24.代わりの自分
ルティア様の嗚咽が、部屋中に響いていた。異変に気づいた侍女やメイドたちが次々と駆け込んでくる。けれど、誰が声をかけても、ルティア様は私を抱きしめたまま離れない。
「ルティア様、どうか落ち着いてくださいませ」
「お水を――」
「医師をお呼びしますか?」
優しく宥める声が飛び交う。それでも、震えは止まらない。私がほんの少しでも距離を取ろうとすると、腕の力が強まった。
「行かないで……っ」
か細い声なのに、必死で。その姿に、胸が締めつけられる。どうしよう。どうすれば――。
そのとき、黙って様子を見ていた侍女長が静かに近づいてきた。無駄のない動きで私の腕を掴み、そっとルティア様から引きはがす。
「……っ」
ルティア様が息を呑む。その顔が絶望に染まり、目が深い闇に落ちていくようだ。
「すぐ戻ります」
侍女長は穏やかにそう告げ、私を部屋の端へと連れていった。ルティア様に聞こえないよう、声を落とす。
「ルティア様は今、亡くなったナディア様を思い出してお辛いのです」
その名に、心が小さく揺れる。
「あなたを見ると、亡くなった日の記憶が重なる。守れなかった後悔と、失う恐怖が蘇るのです」
「……はい」
分かっていたつもりだった。けれど、こうして言葉にされると重い。
「あなたで補おうとしているのです。ナディア様を失った穴を、あなたで埋めようとしている」
静かな声。責めるでもなく、ただ事実を告げる声音。
「……」
胸が、ちくりと痛む。私はナディアの代わりだ。死ぬたびに、彼女の記憶を抉っている。
……いや、本当にそう? あの時のルティアは、私をちゃんと見ていた。私の死を憐れんでいるから、ここまで壊れてしまった?
でも、私なんかが……。そう思っていると、肩を掴まれる。
「あなたが宥めるのです。ナディア様を重ねているあなたなら、きっと出来るでしょう」
侍女長の視線が、真っ直ぐに私を射抜く。重い言葉だった。
期待。責任。逃げられない役目。
「……はい。私に任せてください」
それでも、頷いた。ルティアを守ると私が選んだ道だ。
「ありがとうございます。本日の公務はすべて無効といたします。どうか……出来れば一日で、立ち直らせてください」
一日で? ……とても短い。けれど、ここで出来ないとは言えない。
ルティア様のために、私が出来ることだ。どんなことだってするし、どんなことだって出来る。
侍女長が離れ、私は再びルティア様のもとへ戻る。床に崩れるように座り込んだまま、肩を震わせている。
「ルティア様……」
「あぁ、マナ、マナ、マナ!」
傍にそっと近寄ると、勢いよく抱きつかれる。もう離さないとばかりに、キツくギュッと。その体は弱弱しく震えていて、まるで子供のようだ。
こんなになってしまったのは、私の死で辛い記憶を思い出させてしまったから。だったら、私が責任をもって、ルティアの心も救わないといけない。
小さな手で抱きしめ返すと、決意を秘めて口を開く。
「大丈夫です。私がルティア様を救います」
◇
柔らかなベッドの上に向かい合わせになって座る。相変わらずルティアは涙を零しながら、曇り切った目でこちらを見ている。
そんなルティアを安心させるように、満面の笑みを浮かべた。
「ほら、見てください。私はなんともないですよ。怪我もないですし、ピンピンしてます。元気ですよ」
安心させるように笑顔でそう言う。だけど、ルティアの顔が悲しく歪む。
「どうして、そんな風にいうの? 死んだのはマナなのに……痛い思いをしたのに……どうしてそんな風に笑えるの?」
「それは、もう! 元に戻ったからですよ! 痛い思いも今はしてませんし、大丈夫になりました」
もう大丈夫だ。そう伝えるのだが、それを伝えるたびにルティアの顔が悲しく歪む。
「そんなの嘘よっ。あんな、あんなに体を痛めつけられて……無事なわけないわ! それもこれも、私のせい! あぁ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ! マナを苦しませている私がこんな……こんなっ。どうしたら、償えるのっ……マナに報いることが出来るの……マナに辛い思いをさせられなくなるのっ」
「ルティア様のせいじゃないですよ。私が守りたいから守っただけです」
「どうして、そこまでして私を守ろうとするの? 私、何もマナにしてあげられていないのに……どうして、そこまでっ」
落ち着かせようと言葉をかけたが、疑問が返ってきた。だから、笑顔で答える。
「ルティア様が私を救ってくださったからですよ。その思いに応えるために、私は誓ったんです。絶対にルティア様を守るって……」
「そ、そんな……私は……。そんなつもりで助けたわけじゃないわ……。ただ、ナディアに似た子を放っておけないって……」
ナディア。その名が出た瞬間、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚が広がった。
やっぱり、そうなんだ。分かっていたはずなのに、いざ言葉として聞かされると、心のどこかが静かに崩れていく。
私はナディアの代わり。
ルティア様が助けてくれたのも、優しくしてくれたのも、守ろうとしてくれたのも。全部、ナディアに似ていたから。
私を見ていたわけじゃない。私を通してナディアを見ていた。そう思った瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
……あぁ、そっか。なんだか、妙に納得してしまった。
だって、そうだ。私はただのスラムの子で、取り柄なんてほとんどない。身分も低いし、特別な才能だってない。王族にとって価値のある存在かと言われれば、きっと違う。
だからこそ、ルティア様が私を助けた理由は――ナディア。それなら、全部説明がつく。
あのとき、私を見つけた瞬間の、あの目。優しさと、どこか遠くを見るような寂しさ。あれはきっと、私じゃなかった。ナディアを見ていたんだ。
胸の奥で、何かが静かに沈んでいく。……おかしいな。別に、怒っているわけじゃない。
むしろ当然だと思う。亡くなった大切な妹に似ている子供がいたら、放っておけないのは普通のことだ。誰だってそうする。
だから、これは仕方ないこと。私はただ、その優しさを受け取っただけ。
それだけだ。なのに、どうしてだろう。胸が、少しだけ苦しい。
まるで、自分の居場所が少しずつ削られていくような感覚。私はルティア様に救われたと思っていた。私を見て、助けてくれたのだと。
ルティア様は、私を大切にしてくれている。それは本当だ。ナディアを重ねていたとしても、優しくしてくれたことまで嘘になるわけじゃない。
そうだ、それでいいじゃないか。私を通してナディアを見ていても、優しくしてくれる。それで、良いじゃないか。
目の前には、今にも壊れてしまいそうなルティア様がいる。私が沈んでいる場合じゃない。私が支えないといけない。私は、この人を救うと決めたんだから。
笑顔を崩さないように、ぎゅっと拳を握った。大丈夫。私は代わりでもいい。影でもいい。
ルティア様を守りたいと思ったのは、本当だから。だから、顔を上げて、いつものように笑う。
「……それでも、いいんです」
静かに、そう言った。
「ナディア様に似ていたからでも。代わりでも。きっかけが何でも……私は、ルティア様に助けてもらいました」
それは、嘘じゃない。だから――。
「だから私は、ルティア様を守るんです」
言葉にした瞬間、胸の奥で何かが小さく軋んだ。けれど、気づかないふりをした。気づいてしまったら、きっと――この笑顔が、崩れてしまうから。
「……何を、言っているの?」
それでいいと思ったのに、目の前のルティアが信じられないと言わんばかりに驚いた顔をした。
「マナは……自分をナディアの代わりだと、思っていたの?」
そして、言葉を口にしてまた絶望した顔になった。どうして、そんな顔をするのか分からない。
「ち、違うっ……違うわ、マナ! そんなのじゃない、そんなのじゃないのよっ!」
「えっ……?」
その言葉に胸がざわついた。




