36.決行の日(1)
「では、ルティア王女。決行の時刻になりましたら、こちらのタンスの中へお隠れください。部屋の各所には我々が潜んでおります。暗殺者が現れた瞬間、すぐに取り押さえますのでご安心を」
騎士の一人が低い声でそう説明した。
――決行の日。
ルティア様の部屋には、息を潜めた騎士たちが配置されていた。
最初に話が通った時、派遣される予定だったのは数名だけだった。王女の不安を和らげるための、あくまで簡易的な護衛増員。その程度の扱いだったからだ。
だけど、話はそこから大きく変わった。王女の護衛を任された騎士たちは思った以上に慎重だったのだろう。「万が一」があってはならないと判断したらしく、いつの間にか人数が増えていった。
三人。五人。そして最終的には――十人。
ルティア様の部屋の中、そして隣室や廊下にまで騎士が潜み、暗殺者が侵入した瞬間に包囲できるよう布陣が敷かれている。
正直、ここまで増えるとは思っていなかった。護衛騎士すら倒せる実力を持つ暗殺者だとしても、十人の騎士を同時に相手にするのは無理なはずだ。
これなら、きっと捕まえられる。そう、思っていた。だけど。
「……マナ」
小さな声で名前を呼ばれて振り返る。そこにいたルティア様は、明らかに不安そうな顔をしていた。
騎士が十人もいるというのに、安心した様子はまったくない。むしろ、胸の前でぎゅっと手を握りしめて、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「どうしたんですか?」
「……本当に、大丈夫なの?」
震える声だった。
「暗殺者は……マナを何度も殺した。今回は……絶対に平気よね?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。何度も見せてしまった死ぬ瞬間。その瞬間が忘れられず、今もこうして苦しんでいる。
「また……またマナが……」
言葉が途中で途切れる。唇を噛みしめ、必死に涙を堪えているのが分かった。
「マナが殺されるんじゃないかって……私、怖いの」
……やっぱり。ルティア様が不安なのは、自分が狙われることじゃない。私が死ぬこと。それだけだ。
私は小さく息を吐くと、そっとルティア様の手を取った。ひどく冷たかった。
「ルティア様、大丈夫ですよ」
そう言って、私は少しだけ笑った。
「今回は、こんなに騎士がいるんです。もし暗殺者が来ても、すぐに取り押さえられます」
周囲を見渡す。部屋の物陰、カーテンの裏、隣室。見えない場所に騎士たちが潜んでいる。
これだけの人数がいれば、さすがの暗殺者でもどうにもならない。
「それに私は、もう簡単には殺されません」
何度も死んだ。何度も繰り返した。その経験は、ちゃんと私の中に残っている。
「だから大丈夫です。ルティア様。今度こそ、守りますから」
するとルティア様の瞳が大きく揺れた。しばらく何も言わずに私を見つめて――。
「……でも。もし、もしマナが……」
そこで言葉が止まった。きっと、その先を言いたくないのだろう。私は少しだけ困ったように笑ってから、ルティア様の手を軽く引いた。
「ほら、そんな顔をしていたら騎士の皆さんが心配しますよ」
「……っ」
「大丈夫です」
もう一度、ゆっくりと言う。
「私はここにいます。ちゃんと生きて、ルティア様の隣にいます」
だから――。
「信じてください」
そう言うと、ルティア様の瞳が潤んだ。そして、震える声で小さく頷いた。
「……うん」
その手はまだ冷たいままだったけれど、さっきよりも少しだけ力が入っていた。私はその手をそっと離し、タンスの方へと視線を向ける。
作戦はもう始まっている。あとは、暗殺者が来るのを待つだけ。
部屋の中に、静かな緊張が広がっていた。
◇
静かな部屋にゆっくりと開く扉の音が聞こえた。タンスの中からでは、部屋の様子は分からない。だけど、誰かが入ってきたのが分かった。
そして、歩く音が聞こえた時――。
「確保せよ!」
騎士の声が響いた。途端に、室内が騒がしくなった。金属がぶつかり合う、甲高い音。
――キィンッ!
――ガンッ!
剣と剣が激しくぶつかり合う音が、狭い部屋の中で何度も響く。
「ぐっ……!」
「くそっ……!」
騎士たちの短い悲鳴が聞こえた。そして、誰かの焦った声が上がる。
「こいつ、強いぞ! 気をつけろ!」
その声を合図にしたかのように、剣戟はさらに激しくなった。
何度も剣が打ち合わされる音。家具が倒れる鈍い衝撃音。荒い息遣い。
タンスの中にいても、それがどれほど激しい戦いなのかは嫌というほど伝わってくる。
……強い。思っていた以上に。護衛騎士を倒せる実力があるとは分かっていたけれど、まさか十人の騎士を相手にここまで戦えるなんて。
その時だった。隣にいたルティア様が、震える手で私を抱きしめてきた。
「マナ……!」
強く、縋りつくように。
「出て行ったらダメよ……。絶対に……」
耳元で震える声が落ちる。必死に、私を引き止めようとする声。
だけど外の戦いは、思っていたよりも苦戦しているようだった。
「ぐあっ!」
誰かが倒れる音。重い体が床に叩きつけられる鈍い衝撃が、タンスの中まで伝わってくる。
「囲め! 逃がすな!」
「くっ……速すぎる……!」
騎士たちの声は必死だった。それでも、戦況は明らかに押されている。また一人、倒れる音がした。
……このままだと。私は奥歯を噛みしめる。ここは、私が出るしかない。
私はそっとルティア様の手を取った。そして、ぎゅっと握りしめる。
「私、行ってきます」
「そ、そんな……ダメよっ!」
ルティア様の声が震える。
「マナがまた死んでしまう!」
その言葉に、胸が少しだけ締めつけられた。でも、私は首を横に振る。
「約束します」
しっかりと、言葉に力を込めた。
「今度は絶対に死にません」
ルティア様の瞳が揺れる。泣きそうな顔で、私を見つめていた。それでも私は――その手をそっとほどいた。
「信じてください」
短くそう言ってから、私は体を動かす。そして――タンスの扉を勢いよく押し開いた。
外の光が一気に流れ込んでくる。視界に飛び込んできたのは、荒れ果てた部屋だった。
倒れた椅子。割れた机。床に転がる騎士たち。
そして部屋の中央で、黒い影が剣を振るっていた。騎士の剣を弾き飛ばし、そのまま一人を蹴り飛ばす。
その影がこちらを向く。フードは取れ、仮面は壊され、露わになった素顔。
デイリーだった。




