五
十一月になっていた。
彼女がいつも使う洗濯機は三番だった。三番の洗濯機は他より少し音が静かで、彼女はいつも迷わずそこに向かう。自分は特に決まった番号はなかったが、いつからか五番を使うようになっていた。理由はない。
会えば頷き合い、たまに短い言葉を交わす。天気のこと、洗剤のこと、乾燥機の温度のこと。どれも三往復以上は続かなかった。名前も知らないし、互いに訊かなかった。
以前は、洗濯物が溜まったら来ていた。三日おきのこともあれば、一週間空くこともあった。最近は木曜と日曜に来ることが多い。洗濯物の量とは関係がなかった。何度か重なるうちに、身体がその周期を拾っていた。
その夜は風が強かった。コインランドリーの窓ガラスが、ときどき細かく震えた。乾燥機の前に座っていると、彼女が入ってきた。
ランドリーバッグを持つ手に力が入っていた。顔は笑っていた。笑っていたが、目のあたりが強張っていた。ドアを開けるとき、冷たい風が一緒に入ってきて、彼女の髪を乱した。彼女はそれを気にしなかった。
「こんばんは」
声はいつも通りだった。明るくて、少し高い。頷いた。
彼女は三番の洗濯機に向かった。バッグを開けて中身を入れようとして、手が止まった。数秒、バッグの中を見つめていた。それから何事もなかったように洗濯物を入れ始めた。洗濯物は少なかった。バッグの大きさに対して。
乾燥機の窓を見ていた。衣類が回っている。
彼女は洗濯機を回して、ベンチに座った。いつもの距離。ここ数回で定まった、二台分くらいの間隔。文庫本は持っていなかった。スマートフォンも出さなかった。両手を膝の上に置いて、洗濯機の窓を見ていた。
風が窓を叩いた。彼女の肩が小さく跳ねた。
「風、すごいですね」
彼女が言った。声はまだ明るかった。
「うん」
「洗濯物、飛ばされそう」
少しだけ笑った。彼女もつられたように笑った。でもその笑いはすぐに消えて、彼女はまた洗濯機の窓を見つめた。
沈黙が戻った。機械の音と、風の音。その中に座っていた。
十分ほど経ったとき、彼女の呼吸が変わった。
それまで浅く速かった呼吸が、少しだけ深くなった。肩の位置が下がった。膝の上の手が、握られていたのがゆるんだ。
彼女は何も言わなかった。自分も何も言わなかった。乾燥機と洗濯機が回っている。風はまだ強かったが、窓ガラスの震えが気にならなくなっていた。
乾燥機が止まった。衣類を取り出して、畳んだ。畳んでいるとき、袋に油性ペンで書いた自分の名前がちらりと見えた。消えかけの、小さな字。
「おやすみなさい」
彼女が言った。初めてだった。自分が帰るとき、彼女が声をかけたのは。
「おやすみなさい」
そう返して、店を出た。風が顔に当たった。自転車に乗って走り出すと、背中にコインランドリーの明かりが遠ざかっていくのがわかった。
振り返らなかったが、わかった。




