18.お風呂でお世話される
「あの……本当に大丈夫ですから。自分で洗えますし」
「何を言っているの? マナをお世話するのは私の役目。仕事をして疲れているでしょ? それなのに苦労をかけるなんてありえないわ。マナにはもっと良い思いをしてもらわないと困るの。辛いままでいられるのが、嫌」
遠慮しようとしたが、何故か曇った目でまくし立てられてしまった。
「私はマナが気持ちよく生活出来るように支えてあげたいの。ううん、言い方が悪かったわ。支えないとダメなのよ。あんなにマナに辛い思いをさせてしまったのだから、少しでも楽になって欲しいの。そのために、面倒なことは私に任せて。普段支えてもらっているのだから、これくらいはさせて」
どうしてそんな気持ちになるのか分からない。私の方がお世話しないといけないのに、これじゃあ立場が逆転だ。
落ち着かなくてそわそわしていると、肩に手を置かれて押される。そのまま浴室に入り、椅子に座らされた。
「さぁ、マナは椅子でじっとしていて。私に全部任せて。体の隅々まで綺麗にするから」
そう言って、ルティアは私の体と髪にシャワーを当て始めた。さっきまでの汗と疲れがゆっくりと流れていく。そして、香りのいいシャンプーが髪の毛に垂らされた。
指先が、丁寧に、優しく。頭皮を傷つけないように、円を描いて撫でていく。ルティアの手は不思議と温かくて、安心する温度だった。
シャワーの音が、静かな浴室に響く。髪を洗い終えたあとも、ルティアは満足げに私の髪を指で梳いた。
「……綺麗な髪になったわ。綺麗になると、マナの可愛さが増すわね」
「そ、そうですか?」
「マナは何をしても綺麗。だから、私がちゃんと守らないといけないの。髪も体も心も、ちゃんと守らないと。大切なマナだから、一つとして逃したくないわ」
その声音は柔らかいのに、どこか必死で。私は鏡越しに彼女を見る。微笑んでいる。けれど、瞳の奥に、拭えない影が揺れている。
「ルティア様」
「なぁに?」
「私は、そんなに弱くありませんよ?」
冗談めかして言ったつもりだった。けれど、彼女の手が一瞬止まる。
「……分かっているわ。マナは強い。優しくて、しっかりしていて、いつも私を支えてくれる。でもね」
背後から、そっと肩に頬が寄せられる。
「強いからって、辛くないわけじゃないでしょう?」
静かな問い。胸の奥が、わずかに揺れる。
「私はね、マナが強いからこそ……甘えられる場所を作ってあげたいの。誰にも見せない顔を、私だけには見せてほしいの。マナの唯一になりたいの」
トリートメントを流し終えたあと、彼女はタオルを手に取る。濡れた髪を、包み込むように優しく押さえる。ごしごしとは拭かない。大事な宝物を扱うみたいに、丁寧に。
「ほら、俯かないで。顔も拭くわ」
タオル越しに、頬をそっと撫でられる。
「……私は、マナに必要よね?」
先ほどよりも、少しだけ不安を滲ませた声。私は振り返る。
「はい。もちろんです」
「どんな時も?」
「はい」
「ずっと思っていても大丈夫?」
思わず、くすりと笑ってしまう。
「それも含めて、ルティア様ですから」
その瞬間、ルティアの目が見開かれ、次いでゆるやかに細められた。
「……ずるいわ」
「え?」
「そうやって受け止めるから、私はもっと与えたくなるのよ」
ルティアは私の背中に腕を回す。強くはない。けれど、離す気のない抱きしめ方。
「次は身体を洗うわ。じっとしていて」
「本当に、自分で――」
「だめ。今日は、私の役目」
そう言って、スポンジに泡を含ませる。背中に触れるその手は、やはり優しくて。けれど、その優しさの奥にある執着と祈りのような感情を、私はもう知っている。
ルティアは私を甘やかすことで、自分を保っている。私を満たすことで、自分の心の隙間を埋めている。
それでも。この温もりが嫌ではないのは――きっと、私も彼女を必要としているからだ。
ルティアの指先は、先ほどまでの髪と同じように丁寧で、ゆっくりと、確かめるように私の肩から鎖骨へと滑っていく。決して乱暴ではない。むしろ、壊れ物に触れるみたいに慎重だった。
「……そんなに緊張しなくてもいいのに」
くす、と小さく笑う声。けれど、その奥にある熱は隠しきれていない。
「だって、恥ずかしいです……」
「どうして? 私はただ、マナを綺麗にしているだけよ」
泡をすくい直し、胸元にかからないよう配慮しながら、あくまで淡々と洗っていく。その仕草は本当にお世話そのものなのに、向かい合っている距離の近さが、どうしても落ち着かない。
俯いたままの私の顎に、そっと指がかかった。
「下を向いていたら、ちゃんと洗えないわ」
強引ではない。けれど、有無を言わせない静かな圧。
顔を上げると、すぐ目の前にルティアの瞳があった。曇っているのに、どこか満ち足りた色をしている。
「マナは、もっと私に頼っていいの。遠慮なんていらない」
泡を落とすたび、肌を流れる温かな水。そのぬくもりと同じくらい、彼女の視線が熱い。
「私はね、こうしてマナに触れて、マナが安心した顔をするのを見ると……ちゃんと役に立てているって思えるの」
背中を洗っていた時とは違い、今は私の表情を一瞬も逃さないように見つめながら、腕や指先を丁寧に洗っていく。
「……必要とされているって、実感できるのよ」
ぽつりと落ちたその言葉に、胸がきゅっと締めつけられた。ただの過保護じゃない。これは――彼女なりの、償いであり、確認なのだ。
「ルティア様は……必要な人です」
自然と、そう言っていた。
「いつも助けてもらっていますし、今日だって……とても心地いいです」
一瞬、ルティアの手が止まる。それから、ふっと柔らかな笑みが広がった。
「……そう。なら、もっと頑張らないとね」
再び動き出した手つきは、さっきよりもどこか優しい。
腕を洗い終えると、最後にさっと全身を流していく。泡がすべて落ち、肌に残るのは温かな湯気と、ほんのり甘い石鹸の香り。
「終わりよ」
そう言いながらも、ルティアはすぐには離れない。濡れた前髪を指で整え、頬にかかった水滴を拭う。
「……本当に、嫌じゃなかった?」
「はい」
迷いなく答えると、彼女はほっと息を吐いた。
「良かった。マナに拒まれたら、私……きっと立ち直れないもの」
冗談めいた口調なのに、目は笑っていない。
だから私は、小さく微笑んだ。
「拒みませんよ。ルティア様の気持ちは、ちゃんと分かっていますから」
その瞬間、彼女の曇った瞳がわずかに晴れた気がした。
「……ありがとう、マナ」
優しく抱き寄せられる。濡れた体同士なのに、不思議と冷たさは感じなかった。
浴室に満ちる湯気の中、私はそっと目を閉じる。少しだけ、立場が逆転していてもいい。
今はただ――ルティアのこの不器用な優しさを、受け止めていたかった。




