8.落ち着かせるための手段
「さぁ、マナ。私の膝の上に乗って」
ルティアが慈愛に満ちた目で見つめてきて、手を広げた。
「では、失礼します……」
「全然失礼じゃないのよ。私の膝はマナのものだから。マナの好きなようにして欲しいの」
おずおずと近づくと、重い言葉が返ってくる。流石に私のものじゃないと思うけれど、反論はしない。それで、ルティアが落ち着いてくれるなら、ルティアの好きなようにしたほうがいいから。
ゆっくりとルティアの膝の上に乗ると、柔らかさと温かさが感じられる。いつもはふざけてルティアが私を膝の上に乗せていたけれど、今はなんか違う。だから、変に緊張してしまう。
あの後、ルティアを落ち着かせるにはどうしたらいいか考えた。何度聞いてもルティアはマナの好きなように、ということしか言わない。
これじゃ、ルティアを落ち着かせられない。そう思って、頭を捻って考えついたのは、いつもやっていたことだ。
いつもやっていたことなら、きっとルティアの気持ちも落ち着いてくれるはず。そう思って、膝の上に座ることを伝えた。
すると、ルティアは嬉しそうに微笑んで、すぐに受け入れてくれた。それは、以前のルティアの面影のある微笑み。少しだけ心がホッとした。
ルティアの膝の上に乗っていると、すぐに頭を撫でてくれる。優しい手つきで撫でられると、心が落ち着いてくる。
「ふふっ、やっぱりこうしていると落ち着くわね」
「本当ですか?」
「えぇ。心が穏やかになっていく感じがするわ」
やった。やっぱり、合っていたんだ。このままいつもと同じことをしていけば、曇ったルティアの目が元に戻るかもしれない。
「だけど、一番はマナが気持ちよくなること。そのためなら、私は永遠に頭を撫でることが出来るわ。マナが満足するまで手は止めないし、マナを降りさせない。ずっと傍にいて、マナの心が救われるまで、ずっと……」
……いやいや、重い! ただ、頭を撫でるだけなのに、その心が重い! そんなつもりで膝の上に乗せて、頭を撫でて欲しいって言ったわけじゃないのに!
「ふふふっ、私がマナの心を満たしてあげるの。傷ついた心を癒してあげる。そして、もう二度と辛い目に合わせない。マナの幸せが私の幸せ。ねぇ、マナはどう思う? 私の膝の上は幸せ?」
「は、はい……。他の人よりも心地いいです」
「……他の人?」
何気なく言った言葉にルティアがピクリと反応する。途端に後ろから、冷たくて重い空気が漂ってきた。
次の瞬間、私の体はぎゅっと抱き締められる。さっきまでの優しい力ではない。逃がさない、とでも言うみたいに、ほんの少しだけ強い。
「……他の人、って?」
耳元に落ちてきた声は、柔らかいのに冷たい。ぞくり、と背筋が震えた。
「い、いえ、その……例えば、他のメイドさんの膝とか……」
「他のメイド?」
ゆっくりと、ルティアの指が私の顎にかかる。逃げ場をなくすように、くい、と顔を上げさせられた。近い。近すぎる。
「マナは……私以外の膝にも、乗るの?」
その目は笑っている。けれど、奥が曇っている。光が濁って、底が見えない。
「えっと……頼まれれば……」
「頼まれれば、乗るの?」
言葉を重ねるたびに、腕の力がわずかに強くなる。
「私の膝はマナのものって言ったわよね?」
「はい……」
「じゃあ、他の人の膝は?」
沈黙。ルティアの指先が、私の頬をなぞる。まるで宝物の傷を確かめるみたいに、そっと、けれど執着を込めて。
「マナは、優しいものね。誰かが寂しそうにしていたら、きっと断れない。頼られたら、応えてしまう。……それが嫌なの。私だけでいいの。マナを甘やかすのは、私だけでいい。他の人に膝を貸す必要なんてない。他の人に撫でられる必要もない。他の人に慰められる必要もない」
抱き締める腕が、さらに強くなる。
「マナが辛い思いをしたのは、私のせいでしょう? だったら、その傷を癒すのも私の役目。他の人が触れていい理由なんて、どこにもないわ」
「ルティア様……」
「ねぇ、マナ」
囁くような声。
「他の人より心地いい、って言ったわよね」
「は、はい……」
「よりって、誰と比べたの?」
ひやり、とした空気が首筋に触れる。
「比べる必要なんてないでしょう? 私が一番なの。一番じゃなきゃ嫌なの。マナの隣も、膝も、手も、声も……全部、私が一番じゃなきゃ、嫌」
言葉は穏やかなのに、内側に強い熱がある。焦げつくような、独占の熱。
「だって、私は……マナがいないと、壊れてしまうもの」
ぽつり、と零れる本音。
「マナは強いから、誰の膝でも平気かもしれない。でも私は違う。マナが他の人に甘える姿を想像するだけで、胸が潰れそうになるの」
額が、私の肩にこつんと当たる。
「嫌なの。取られるみたいで。遠くへ行ってしまうみたいで。……たとえ一瞬でも」
すう、と小さく息を吸う音。
「私はマナのもの。だけど、マナは私のものなんて言わないわ。そんなこと言ったら、きっと困らせてしまうもの。でもね……私は、マナを私の一番にしていたいの」
曇った瞳が、まっすぐに私を射抜く。
「他の人の膝が心地いい、なんて言わないで。メイドも、騎士も、誰も。マナを撫でていいのは、私だけ。マナを抱き締めていいのも、私だけ」
唇が、わずかに震える。
「……駄目?」
その一言だけが、子供みたいに弱い。さっきまでの独占欲も、嫉妬も、全部を隠しきれずに滲ませたまま。それでも最後は、許可を求める声。
「私は、マナを甘やかすのが好きなの。マナが私の膝で安心してくれるのが、好きなの。他の人じゃ駄目なの。私じゃないと、嫌なの」
そっと、私の手を自分の胸に当てさせる。どくどく、と速い鼓動。
「ねぇ、マナ。ここ、私だけのものにしてくれる?」
曇ったまま、必死に笑う。
「……私以外に、心地いいなんて言わないで。お願いだから」
――落ち着かせるためだったのに、どうしてこんなに重たくなるの!




