13.独占欲
「言ったでしょう? 私がマナを守るって」
低く、甘く、耳元に落とされる声。押さえつけられた両手の上から、ルティアの指がゆっくりと絡む。逃げ場を探るように視線を揺らしたけれど、すぐに深い闇の瞳に捕まった。
「あなたが誰かに褒められて、嬉しそうに笑う顔も。撫でられて、くすぐったそうにする仕草も。全部、私の目の前で起きていた」
それとこれと、何が関係あるというのだろうか?
「……あの三人が、あなたに触れたでしょう? あなたの頭を撫でて、守って差し上げたくなりますわなんて言って。可愛いって。癒やされるって。……ふふ」
どうして、それだけのことでこんなに曇ってしまったのだろう? ただの普通のやり取りだと思っていたのに。
「それを聞いた時、どう思ったと思う?」
答えられない。喉が、うまく動かない。ルティアは、ゆっくりと顔を近づけてきた。吐息がかかる距離。
「私のマナに、勝手に触れないでほしいと思ったの」
低く響く声。静かな怒りが滲み出て、敵意がむき出しになる。
「マナは私が守るべき唯一無二の存在。他の誰でもない、私だけなの。……そんなあなたを、どうして他の誰かが守るなんて言えるの?」
指が、私の手を強く握る。
「守るのは私よ。あなたを守るのは、私。あなたが傷つく前に、あなたが奪われる前に、あなたが誰かに利用される前に、全部、私が排除する」
その声音には、迷いがなかった。
「マナは優しいから、きっと気づかないふりをするのでしょうね。疑うのは良くないって。波風を立てたくないって。……でも私は違うわ」
す、と目が細められる。
「私は、あなたを奪おうとするものを許さない。たとえそれが、どれだけ忠誠を誓っていようと。どれだけ長く私に仕えていようと。どれだけ完璧であろうと……マナの唯一を奪うのは許せない」
ルティアの怒りが伝わってくる。それは私に向けられたものじゃないのに、私に向けられたように錯覚してしまう。
その指が強く私の手を握る。耐えがたいと伝えてくる。今までのルティアにはなかった感情を前にして、どうしたらいいか分からなくなる。
その心を軽くしてあげたい。酷く曇った目を明るくしてあげたい。そんな気持ちが大きく膨らんでいった。
すると、フッと手を握っていた力が弱まる。どうしたのかと思って見上げると、曇った目が悲し気に細められていた。
「私はマナの唯一よね? 私じゃなきゃ、マナの心を癒せないわよね? マナのことを良く知っている私にしか出来ないことがあるわよね?」
問いに答えられないまま、沈黙が落ちる。その沈黙が、何よりの拒絶に感じたのかもしれない。ルティアの喉が、かすかに震えた。
「……どうして黙るの?」
責める声ではない。けれど、縋るように細い。
「私は、マナの唯一よね? 違うの? ねえ、ちゃんと言って。私じゃなきゃ駄目だって。私だからいいんだって。そう言ってくれなきゃ……分からないの」
握っていた手が、また強くなる。
「私は王女よ。誰からも必要とされている。そうでしょう? 国にも、民にも、家臣にも。みんなが私を見て、敬って、支えてくれる。……でも、それは王女だからよ」
ゆっくりと、言葉を絞り出すように続ける。
「ルティアという一人の人間を、欲しいと言ってくれる人は、どれだけいるの? 役目でも立場でもなく、肩書きでもなく……ただの私を、必要だって言ってくれる人は」
深い闇の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
「マナは違った。あなたは最初から、王女としての私じゃなくて、ルティアを見ていた。失敗も、弱さも、醜い感情も、全部知って、それでも隣にいてくれた」
声が震える。
「だから、怖いの」
その一言は、ひどく素直だった。
「あなたが誰かに笑いかけるたびに、あなたが誰かに褒められて嬉しそうにするたびに、胸の奥がざわつくの。奪われるんじゃないかって。あなたが、私以外の誰かに心を預けてしまうんじゃないかって」
顔が、さらに近づく。
「マナは優しいから。差し出された手を振り払えない。求められれば応えようとする。傷ついている人がいれば、放っておけない。……そんなあなたが、いつか私よりも誰かを優先してしまうんじゃないかって、考えてしまうの」
指先が、私の胸元に触れる。心臓の鼓動の上。
「私は、マナに必要とされたい。守る側でいたいだけじゃない。あなたにとって、私がいないと駄目だって思われたい。私じゃなきゃ埋められない場所が、あなたの中に欲しい」
深い闇に包まれた瞳の視線が揺れる。
「マナは強いもの。賢くて、冷静で、私がいなくても生きていける。……それが、嫌なの」
ぽつりと落ちた本音。
「私は、あなたにとって特別でいたい。代わりのきかない存在でいたい。あなたが弱った時、真っ先に思い浮かべるのが私であってほしい。嬉しいことがあったら、一番に伝えたい相手が私であってほしい。マナは私だけを見ていてほしい。私だけを思ってほしい。私だけに笑ってほしい。……そんなこと、我儘だって分かってるわ。でも、止められないの」
額が、私の肩口に押し付けられる。
「私はもう、失うのが嫌なの。マナを何度も何度も奪われた。手の中から零れ落ちていく感覚を、嫌というほど味わった。だから、あなたまで零れ落ちてしまうかもしれないって思うだけで、息が出来なくなる」
すると、手が離れる。その手は私の体をそっと包み込み、ぎゅっと抱きしめられる。
「ねえ、マナ。私を嫌いにならないで。鬱陶しいって思わないで。怖いって思わないで。ただ……マナの中に、私と同じ重さを持っていてほしいの。私がマナを想うのと同じだけ、マナにも私を想っていてほしい」
顔を上げたルティアの瞳は、暗いままなのに、どこか濡れているように見えた。
「傍から離れないで。私の手を振り払わないで。必要として。求めて。私がいなきゃ駄目だって、言って。この感情を、私だけのものにしないで。あなたの辛さを全部背負うから、私の気持ちも背負ってほしいの」
かすかに笑う。けれど、それは今にも崩れてしまいそうな、力のない微笑みだった。
ここまで追い詰めてしまったのは、私だ。何度も死に戻りを繰り返した私。そのたびにルティアは、妹を失った記憶と向き合わされてきた。
ナディアの面影を、きっと私に重ねている。守れなかった妹を。
胸が、きりきりと痛んだ。だったら。せめて、その痛みを一人で抱えさせない。
私はそっと手を伸ばし、ルティアの頬に触れる。冷たいと思ったのに、指先に伝わる体温はひどく熱かった。ゆっくりと、微笑む。
「……ルティア様の辛さ、ちゃんと分かりました」
瞳をまっすぐ見つめる。
「その気持ちが少しでも軽くなるなら、私も背負います。半分どころか、いくらでも分けてください」
ルティアの呼吸が止まる。
「でも、ひとつだけ訂正させてください」
そっと、額を近づける。
「私は、ルティア様に背負ってもらうために傍にいるわけではありません」
握られたままの手を、今度は私から握り返す。
「支え合うためです。片方だけが重くなる関係は、きっとどこかで壊れてしまう。だから、二人で持ちましょう」
ルティアの瞳が揺れる。その瞳はまだ深い闇に包まれているが、少しだけ光が戻ってきたような気がした。
「私は何度も失敗しました。……それでも立っていられるのは、ルティア様がいたからです」
胸の奥の本音を、ゆっくりと言葉にする。
「あなたが笑ってくれるから。あなたが信じてくれるから。あなたが、私を必要だと言ってくれたから」
指先で、そっと涙の気配をなぞる。
「私にとっても、ルティア様は唯一です」
はっきりと、告げる。その途端、ルティアの目からポロポロと涙が零れ、泣きながら笑った。
「良かった……良かった……。マナが私を必要としてくれた。マナにとって私が必要だった。マナの唯一になれた。マナ、マナ……傍にいてね」
そうして、二人で抱き合った。この温もりがいつか、ルティアの心を晴らすように願いを込めて。




