死のその先へ
轟音が中庭を揺らした。
少し離れた場所では、アビスとヴァルダーの刀と剣が激しくぶつかり合っている。
その音を背に、日御子はポリアンナの傍らへ膝をつき、震える両手で腹部の傷を押さえていた。
「ポリアンナさん……!」
どれほど強く押さえても、指の隙間から血が溢れてくる。
反対側では、咲夜姫がポリアンナの手を両手で握り締めていた。
「ポリアンナさん……聞こえますか?」
返事はない。
咲夜姫の声は僅かに震えていた。
唇が、何か別の言葉を形作りかけては閉じる。それでも咲夜姫は手を離さず、「ポリアンナさん」と呼び続けた。
「ポリちゃん!」
そこへ、のぶおの治療を終えたアリスが駆けてきた。
一目で状況を確認すると、そのまま日御子の隣へ膝をつく。
「日御子ちゃん、代わって!」
「お願いしますの!」
日御子が場所を譲った直後、中庭に再び轟音が響いた。日御子は弾かれたように、戦いの方へ振り返る。
アリスはすぐにポリアンナの傷を確認する。
身体には深い斬り傷。さらに、倒れた後に剣で貫かれた傷から大量の血を失っている。周囲は血の海だった。
「ポリちゃん! 聞こえる!?」
返事はない。
アリスは両手を傷口へ当て、淡い光で包まれる。
《生命接続》。
「お願い……!」
裂けた肉が繋がり、損傷した血管や臓器が修復されていく。生命活動を続けられる状態へ、傷ついた身体が強引に引き戻されていった。
やがて傷口は塞がり、流れ続けていた血も止まる。
それでも、アリスの表情は晴れなかった。
そっとポリアンナの胸へ手を当てる。
「……ダメ」
「アリスさん……?」
「心臓が……動いてない」
咲夜姫の肩が、小さく震えた。
「そんな……」
掠れた声が漏れる。
アリスはすぐにポリアンナの胸へ両手を重ね、一定のリズムで強く押し始めた。
一度、二度、三度。
「戻って……!」
何度押しても反応はない。
額に汗が滲み、腕が震え始めても、アリスは止めなかった。
「お願い……戻ってきてよ……!」
その傍らでは、咲夜姫が両手を固く握り締めている。指先が白くなるほど力を込め、ポリアンナから一瞬たりとも目を逸らさない。
◇
やがて、剣戟の音が止んだ。
ヴァルダーが去り、力尽きて倒れたアビスのもとに、日御子はいた。
「日御子ちゃん」
アリスの声に、日御子が振り返る。
「ポリアンナさんは……?」
アリスの手が止まった。
答えたくない。
それでも、答えなければならない。
「ポリちゃん……」
一度、言葉を詰まらせる。
「死んじゃった」
日御子の思考が止まった。
「…………え?」
言葉は聞こえた。
だが、その意味を理解できない。
「死んで……」
視線を落とす。
ポリアンナは動かない。
「そんな……」
足から力が抜けた、その時だった。
「……兄さん」
震える声が漏れた。
咲夜姫が、ポリアンナの傍らへ崩れ落ちる。
両手でその手を握り締めた。
「兄さん……起きてよ……」
大粒の涙が頬を伝う。
「お願いだから……起きてよ……!」
日御子は、何も言えなかった。
兄さん。
その呼び方の意味を、日御子は知っている。
けれど今は、そんなことを考えている余裕などなかった。
ポリアンナが死んだ。
自分を庇って。
目の前で。
「……ポリアンナさん」
声が震える。
呼んでも、もう返事はない。
胸の奥が締め付けられ、息がうまく吸えなかった。
いつも冷静で、あまり取り乱すことのない咲夜姫が、今は子どものように顔を歪めている。
ポリアンナの手を胸元へ抱き寄せる。
「置いていかないで……!」
アリスが一瞬だけ目を見開いた。
だが、すぐにポリアンナへ視線を戻す。
「いや! まだだ!」
アリスの叫びが響いた。
咲夜姫が、泣き濡れた顔を上げる。
「まだ終わってない!」
アリスは再びポリアンナの胸へ両手を重ねた。
「傷は塞いだ! 身体も直した! だから、心臓さえ戻れば……!」
胸を強く押し込む。
「アリスさん……」
「代わって!」
後ろから声が飛んだ。
ふるーるだった。
「ソリムドくん!」
「……はい!」
少し離れた場所では、ソリムドが地面に横たわっている。
アリスによって傷は塞がれているものの、まだ自力で身体を起こすことすらできない。
「ウチに《可能性解放》を使って!」
ソリムドが僅かに目を見開いた。
だが、すぐに意図を理解する。
「……分かりました!」
《可能性解放》。
淡い光がふるーるの身体を包み、眠っていた可能性が限界まで引き上げられていく。
「アリス!」
「うん!」
場所を代わると、ふるーるはポリアンナの胸元へ掌を当て、大きく息を吸った。
《生命点火》。
限界まで高められた異能を、そのまま心臓へ叩き込む。
ドンッ!
「――っ!」
ポリアンナの身体が大きく跳ねた。
アリスがすぐに胸へ手を当てる。
一秒。
二秒。
「……ダメ」
心臓は動かない。
ふるーるが歯を食いしばった。
「もう一回……!」
拳を握り、全身へ力を集中させる。
《可能性解放》によって限界まで引き上げられた《生命点火》。
その全てを、もう一度ポリアンナの心臓へ。
「動けぇぇぇぇ!!」
拳を胸へ叩きつけた。
ドンッ!!
ポリアンナの身体が大きく跳ね上がる。
アリスが胸へ手を当てた。
一秒。
二秒。
「お願い……!」
三秒。
ドクン。
「……!」
アリスの目が見開かれる。
もう一度。
ドクン。
弱い。
それでも、確かに拍動していた。
「心臓、戻った!」
「本当ですの!?」
「うん! まだ助けられる!」
日御子の顔に僅かな希望が戻る。
咲夜姫も涙に濡れた顔を上げ、ポリアンナの手を強く握った。
「兄さん……」
だが、アリスの表情はすぐに曇った。
「……ダメ」
「え?」
ポリアンナの手を握り、顔色を見る。脈を確かめたアリスが、焦ったように叫んだ。
「血が足りない!」
「血が……?」
「血を流しすぎた! このままじゃ、また心臓が止まる!」
傷は塞いだ。心臓も戻った。
だが、失った血までは戻っていない。
全身へ送り出す血液そのものが、圧倒的に足りなかった。
「輸血しないと……!」
「なら!」
日御子が周囲を見回す。
「誰かの血を――」
「誰でもいいわけじゃない」
アリスが首を振った。
「ポリちゃんはS型なの」
「S型……」
適合する者が極端に少ない、希少な血液型。
「こんな時に、すぐ輸血できる人なんて……」
「私がいます」
全員が振り返る。
咲夜姫だった。
涙を拭うことすらせず、真っ直ぐアリスを見ている。
「私の血を使ってください」
「でも、ポリちゃんはS型で――」
「私もS型です」
アリスが息を呑んだ。
「……本当に?」
「はい。兄と同じです」
咲夜姫はポリアンナへ視線を落とした。
震えていた声に、少しずつ芯が戻っていく。
「使えるだけ使ってください」
「咲夜姫さん……」
「お願いします」
差し出した腕は、まだ僅かに震えていた。
「兄を……助けてください」
アリスが強く頷く。
◇
「中へ運んで!」
アリスの声が飛んだ。
ポリアンナを抱え、急いで本部の中へ運び込む。
だが、室内も先ほどの戦闘で酷い有様だった。
窓は割れ、棚は倒れ、床には本や食器が散乱している。壁には亀裂が走り、天井から落ちた破片まであちこちに転がっていた。
「そこ空けて!」
倒れた椅子を退かし、机の上に散らばった物をまとめて床へ落とす。
「輸血の道具!」
「持ってきた!」
「布もお願い!」
「ここです!」
使えるものを慌ただしく集め、どうにか場所を作る。
ポリアンナを寝かせ、その隣では咲夜姫も腕を差し出していた。
「始めるよ」
「お願いします」
準備が整い、やがて赤い血が管を通り始めた。
咲夜姫から、ポリアンナへ。
少しずつ流れ込んでいく。
アリスは《生命接続》を維持し、ふるーるも心拍を確認し続ける。
日御子は、ただポリアンナの傍らに立っていた。
何もできない。
見ていることしかできない。
(お願い……)
ポリアンナの顔を見る。
(戻ってきて)
まだ終わっていない。
こんなところで終わっていい人ではない。
(まだ、あなたには……)
両手を強く握り締める。
(やることがありますの)
咲夜姫の血が、少しずつポリアンナの身体を巡っていく。
失われた血を補い、二人のS型の血が一つの身体の中で混ざり合っていく。
その時だった。
「……え?」
日御子が小さく声を漏らした。
何かが見えた。
ポリアンナの身体の内側から、淡い金色の光が漏れている。
「ポリアンナさん……?」
光は胸から腕へ、首へと広がり、次第に全身を包み込んでいく。
「なに……これ?」
アリスが目を見開いた。
「ポリちゃん!?」
日御子は、その光を知っていた。
かつて、自分にも起きたもの。
「まさか……」
《天照の鏡》。
日御子の瞳が、ポリアンナの内側を映し出す。
《理想国家》。
それは今も変わらず、そこにある。
だが、その隣で。
「……もう一つ?」
今まで存在しなかった新たな光が、生まれ始めていた。
覚醒異能。
ポリアンナの血と、咲夜姫から流れ込んだ血。
共鳴率の高い二つのS型が混ざり合い、その血に宿る異能までもが互いに影響し始めている。
《理想国家》。
そして、咲夜姫の《千羽思考演算》。
二つの異能が共鳴し、その影響を受けながら、ポリアンナの内側でこれまで存在しなかった力が形を成していく。
「異能が……」
金色の光が、さらに強くなる。
「新しい異能が、目覚めようとしていますの……!」
次の瞬間。
光が一気に膨れ上がった。
「――っ!」
荒れ果てた室内が、眩い金色に染まる。
アリスが目を細め、ふるーるが手で光を遮る。
咲夜姫は涙の跡を残したまま、兄を見つめていた。
そして日御子だけが、《天照の鏡》を通して、その瞬間を見ていた。
《理想国家》の隣に、新たな光が生まれる。
第二の異能。
覚醒異能。
その名まで、日御子にははっきりと見えていた。
《千軍演算》。
「ポリアンナさん……!」
その瞬間。
ポリアンナの両眼が開いた。
「――!」
眩い金色の光が、両眼から溢れ出した。
【第二部 完】




