25.ルティアの気持ち
ルティア様の顔が、みるみるうちに青ざめていった。まるで、新しい罪を突きつけられたかのように。
さっきまで泣き崩れていたはずなのに、今度は信じられないものを見るような目で私を見つめている。
「マナは……自分をナディアの代わりだと、思っていたの?」
震える声だった。そして次の瞬間、ルティア様は首を激しく横に振る。
「違うっ……違うわ、マナ! そんなのじゃない、そんなのじゃないのよっ!」
必死に否定する声。その勢いのまま、私の肩を掴んだ。指先が震えている。
「マナがナディアの代わりなんて、そんなわけないわ! マナはマナで……私の、大切なマナなんだから!」
強く、強く言い切る。
「どうして……どうしてそんなことを言うの!? どうして、そんな風に思うの……っ!」
今にも泣き出しそうな顔で、問い詰めてくる。私は思わず目を瞬かせた。
「えっ……?」
頭の中が、うまく整理できない。だって――。
「だって……」
言葉を探しながら、ゆっくりと口を開く。
「亡くなったナディア様に、私が似ているって聞いて……」
最初にそれを教えてくれたのは、侍女たちだった。噂話のように、ひそひそと。
「それで……ルティア様がナディア様のことを、ずっと引きずっているって……」
同情するような声を聞いた。憐れむような視線見た。だから、それが事実なんだって思った。
「だから、あなたはその代わりなんだって……」
誰かが、そう言った。私に聞こえるように。
「……みんな、そう言ってました。だから……そうなんだって、思ってました」
疑う理由なんて、なかった。だって、全部つながっていたから。ナディアに似ている私を、ルティア様が助けた。
それからずっと、優しくしてくれた。大切にしてくれた。守ろうとしてくれた。……だから、きっとそうなんだろうって。
「それに……ルティア様も、さっき言いましたよね」
ナディアに似ていたから、放っておけなかったと。直接聞いたのは初めてだったけど、それを聞いて腑に落ちた。
「だから……私は、ナディア様の代わりなんだって」
それが、自然な答えだった。でもルティア様は、凍りついたように動かなくなった。
まるで、言葉を失ったかのように。しばらく沈黙が落ちる。やがて、ルティア様の手が小さく震えた。
「……そう。みんなが……そう言ったのね」
その言葉は、とても静かだった。でも、どこか冷たい。怒りとも、悲しみともつかない感情が、底の方で揺れている。
ルティア様は俯いたまま、ぽつりと呟いた。
「私がナディアを引きずっているのも……あなたが代わりだってことも……」
ゆっくりと顔を上げる。その目は、さっきまでの曇ったものとは違っていた。どこか、痛みを堪えるような色。
「……違うわ。マナは、ナディアの代わりなんかじゃない」
そして、私の頬にそっと手を添えた。その手は、まだ少し震えている。
「確かに、最初は似ていると思った。……でも、それだけよ」
ゆっくり、言葉を選びながら続ける。
「似ていると思ったから、気になった。放っておけなかった。でも――あなたを助けたあとで、私はすぐに分かったの」
真っ直ぐに、私を見つめる。
「マナは、ナディアじゃない」
優しく、でも確かな声だった。ルティアの指先が、そっと私の頬を撫でる。震えているのに、その手はどこまでも丁寧で、大切なものに触れるみたいだった。
「……王宮に、あなたを連れて帰った日から私の世界は、ほんの少しだけ色を取り戻したの」
静かな声だった。遠い記憶を掬い上げるように、ゆっくりと言葉が続く。
「冷たい石造りの回廊も、重く垂れ込めていた空気も……なぜか、柔らいで見えた。王宮はずっと息苦しかったの。どこを歩いても、ナディアがいないことを思い知らされる場所だった」
少しだけ、寂しそうに笑う。
「でも……マナがいるだけで、違うものに変わっていった」
私がいるだけで? 信じられないけれど、信じたいと思ってしまう。
「あなた、王宮の広さに戸惑っていたでしょう。きょろきょろと辺りを見回して……何もかもが珍しいみたいに。その仕草が、あまりにも無防備で……胸の奥が、じんわり温かくなったの」
ゆっくりと、私の肩を抱き寄せる。
「その小さな背中を見ているだけで、守りたいって思った。まるで……凍りついていた心に、春が差し込んだみたいだった」
それは本当に私の存在があったから? ナディアの存在がそうさせたんじゃなくて?
「朝、目を覚ますと……まず思い浮かぶのがマナのことになった。今日はどんな顔をするだろうって。ちゃんと眠れただろうかって。食事は口に合うだろうかって。それだけで、起き上がる理由ができたの」
私は言葉を失っていた。ルティアはずっと私だけをみていた?
「言葉を交わすだけで、胸が満ちていくの。こんなにも簡単に、幸せを感じていいのかって……戸惑うほどに」
その手が、優しく頭を撫でる。
「マナの頭を撫でるとね、あなたは少し照れたみたいに目を細めるでしょう? その髪の感触が指に絡むたび……胸の奥の傷が、少しずつ塞がっていく気がしたの」
ルティアの腕が、ぎゅっと体を抱きしめる。
「ナディアを抱きしめたときとは違う体温。違う鼓動。違う匂い。でも……それなのに、どうしてこんなにも安心するんだろうって思った」
私の背を、ゆっくり撫でる。
「マナの存在が私を支えたの。その事実が、どれほど救いだったか……」
そして、体を離して私の顔を両手で包み込んで覗き込んだ。曇ったままの目で微笑んで――。
「マナ。あなたは、ナディアの代わりなんかじゃない。生きる理由よ」
その言葉にどうしようもなく胸が高鳴った。さっきまで重く沈んでいたはずなのに、今は逆に、体の内側から熱が溢れてくるみたいだった。
……どうしてだろう。こんなにも、胸が高鳴っている。ルティア様の言葉が、頭の中で何度も反響する。
――生きる理由よ。その一言が、胸の奥をくすぐるように揺らしていた。
私は、ずっと思っていた。ナディア様の代わりなんだって。
似ているから助けられて、似ているから大切にされている。そうじゃなかったら、こんなふうに優しくしてもらえる理由なんてないって。
でも、違った。ルティア様は私を見ていた。ナディア様じゃなくて。代わりでもなくて。
私を。マナを。
その事実が、胸の奥でふくらんでいく。じわじわと、抑えきれない感情になって溢れていく。嬉しい。すごく、嬉しい。どうしようもないくらい。
体の奥がくすぐったくて、落ち着かなくて、胸がむずむずして、思わず身をよじりたくなるくらいの高揚が込み上げてくる。
私は慌てて口を開いた。
「わ、私……」
うまく言葉が出てこない。それでも、どうしても伝えたくて。
「私……ナディア様の代わりだと思っていて……」
視線を泳がせながら、続ける。
「でも……そうじゃなくて……その……」
胸の奥が、むずむずする。こんな気持ち、どう言えばいいのか分からない。それでも、正直に言うしかなかった。
「それが……とても嬉しい、みたいです……」
恥ずかしくて、声がどんどん小さくなっていく。俯いたまま言い終えると――。
ふと、空気が止まった。恐る恐る顔を上げると、ルティア様が固まっていた。ぽかん、とした顔。さっきまで泣いていた人とは思えないくらい、完全に呆然としている。
「……えっと」
かすれた声が漏れる。そして、ゆっくりと瞬きをしてから、私をまじまじと見つめた。
「マナは……私の本当の気持ちを知ると、嬉しくなるの?」
まるで信じられないものを見るみたいに、問いかけてくる。私は少し迷ってから、小さく頷いた。
「そう……みたいです」
おずおずと答える。次の瞬間だった。
ぎゅっ――突然、強く抱きしめられた。
「わっ……!?」
さっきよりも、ずっと強い。逃げ場なんてないくらい、腕が回される。胸に顔が押しつけられて、息が少し苦しいくらいだった。
でも、ルティア様は離さない。むしろ、さらに力を込める。
「それが……マナの救いになるのなら。私は、何度だって言うわ」
ぎゅっと、抱きしめる腕に力がこもる。
「マナのために尽くすし、マナのために褒める」
息がかかるほど近い距離で、言葉が続く。
「マナのために、マナが喜ぶように」
その声は、決意に満ちていた。
「それで……マナが私を許してくれるなら。嫌いにならないなら。傍にいてくれるなら」
ルティア様の腕が、さらに強くなる。まるで、二度と離さないと言うみたいに。




