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風の止まる法廷



「被告人、あなたは大鐘楼の第七隔室へ入った時点で、祭務卿ヴァルド・セインを殺害する意思を有していましたか」公訴官の問いは、すでに三度、形を変えて法廷へ置かれていた。最初は刃を携帯した理由として、二度目は隔室の封印を解いた目的として、今度はもっとも短く、もっとも逃げ道のない言葉へ削られている。大衡廷の天井近くを巡る開口部から細い風が差し込み、証言台に立つ女の灰褐色の髪をわずかに揺らした。中央席のレイヴァン・エル=カディムは、机上に並べられた十二冊の調書へ目を落としたまま、返答を急かさなかった。沈黙を恐れて言葉を継ぎ足す者は多い。弁明のつもりで事実を歪め、誠実さを示そうとして自らの記憶に筋書きを与え、やがて本当にその筋書きしか思い出せなくなる。千年余りの歳月にわたって法廷へ身を置いてきた彼は、沈黙が虚偽を生むことも、沈黙だけが守れる真実も知っていた。「有していました」被告人ミラ・オルネスは、声を震わせずに答えた。傍聴席の奥で衣擦れが連なり、書記官の羽根筆が一斉に紙面を擦った。彼女の背後には公弁官が立っていたものの、制止する素振りは見せなかった。何を言えば刑が軽くなるかではなく、何を言わなければこの裁判そのものが嘘になるかを、すでに二人で選び取っているらしかった。「殺害の意思は、いつ生じましたか」「隔室へ入る前です」「何日前です」「九日前です」「九日前には、祭務卿が〈静謐冠〉を起動することも、それによって北環区の避難民三万四千余名が暴風災害から守られることも、あなたは知っていた」「知っていました」「起動を阻止すれば防護風壁が完成せず、死者が出る可能性も」「知っていました」


公訴官は一度だけ息を整え、証言台の正面へ置かれた黒い箱を示した。箱の中には、長さにして掌二つ分ほどの儀礼刀が収められている。刀身は乳白色に曇り、中央には乾ききった褐色の筋が残っていた。祭務卿の胸骨の間を抜け、心臓を貫いた刃である。魔術的な洗浄を拒む誓銀で作られているため、血痕も、握った指の皮脂も、殺意の有無とは無関係に残留する微弱な思念痕も、事件当夜のまま保存されていた。「では確認します。あなたは、三万四千人を守るために公務を遂行していた祭務卿を、結果を理解したうえで、あらかじめ用意した刃により刺殺した。相違ありませんね」「相違ありません」「その結果、北環区では三百十七名が死亡し、千二百名以上が重軽傷を負った」「数は知っています」「あなたが守ろうとした〈冠座者〉は八百六十四名。そのうち、起動直前に退避できなかった十一名が暴風で死亡しています」「知っています」「ご自身の行為を、いまも正しいと考えますか」ミラの視線が初めて揺れた。公訴官ではなく、被告人席の右手に設けられた遺族席へ向いたのである。三百十七の死を一つの席へ収めることはできず、そこに座っているのは代表として選ばれた二十名だけだった。乳児を亡くした母親、避難誘導中に部下を失った警務官、倒壊した診療所から妹の遺体を掘り出した医師、祭務卿の兄、名札を膝の上へ置き続ける老人。悲嘆の形はそれぞれ異なり、視線だけが同じ方向へ揃っていた。「正しいとは、考えていません」公訴官の眉がわずかに動いた。「それでは、誤りだったと認めるのですか」「それも認めません」「正しくもなく、誤りでもないと」「そのように聞こえたなら、私の言葉が足りませんでした。私は、正しい行いをしたのではありません。私が選んだのです。選んだ結果について、正義という言葉へ責任を押しつけたくありません」


傍聴席に低いざわめきが広がった。公訴官は反論を挟もうと口を開き、中央席から上がったレイヴァンの指先を認めて言葉を止めた。首席衡理官が発言を求めるとき、風鐘を鳴らすことはない。風鐘は開廷を告げるためのものであり、裁判官の声へ権威を付け加える道具ではないからである。「オルネス被告人」レイヴァンの声は低く、よく通った。石壁に反響して大きく聞こえる種類の声ではなく、遠くにいる者ほど耳を澄ませざるを得ない調子だった。「あなたはいま、正義へ責任を押しつけない、と述べました。耳触りのよい言葉です。耳触りがよすぎる言葉を法廷へ持ち込むとき、私は少しばかり用心することにしています。美しい言葉は刃物に似ている。柄の装飾へ見惚れているあいだに、誰の血が付いているかを見失わせます。そこで飾りを外して尋ねましょう。三万四千余名の生存可能性より、八百六十四名の精神と自由を優先した、それがあなたの選択ですか」「はい」「八百六十四名が〈静謐冠〉へ接続された場合、肉体は生存し、呼吸も食事も睡眠も続く。医術上の死には該当しない。法的にも、現行の非常風害対策令は冠座期間を最長七年とし、解除後の人格回復治療を国の義務として定めている。あなたは、彼らが殺されるところだったと供述してきましたね」「殺されるところでした」「医学官三名は、人格回復の見込みを四割から六割と証言しました」「残りは戻らない」「戻らない可能性がある」「名前を呼ばれても振り向かず、母語を聞いても意味を受け取れず、自分の子を見て他人と同じように微笑む者を、戻ったと呼べるのですか」「質問をしているのは私です」「失礼しました」


「謝罪は不要です。問い返したくなる理由も理解します。私自身、八百年前に似た術式で帰還した者を三人知っています。一人は以前の名を捨てて別の町で織工になり、一人は自分の過去を記録として学び直し、最後の一人は回復したと判定された翌朝に塔から身を投げました。回復という語は便利で、便利な語ほど多くの違いを覆い隠します。それでも、裁判所は言葉を捨てられません。曖昧さを嫌って定義を細くしすぎれば、現実のほうを切り落とすことになる。広くしすぎれば、何も判断できなくなる。あなたが〈殺される〉と呼んだ出来事について、何が奪われるから殺人に等しいと考えたのか、あなた自身の言葉で説明してください」ミラは唇を閉じ、しばらくして両手を証言台の縁へ置いた。指先には小さな傷が無数にあり、祭具整備士として長年働いてきた痕跡が残っている。「選べなくなるからです」「何を」「すべてを。誰を愛するか、何を恐れるか、どの記憶を恥じるか、どこへ帰りたいと思うか、自分の名前を残したいか捨てたいか、朝に目を開けたとき今日を生きる理由を探すか、もう探さないか。冠座者は生きたまま風壁の演算へ使われます。痛みを感じないよう感情の波を平らにされ、抵抗しないよう過去との結びつきを薄くされ、命令に乱れが出ないよう互いの思考を縫い合わされる。七年後に糸を解いたとしても、ほどけた糸が元の布へ戻るわけではありません。呼吸が続くことを生存と呼ぶなら、生存です。私は、それだけでは足りないと思いました」「思った」「はい」「八百六十四名全員に確認しましたか」「できませんでした」「冠座候補者のうち三百十二名は、北環区に家族を持っていた。自分の人格が損なわれても家族を救いたいと望んだ者がいた可能性を、あなたは否定できますか」「否定できません」「志願書へ署名した者も百九名いました」「あの署名は、選ばれたあとで提出させられたものです」「強制があったと」


「選ばれた者へ、拒否すれば北環区の死者数が増えると説明し、その場に神官と警務官を立たせ、家族の住所を記した名簿を机へ置き、それから自由意思による署名欄を差し出した。あれを強制と呼ばないなら、強制という言葉は何のためにあるのですか」「言葉の目的を尋ねるのは、しばらく後にしましょう。拒否した者は処罰されないと告知されていた」「拒否した名前は公開される予定でした」「公益上の説明責任として」「恥辱を刑罰の名簿から外せば、自由になるのですか」レイヴァンは返答せず、机上の資料から一枚を取り上げた。非常風害対策令第六十七条、冠座者選定手続。六年前、風議院を通過し、王の署名を得て、大衡法院も別件の違憲審査で枠組みそのものは適法と判断した条文である。議会は三日三晩の討議を行い、術式の危険性、拒否権、補償、解除後の治療、家族への扶助、選定における身分差別の禁止まで定めていた。整っていた。恐ろしいほどに整っていた。悪意の粗雑さは見つけやすく、善意の精密さは長く生き延びる。手続を備えた暴力は自らを暴力と呼ばず、説明を与え、署名を求め、救済制度を設け、最後には被害を受ける者へ感謝まで要求する。「オルネス被告人、あなたの批判は理解できます。理解できることと、認められることは同じではありません。裁判官が自分の理解へ法を従わせるようになれば、法廷は慎み深い独裁者の居室になります。粗暴な独裁者より多少は住み心地がよいかもしれませんが、鍵を持つ者が一人である点は変わらない。非常風害対策令は成立手続を満たし、冠座者の拒否権を明記し、司法審査の道も残していた。あなたは差止めを申し立てなかった」「時間がありませんでした」「起動予定を知ったのは九日前です。緊急申立ては夜間でも受理されます」「止めてもらえると思えませんでした」「思えなかった」「六年前、同じ法院が適法と判断したからです」


十三名の衡理官のうち、三名がわずかに姿勢を変えた。六年前の判断に加わった者が二名、その判決の調査官を務めた者が一名いる。レイヴァン自身は当時、反対意見を書いた。冠座制度を直ちに違憲とするには記録が足りないとしながら、拒否の意思形成へ国家が介入する危険を指摘し、候補者名簿の公開禁止と独立代理人の選任を求めた意見である。多数意見は、その懸念を将来の運用問題として退けた。「裁判所が以前に誤っていた可能性はあります」法廷の空気が変わった。判決を守ることと、司法の権威を守ることを同一視する者にとって、首席衡理官の言葉は不用意に聞こえただろう。レイヴァンは続けた。「裁判所は誤ります。王も、議会も、神殿も、医術院も、被告人も、公訴官も、私も誤る。法衣は視力をよくする衣服ではありません。長く生きれば誤りが減るという話も、私は信じていない。長命とは、賢明さより先に、同じ愚かさを別の名で繰り返す技術を身につけることです。私が若かった頃、ある国では思想を抜き取る刑が死刑より慈悲深いと称されていました。肉体を傷つけず、家族のもとへ返せるという理由でね。刑を受けた者たちは食卓へ座り、頼まれれば笑い、命じられれば眠った。家族は最初の一月、帰還を祝った。二月目には話しかける回数が減り、半年後には多くが施設へ預けられた。その刑を認める判決文へ、私は署名しています。当時の私は、処刑よりましだと考えた。比較によって残酷さを薄められると思っていたのでしょう。ゆえに、あなたが冠座を死と呼ぶ感覚を、私は嘲りません。同時に、過去の私への嫌悪を、現在の法解釈へ混ぜることも許されない。あなたにも同じことを求めます。制度が恐ろしかったという感情と、祭務卿を殺すほかに手段がなかったという判断を分けてください」ミラの喉が動いた。「分けられません」「なぜです」「私が恐れたから、殺したのです」「何を恐れた」


「制度をではありません。制度に従っていた自分をです」公弁官が目を閉じた。公訴官は表情を動かさず、遺族席では祭務卿の兄が身を乗り出した。レイヴァンは証言台から視線を外さなかった。「続けてください」「私は冠座装置の整備主任でした。候補者の頭部へ接続する環を検査し、記憶を均す術式の誤差を測り、拒絶反応が強い者には鎮静符を追加しました。最初の試験で、被験者の一人が自分の名を忘れたとき、私は記録欄へ〈軽度の一時的混乱〉と書きました。二人目が母親の顔を見ても反応しなかったときは〈情動応答の遅延〉、三人目が解除後に自分の舌を噛み切ろうとしたときは〈回復過程における自傷傾向〉。全部、正確な言葉です。嘘は書いていません。正確な言葉を並べるほど、何が起きたのか見えなくなりました」「祭務卿は、その報告を読んでいた」「はい」「改善を命じた記録があります」「ありました」「被験者への補償も増額した」「はい」「あなたの異議を封じた形跡はない」「ありません」「それでも殺した」「はい」「彼が残酷だったからではなく」「違います」「私利を得ていたからでもなく」「違います」「彼は自分の娘を候補者名簿へ入れていた。身分による例外を作らないために」「知っています」「祭務卿自身、起動後は冠の中心核へ接続され、七年間ほぼ意識を失う予定だった」「知っています」「ならば、彼は他者へだけ犠牲を強いたわけではない」「そうです」「彼が誠実であったからこそ、あなたは止められなかったのですか」ミラは長く息を吐いた。法廷へ流れ込む風が弱まり、天井の風布が垂れた。王都の外では昼刻を告げる鐘が鳴っているはずなのに、厚い石床を通しては届かない。「誠実な者が、正しい手続で、必要な犠牲を選び、選ばれた者と同じ痛みを引き受けると誓ったとき、それでもしてはいけないことがあると、誰が言えるのですか」


その問いは公訴官へ向けられたものではなく、弁護人にも、遺族にも向いていなかった。十三の裁判官席の中央、銀の環を襟元へ留めた異邦の魔人へ、まっすぐ差し出されていた。レイヴァンは椅子の背へ体重を預けなかった。疲労を見せまいとするためではない。受け取るべき問いを、権威の高さで遠ざけないためだった。「言える者は、いくらでもいます。酒場で、説教壇で、議会で、葬儀の席で、子を抱く寝室で、歴史書の余白で、誰もが言える。してはいけない、仕方がない、ほかに道はない、私なら耐える、私なら拒む。言葉を口にする資格は広くてよい。法廷で問題となるのは、その言葉を他者の身体へ及ぼす権限を誰に与えるかです。祭務卿には非常令が権限を与えた。あなたには与えていない。ここまでは簡単です。法を読むだけなら、今日の審理は半刻で終わる。あなたは故意に祭務卿を殺した。正当防衛の対象となる急迫の違法侵害は、従来の解釈では認めにくい。非常令に基づく公務を暴力で妨害し、その結果として多数の死者が生じた。条文は整然と有罪へ向かっています」公訴官の手元で羽根筆が止まった。ミラは目を伏せなかった。「簡単でないのは、法が祭務卿へ与えた権限そのものが、第一の侵害ではなかったかという点です。違法でなければ防いではならないのか。適法な命令によって人格を失わされようとする者は、命令が撤回されるまで静かに待たねばならないのか。裁判所が誤って承認した制度へ抵抗した者を、裁判所は自らの過去を棚へ上げて罰するのか。反対に、各自が法の誤りを確信するたび殺害を許せば、判決より刃の速さが国を治める。あなたの行為を赦す理由は、そのまま別の者が医師を、役人を、教師を、親を、異なる信仰の隣人を殺す理由へ変わり得る。自分だけは正しく例外であるという確信ほど、昔から大量の墓を作ってきたものはありません」レイヴァンは黒い証拠箱へ目を向けた。


「あなたは一人を殺して八百六十四名を救ったと主張する。公訴側は、一人を殺し三百十七名を死なせたと主張する。数字はどちらも事実であり、どちらも全体ではない。数を用いずに国家を運営することはできません。食糧、病床、避難路、兵員、税、危険率、すべて数えなければ配れない。数え始めた途端、顔は薄くなる。三百十七の死と八百六十四の喪失可能性を天秤へ載せれば、天秤は何かを示すでしょう。問題は、秤に載せられないものを、存在しないことにしてよいかです。誰かの名、誰かが自分で選んだ記憶、誰かが拒む権利、誰かの死後に残る空席。法は測るために作られ、同時に、測れないものを無理に同じ単位へ変えないためにも作られた。その二つは仲が悪い。私たちは、その不仲を制度と呼んで日々なだめています」「裁判長」祭務卿の兄が遺族席から立ち上がった。警務官が動きかけ、レイヴァンは掌をわずかに下げて制した。発言許可を得ていない者が審理を遮ることは、本来なら退廷の理由になる。老いた男の顔には怒りより疲労が深く刻まれていた。「弟は数字ではありません」「承知しています」「承知している顔には見えない」「その点について、私はしばしば同じ評価を受けます」「弟は、自分も冠へ入るつもりでした。逃げなかった。娘まで名簿へ載せた。毎晩、候補者の家を訪ねて頭を下げた。石を投げられても、窓を割られても、やめなかった。あの女は、そんな弟を背中から刺した」「胸部正面からです」男の顔が歪んだ。法廷の誰かが息を呑み、レイヴァンは言葉を重ねた。


「訂正が残酷に聞こえることは承知しています。それでも、裁判所が事実を慰めに合わせて曲げることはできません。祭務卿は被告人と向き合い、左手で刃を掴み、右手で起動鍵へ触れた状態で刺されています。彼が勇敢であったことも、責任から逃げなかったことも、被告人を見たまま死んだことも、記録から読み取れる。私はそれを小さく扱うつもりはありません」「なら、なぜ弟を守らない」「死者を守るとは、何を意味しますか」「名誉を」「無罪の者として記憶することですか」「当然だ」「祭務卿はこの事件の被告人ではありません。有罪か無罪かを宣告する席に座っていない。彼の政策が違憲であった可能性を検討することは、彼の生涯を犯罪へ変えることではない。誠実さと適法性も、勇気と正しさも、同じ箱へ入れてはなりません。善良な目的を持つ者が越えてはならない線を越えることはある。卑しい動機を持つ者が適切な警告を発することもある。人格の評価によって行為の法的性質を決めれば、評判のよい者には広い自由を、嫌われた者には狭い自由を与えることになる。あなたの弟君の尊厳を守るためにも、彼を完全な善の象徴へ閉じ込めるべきではないと、私は考えます」「弟を知らないくせに」「知りません。記録を読み、証言を聞いた。それ以上を知ったふりはしない。千年生きても、死者一人の内側を所有するには短すぎます」老いた男は何かを言おうとして、声にならない息だけを吐いた。警務官に支えられ、ゆっくり腰を下ろした。レイヴァンは謝罪しなかった。謝罪が必要でないからではない。いま差し出せる謝罪は、手続を進める者の都合で悲嘆へ蓋をするものになると知っていた。公訴官が立ち上がった。「首席衡理官、遺族の心情へ配慮することと審理の焦点を保つことの双方から、質問を再開したく存じます」「許可します」「被告人、あなたは祭務卿を刺した直後、起動鍵を破壊しましたね」「はい」


「祭務卿が死亡した時点で、起動を引き継げる副祭務官が二名いた。鍵を破壊したのは、殺害後も儀式を阻止する意思を保っていた証拠ではありませんか」「その通りです」「さらに、制御室の風路図を焼却した」「はい」「復旧を遅らせるために」「はい」「その遅延が、北環区の防護壁完成を不可能にした」「はい」「被告人の弁護側は、あなたの行為を八百六十四名に対する緊急救助と位置づけています。祭務卿の死亡だけで目的は達成されていたのではありませんか。鍵の破壊と風路図の焼却は、救助に必要な限度を超えている」「副祭務官が起動できたからです」「別の手段で説得することは」「ありませんでした」「なぜ断言できる」「私は三年間、毎日説得しました」「あなたの意見が採用されなかったことを、説得不能と呼んでいるだけでは」ミラの肩がわずかに落ちた。「そうかもしれません」「認めるのですね」「私が、自分の言葉を過大に評価している可能性は認めます。三年話して届かなかったから、四年目にも届かないとは限らない。九日しかなかったから、九日目の最後の一息まで話すべきだったとも思います。私は途中で、言葉が届かないと決めました。決めたほうが、刃を持ちやすかった」公訴官の問いが一拍遅れた。用意していた論理へ、被告人が自ら先回りしたからである。「後悔していますか」「毎日」「何を」「全部です」「祭務卿を殺したことも」「はい」「冠座を止めたことも」「はい」「両方を後悔するのですか」「一つだけ後悔できるほど、きれいに分かれていません」「その答えで責任を曖昧にするつもりでは」「責任は曖昧になりません。私が刺しました。私が鍵を壊し、図を焼きました。三百十七名が死ぬ可能性を知りながら止めました。八百六十四名を守りたいと思い、その中に私の息子がいることも知っていました」


法廷が静まり返った。これまでの審理で、ミラの息子が冠座候補者だった事実は明らかにされていた。公訴側は動機の中心と位置づけ、弁護側は親族関係を超えた公益目的を主張している。ミラは初めて、自分の口から息子の存在を選択の中へ置いた。「息子を救うためだった」「息子も救いたかった」「同じではありませんか」「同じに見えるでしょう。私にも、どこまで同じか分かりません。息子が名簿になければ刺さなかったのか、何度考えても答えが変わります。刺さなかったと思う朝もあり、誰が選ばれていても刺したと思う夜もある。都合のよい記憶を作って、自分を母親ではなく八百六十四名の救助者に見せることもできます。反対に、すべてを身勝手な母親の罪へ縮めれば、制度の問題から目を逸らせる。どちらも嘘です」公訴官は視線をレイヴァンへ向けた。証言が法的争点から離れつつあるとの異議を予告する目だった。レイヴァンは止めなかった。動機は刑事責任の核心にあり、被告人自身が矛盾を認める言葉は、整えられた自白より重いことがある。「オルネス被告人」レイヴァンが呼びかけた。「あなたは、息子が候補者でなければ刺したか分からないと述べた。判決を下す側にとって、不確かな動機は扱いにくい。扱いにくいから、しばしば一つへまとめられます。愛ゆえの犯行、信念による犯行、私怨、恐怖、義憤。名札を付ければ棚へ置ける。しかし実際の選択は、もっと雑多です。愛する者を救いたい気持ち、見知らぬ者を見捨てたくない気持ち、自分の仕事への嫌悪、上司への失望、過去の沈黙を清算したい欲望、英雄になりたい虚栄、罰せられたい衝動。それらが同じ器へ入り、本人にも分けられないまま腕を動かす。法は、その混合物から責任を読み取らなければならない。そこで尋ねます。あなたは祭務卿を憎んでいましたか」「愛していました」遺族席で誰かが立ち上がりかけ、公弁官が息を詰めた。公訴官だけが動かなかった。


「どのような意味で」「師として。父のように。私が十六の頃、工房の火災で家族を失い、言葉もまともに出なくなった時期に、祭具の修理を教えてくれました。失敗した部品を捨てず、どこが壊れたか一緒に探してくれた。私の息子の名も、彼が付けました」「彼も、あなたを愛していたと思いますか」「思います」「それでも刺した」「愛していたから、彼を悪人にして憎むことができませんでした。悪人なら、もっと早く止められた」大衡廷の上を流れていた風が、ほとんど消えた。風の国の最高法廷で風が止まると、誰もが無意識に天井を見上げる。古い迷信では、風の沈黙は神が耳を傾けている徴とされる。レイヴァンはその解釈を好まなかった。神の沈黙へ意味を与え始めれば、やがて自分の望む答えを神意と呼ぶようになる。「公訴官、残りの質問は」「一つです」公訴官は証言台へ向き直った。「被告人、祭務卿は刺される直前、あなたへ何と言いましたか」公弁官が立ち上がった。「異議があります。被害者の最終発言に関する証拠能力は、前日の非公開協議で未決定です。思念記録に欠損があり、被告人の供述以外に完全な裏づけがありません」「公訴側は真実性の立証ではなく、被告人の認識と故意の程度を示すために尋ねます」十三の席へ短い沈黙が渡った。レイヴァンは左右の衡理官と視線を交わし、手元の合議札を確認した。「限定して認めます。発言内容が事実であったことの証明には用いず、被告人が当時どのように認識したかを判断する資料とします。証人は答えてください」ミラの顔から、わずかに血の気が引いた。「先生は……祭務卿は、私の手を見ました」「刃を持つ手を」「はい。驚いてはいませんでした。私が来ると知っていたように見えました」「言葉を正確に」「『遅かったな、ミラ』と」傍聴席のあちこちで息が漏れた。公訴官は続けた。「その後は」「私が、冠を止めてくださいと言いました」「祭務卿は」


「止められない、と」「あなたは刃を向けた」「はい」「彼は抵抗した」「左手で刃を掴みました」「起動鍵から離れる機会はあった」「ありました」「離れなかった」「はい」「最後に何と言った」ミラは証言台の縁を掴んだ。爪の色が白くなり、呼吸が浅くなる。公弁官が異議を申し立てようと身じろぎし、彼女自身が小さく首を振った。「『お前が私を殺すなら、この国はようやく自分の法律を読むだろう』と」大衡廷のどこかで、紙が床へ落ちた。祭務卿の兄は立ち上がらず、膝の上の両手を見つめていた。公訴官は一歩も動かないまま、声だけを鋭くした。「祭務卿が自らの死を望んでいたと主張するのですか」「分かりません」「あなたへ殺害を依頼した」「違います」「抵抗しながら、そのような言葉を述べた」「はい」「矛盾しているとは思わないのですか」「思います」「その発言を聞いて、あなたは刺した」「はい」「彼の言葉が、あなたの殺意を後押しした」「違います」「では何を意味した」「分からないから、いまもここにいます」公訴官はしばらく彼女を見つめ、質問を終えた。法廷内の沈黙には、さきほどまでとは異なる重さがあった。祭務卿が制度の確信者だったのか、制度の限界を理解しながら執行しようとしたのか、自らの死を法への告発として利用したのか、あるいは死の恐怖の中で意味の定まらない言葉を残しただけなのか、どの解釈も成立し、どの解釈にも足りないものがある。レイヴァンは机上の非常令を閉じた。革表紙が静かな音を立て、十三名の衡理官が中央席へ意識を寄せた。「本日の証人尋問を終える前に、法院から確認します。オルネス被告人、あなたは祭務卿の言葉を、免罪の根拠として用いる意思がありますか」「ありません」「彼が死を受け入れていたとしても」「受け入れていたか分かりません。受け入れていたとしても、私が奪ったことは変わりません」「八百六十四名を救ったという評価を、望みますか」


「望んでいると思います」「率直ですね」「望まない者に見られたいとも思っています」レイヴァンの口元に、ごく短い疲れた笑みが浮かんだ。「それも率直です。自分を欺く者の多くは、自分が欺いている可能性だけは認めません。認めたからといって、欺きから自由になるわけでもありませんが」彼は一度、遺族席へ視線を向け、それから傍聴席、被告人、公訴官、公弁官、十二名の衡理官、法廷中央の未在者席へ順に目を移した。誰も座っていない椅子は、未来の世代、声を持たない者、審理へ呼ばれなかった者のために置かれている。今日そこへ座るべきなのは、冠座者として選ばれた八百六十四名なのか、暴風で死亡した三百十七名なのか、祭務卿なのか、非常令を制定した議員たちなのか、六年前に制度を認めた裁判官たちなのか。空席は何も答えず、空であることによって全員を責めていた。「この事件では、一人の被告人だけが裁かれているように見えるでしょう。刑事手続の形式に従えば、その通りです。起訴状に名を記された者はミラ・オルネスただ一人であり、祭務卿も、非常令も、風議院も、六年前の大衡法院も、被告人席にはいない。法廷は、席の配置によって責任の所在を分かりやすく見せます。分かりやすさは必要です。誰が何について答えねばならないか曖昧な裁判は、誰をでも罰せる裁判になります」レイヴァンは法衣の袖口を整えた。銀の留め具が、止まった風の中で鈍く光った。


「一方で、分かりやすさは容易に嘘へ近づく。刃を握った者だけを見れば、刃を必要だと思わせた制度が消える。制度だけを責めれば、刺した手の選択が消える。多数の死者を数えれば、名を失うはずだった者の恐怖が消える。人格の侵害を語れば、瓦礫の下で息を止めた者の重さが消える。正義という語を掲げれば、愛情も復讐も虚栄も後悔も、その陰へ隠れる。法は、消えたものをすべて取り戻せません。できると約束した時点で、それは法ではなく救済を装う信仰になる」彼の声は低いまま、法廷の隅まで届いた。「私たちがこれから判断するのは、被告人が善良か邪悪かではありません。祭務卿が英雄か加害者かでもない。三百十七と八百六十四のどちらが大きいかを競うことでもない。問うべきは、国家が人格を奪う権限を持ち得るのか、その権限が法に記されたとき違法性は消えるのか、法が誤っていると信じた者に抵抗の余地をどこまで認めるのか、抵抗が他者の生命を奪ったとき何を責任として残すのか、そして裁判所が過去に制度を認めた事実を、現在の判断から切り離せるのかということです。どの問いにも、無傷の答えはないでしょう。答えを選べば、守られないものが残る。判決とは、すべてを救えなかった制度が、その失敗を隠さずに理由へ変える作業です」ミラが静かに尋ねた。「それでも、判決を下すのですか」「下します」「正しいと確信できなくても」


「確信できないからこそ、理由を書きます。確信だけで足りる者は、判決文を必要としません。命令を出せばよい。私は命令ではなく、反論されるための文章を残す。その文章によってあなたの自由が奪われるかもしれず、国家の法律が無効になるかもしれず、死者の名誉が傷ついたと感じる者もいるでしょう。それでも、理由を隠すよりはましです。ましであるという程度の言葉を、軽蔑しないでください。歴史を振り返れば、最悪の多くは、完全を名乗った者が〈まし〉を踏み潰した場所から始まっています」「私を罰しますか」「その問いに、いま答えることはできません」「答えを持っていないから」「持っていたとしても答えません。審理の途中で裁判官が結論を示せば、残りの証拠は結論を飾る材料へ変わります。私は過去に、そのような裁判を何度も見た。自分で行ったこともあります。結論を先に決め、証人の言葉から都合のよい部分を拾い、異論を手続違反として退け、最後に整った文章で暴力を礼儀正しく包んだ。二度としないと誓うことは簡単です。二度としないための手続を守るほうが難しい」レイヴァンは証言台の女を見た。彼女の顔には、救われたい願いと、救われる資格を否定したい願いが同居している。罪を認める者が必ずしも処罰を望むとは限らず、赦しを拒む者が責任を理解しているとも限らない。自己嫌悪は、ときに他者の判断を奪う最後の支配となる。「一つだけ、現時点で言えることがあります」法廷の誰も動かなかった。


「あなたが祭務卿を愛していたことは、罪を軽くしません。息子を救いたかったことも、八百六十四名の人格を守ろうとしたことも、三百十七名の死を悼んでいることも、それだけではあなたを無罪にしない。同じように、あなたが一人を殺したという事実だけで、この国の法律が正しかったことにもならない。裁かれる者の罪を認めるために、国家を無罪とする必要はありません。国家の誤りを認めるために、あなたの選択を英雄譚へ変える必要もない。法廷が二つの責任を同時に見られないなら、片方の目を正義と呼んで閉じているだけです」天井の風布が、わずかに持ち上がった。止まっていた空気がゆっくり流れ始め、未在者席の上へ置かれた白紙をめくった。紙は一枚、二枚と音を立て、最後に何も書かれていない頁を開いたまま止まった。レイヴァンは風鐘を見上げず、書記官へ告げた。「本日の審理はここまでとします。次回、非常令制定時の議事記録、冠座候補者の同意手続、六年前の違憲審査における未公開補充資料を取り調べる。止風庫へ保管されている原本についても、封印解除を命じます」十二名の衡理官が一斉に中央席を見た。公訴官の顔色が変わり、王室法務官が傍聴席で立ち上がった。止風庫の原本には、国家非常令だけでなく、建国以来の神殿と法院の合意記録が含まれている。封印解除は一件の殺人裁判を越え、風神国家の正統性そのものへ刃を入れる決定だった。王室法務官が声を上げた。「首席衡理官、その資料は本件と関係がありません。国家保全指定を受けています」レイヴァンはゆっくりと彼を見た。「関係があるかどうかを確かめるために、読むのです」「公開されれば、国の秩序が揺らぎます」「揺らがない秩序だけを法と呼ぶなら、墓石ほど優れた法典はありません」「王命により封印された記録です」


「王も神官も罪人も、私の法廷では同じ高さに座っていただきます。命令を出した方が王であるという事情は、記録の高さを一段上げる理由にはならない」「これは殺人事件です」「ええ」レイヴァンは黒い証拠箱の中の刃を見た。祭務卿の血は乾いている。北環区の死者は戻らず、冠座候補者の恐怖も、被告人の後悔も、条文の整った文字も、いずれも一つの判決で消えはしない。「ゆえに、誰が最初に刃を作ったのかを調べます」開廷を告げるときに一度だけ鳴らされる風鐘は、閉廷に際して沈黙を守った。法廷の外では王都の風が環状街路を渡り、神殿の旗と市場の天幕と処刑を廃した古い刑場の草を、区別なく揺らしていた。法は善人のためにだけ吹く風ではなく、悪人を避ける風でもない。その風をどこへ通し、どこで遮るかを決める者たちが、正しさを所有しているわけでもなかった。大衡廷の扉が開き、三百十七名の遺族と、八百六十四名の冠座候補者と、一人を殺した女と、一人を失った家族と、国家の秘密を守ろうとする官吏たちが、それぞれ異なる沈黙を抱えて立ち上がった。中央席に残ったレイヴァンだけが、しばらく立たなかった。彼の前には、被告人の名が記された起訴状と、死者の名簿と、六年前に自らが書いた反対意見が並んでいた。どの紙にも、彼自身の罪は記されていない。法に従い、法を信じ、法の誤りを知りながら判決を下した遠い大陸の死者たちは、この国の記録に存在しない。彼は自分の左手を見た。千年を越えても消えない古い火傷の痕が、法衣の袖口からわずかに覗いている。


「法律を読ませるために、師を殺したか」


誰にも届かない声で呟き、起訴状を閉じた。


「ずいぶん高価な頁を開いたものです」


風が判文塔の奥へ抜けていった。


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