に突っ伏したまま、心臓が静かに
止まったあの日まで。
(……ああ。また、ナースコールが鳴っている……。
行かなきゃ……私が、行かなきゃ。誰も、やってくれないんだから。私がしっかりしなきゃ……)
暗闇の中で必死に立ち上がろうとするエルザの鼻腔を、不意に、嗅いだこともない
「温かい匂い」がくすぐった。
「シャクッ……、シャリ……、トトトンッ」
それは、何かを極めて薄く、正確に刻むリズミカルな音。
「プクゥ……ププッ……、コトコト……」
そして、何かが優しく煮える、穏やかで丸みを帯びた音。
「……ん、ぁ……?」
エルザが鉛のように重い瞼をゆっくりと開けると、そこには眩しい青空と、鏡のように
ピカピカに光る岩のテーブルがあった。そしてその上で、ひっくり返って短い足を必死に
ワサワサ動かしている、奇妙な巨大な丸虫がいた。
「おっ、気がついたかい。
アンタ、魔物のくせに随分とひどい顔してたよ」
わーしは優しく声をかけながら、背中の甲殻の温度を徐々に下げていく。
自身の体を「かまど」代わりにしていたのだ。
「さあ、喋らなくていいから、まずはこれを飲みな。
アンタの冷え切った胃袋と、すり減った神経を温める特効薬さ。
『医食同源』ってね」
わーしが魔力で作り出したお玉で掬い、木の葉の器によそって差し出したのは、とろとろに
煮込まれた、白銀色に輝くお粥だった。
ただの白粥じゃない。ペンジが極限まで研ぎ上げた包丁で、透けるほど極細に刻んだ針生姜。
サトルが荒野で見つけてきた「魔力クコの実」。
そして、干し貝柱の代わりに、土地の魔物の骨から半日かけて抽出した濃厚で澄んだ出汁が、
お米の一粒一粒を、まるで白い花のようにふっくらと美しく開かせている。
立ち上る湯気からは、食欲を優しく刺激する滋味深い香りが漂っていた。
エルザは震える両手で器を包み込み、ゆっくりとそれを口に運んだ。
「ズズゥ……」
喉を通る、熱く、柔らかな液体。
米の優しい甘みと出汁の強烈な旨味が、生姜の爽やかな刺激とともに、ずっと空っぽだった
胃袋へ真っ直ぐに落ちていく。
「……はふぅ……っ」
何年分も溜まりに溜まっていた重たい吐息が、音になって漏れた。
うるさい電子音も、アラームも、誰かを叱咤する自分の声も、今はもう聞こえない。
ただ、温かいお粥が胃の腑をじんわりと温め、体温を上げていく「トクッ、トクッ」
という自分の力強い心音だけが、心地よく耳の奥で響いていた。
「……美味しい……。なに、これ……。
私、こんなに静かに、誰かが作ってくれた温かいご飯を食べたの……何年、ぶり……?」
ポロポロと、エルザの大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ち、器の中に小さな波紋を作った。
「アンタ、ずっと空の上から『誰かの異常』ばっかり探してただろう?
だから、自分の心が空っぽになった音に気づかなかったんだよ。
自分の傷は、自分じゃ一番見えにくいもんさ」
わーしはワサワサと足を鳴らして笑った。
「ここは荒野のどん詰まり。
憎きシフト表もナースコールもない。
あるのは、わーしが作る熱い飯と、ペンジが磨いた岩だけさ。
安心してお食べ」
エルザは袖で乱暴に涙を拭うと、ズズッ、ズズズッ!と、音を立てて一心不乱にお粥を
かきこんだ。あっという間に器を空にすると、彼女は深く息を吐き、そして――突然、
その眼光を鋭く尖らせた。
「……店主」
「なんだい。もう一杯、おかわりかい?」
エルザは黙ったまま、わーしの複雑に動く40本の足を、まるで不良品を検品するかのような
冷徹な目で見つめている。
それは、涙を流していたか弱い女性の目ではない。前世で、数多の患者の命を救い、そして
見送ってきた、一切の妥協を許さないあの「プロの目」だ。
「アンタ……その足、どうしたの?」
「えっ? ああ、これかい。まぁ、魔物(丸虫)になっちまったからねぇ。
いっぱいあって不気味だろう?」
わーしが自嘲気味に笑うと、エルザはフッと鼻を鳴らし、少しだけ口角を上げて笑った。
「……いいえ。『合格』よ。
まさかこんな荒野の魔物が、そんな覚悟を持っているなんてね。
少し見直したわ」
「は? 合格? 見直した? 一体何の話だい?」
わーしが首を傾げると、エルザはガバッと起き上がり、バサァッ!と緑の翼を広げた。
そして、鋭い爪でわーしの鼻先をビシッと指差した!
「いいこと、店主! アンタのその料理人としての『覚悟』は認めるわ。
でもね……この調理場の環境はマイナス100点よ!!」
「ええっ!?」
「あっちで岩を磨いてる巨漢! 汗の始末はどうなってんの!
そっちの小柄なゴブリン、土まみれの足で厨房予定地に入るんじゃないわよ!
砂埃! 滅菌不足! 動線管理の甘さ! ――いいこと?
今日から私がこの店の『法』よ。
衛生管理責任者として、一切の文句は言わせないわよ!!」
「ひ、ひぃぃぃぃ! 助けておくれよペンジー! サトーー!
とんでもないお局様を雇っちまったよ!!
……ほら店主! アンタもそこで突っ立ってないで、
まずはこの床の土埃からどうにかするわよ! 動く!」
荒野に、わーしの悲鳴と、エルザの鋭い「衛生指導」の怒声が響き渡る。
「サリサリ……キュッ、キュッ……」
その横で、ペンジは我関せずと、新しいカウンターを黙々と磨き続けていた。
こうして爆走食堂に、最強にして最恐の「空飛ぶお局様」が加わったのだった。
いやはや、とんでもないお局様を拾っちゃったよ!
でも、泣き崩れていたエルザの顔に赤みが戻って一安心さ。やっぱり「温かい音」と
「美味い飯」は、どんな魔法の薬よりも効くんだねぇ。おほほほほ!
……って、エルザ! 浄化魔法をわーしに直接かけすぎるんじゃないよ!
殻がふやけて風邪ひいちまうじゃないか!
【システム(閻魔)からの挑戦状:Q3】
さて、衛生管理責任者(お局)として強制的に仲間に加わったエルザ。
彼女はマリアンの「ある部分」を見た瞬間、心の中で「……この人、分かってるじゃない」
と、初めて相手をプロの同志として認めました。
厳しい現場を生き抜いたナースだった彼女が、一目でマリアンの「料理人としての覚悟」
を感じ取ったそのポイントとは何だい?
① 厨房の隅々まで行き届いた、魔力による「空気清浄」
② 常に短く切り揃えられ、一点の汚れもないマリアンの「足先(爪)」
③ 32年間、一度も欠かさず書き続けられた「まかないの献立ノート」
【おばちゃんからのヒント】
いいかい、エルザはただの潔癖じゃないんだ。
「命を預かる現場」に立っていた女が、相手が本物かどうかを判断する時、最初に見る
場所はどこか……。
本文でエルザがわーしの『どこ』を見ていたか、よく思い出しな!
【おばちゃんからのお願い】
おっと、お粥を啜ったついでに、そこの『ブックマーク』と『評価(★)』をポチッとしておくれ!
あんたの応援が、わーしの鍋を振る火力の源なんだからね。
最近は「空飛ぶお局様」の監視が厳しいから、そこのお疲れのお姉さんも、腹ペコのお兄さんも、
代わりに「この店、安全だよ!」ってSNSでバズらせておくれよ。
よろしく頼んだよ、あんたたち!




