両雄相搏つ
刀と剣が激突した。
轟音とともに、二人の足元を中心に石畳へ蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
押し合ったのは一瞬だった。
アビスとヴァルダーは同時に力を抜き、弾けるように左右へ離れる。着地した靴底が石を削った次の瞬間、二人は再び地面を蹴った。
間合いが消える。
先に振ったのはアビスだった。
右足を深く踏み込み、腰から身体を回して刀を横薙ぎに走らせる。狙いは胴。
ヴァルダーは右手の長剣を立て、刃の根元で受けた。
火花が弾ける。
アビスはそのまま押し切ろうと肩を入れるが、ヴァルダーは右足だけを半歩引いた。
支えを失った刀が前へ流れる。
待っていたように、左手の短剣が下から跳ね上がった。
脇腹。
アビスは腹を引き、腰を捻る。
切っ先が服を掠めて抜けた。
そこへ、流したはずの長剣が返ってくる。
「――っ!」
アビスが首を反らす。
銀光が頬を走り、一拍遅れて血が散った。
それでも足は止めない。
踏み込んだ右足を軸に身体を回し、流された刀をそのまま斬り返す。
ヴァルダーが上体を反らした。
切っ先が肩口を掠め、黒い服が裂ける。薄く血が滲んだ。
「……いいねぇ」
ヴァルダーが笑った。
間髪入れず一歩踏み込み、長剣を袈裟に落とす。
アビスが刀を斜めに立てて受けた。
甲高い音。
だが、それは本命ではない。
鍔の陰から左の短剣が滑り出し、喉元へ伸びる。
アビスは膝を抜いて身体を沈めた。
短剣が頭上を通過する。
同時にヴァルダーが右手首を返し、受けられていた長剣を突きへ変えた。
アビスは刀の鎬を添え、外へ滑らせる。
一方を止めれば、もう一方が来る。長剣で正面を塞ぎ、短剣で逃げ道を刈る。
二本は一つの連撃だった。
だが、アビスは下がらない。
左から迫る短剣を顔を僅かに傾けて外し、そのまま一歩踏み込んだ。
二本の刃が最も働きにくい懐へ潜り込む。
「おらぁ!」
刀ではない。
前蹴り。
踵がヴァルダーの腹へめり込み、身体が大きく吹き飛んだ。
だが、ヴァルダーは空中で身を捻る。
両足が本部の外壁へ着き、轟音とともに石壁が陥没した。
次の瞬間、ヴァルダーが壁を蹴る。
足場にされた壁が爆ぜた。
砕けた石を背後へ撒き散らしながら、一直線にアビスへ突っ込んでくる。
「はあっ!」
落下の勢いまで乗せた長剣が振り下ろされた。
アビスは両手で刀を握り、頭上で受け止める。
衝撃。
両足が石畳へ沈み、足元に亀裂が走った。
「ぐ……っ!」
ヴァルダーはそのまま押し潰すように力を掛ける。
アビスが押し返そうと腕へ力を込めた、その瞬間。
左の短剣が首筋へ滑り込んだ。
アビスは抵抗を捨てる。膝を折り、身体ごと下へ落とした。
同時に刀を斜めへ抜き、長剣を横へ弾いた。
「ははっ!」
ヴァルダーの笑い声が中庭に響く。
長剣と短剣、二本の刃へアビスは真正面から食らいついてくる。
《神殺し》は意味を成さない。
残るのは、純粋な力と技のぶつかり合い。
それが、たまらなく楽しかった。
「最高だな、お前!」
「そりゃどうも!」
アビスが踏み込み、刀を大きく横薙ぎに振る。
ヴァルダーは正面から受けなかった。
長剣を斜めに寝かせ、刀の腹へ添える。
力に逆らわず、僅かに角度を変える。
それだけで刀の軌道が外れた。
「――っ!」
刃がヴァルダーの脇を通り過ぎ、本部の外壁へ食い込む。
石壁に深い亀裂が走った。
刀が止まる。
ヴァルダーの左手が動いた。
短剣。
狙いは脇腹。
アビスは刀を引くのを諦め、左手を柄から離した。
ヴァルダーの手首へ手刀を叩き込み、切っ先を外へ逸らす。
だが、ヴァルダーはそのまま一歩踏み込み、肩をぶつけた。
「ぐはっ!」
アビスの背中が外壁へ叩きつけられる。
罅割れていた壁が耐え切れず、轟音とともに大量の石材が崩れ落ちた。
二人の姿が土煙に飲まれる。
視界が消えた。
アビスは壁から刀を引き抜く。
構えたまま動きを止め、目を閉じた。
見えない相手を探して闇雲に斬れば、その瞬間に二本の刃に食われる。
耳を澄ます。
崩れ落ちる石。地面を転がる瓦礫。遠くから聞こえる仲間たちの息遣い。
その中に、僅かな風切り音が混じった。
目を開く。
土煙から、拳ほどの石片が飛び出した。
一直線に顔面へ迫る。
その陰に、僅かな銀色が見えた。
剣先。
石を払えば、その直後に剣が届く。
横へ避ければ、もう一本が避けた先を斬る。
アビスはどちらもしなかった。
ゴッ、と鈍い音が響く。
石片を額で受けた。
皮膚が裂け、砕けた石と血が飛び散る。
それでも目は閉じない。
石が当たる寸前に膝を抜いていた。
石片の陰から伸びた長剣が、アビスの頭上を通過する。
ヴァルダーの目が僅かに見開かれた。
そこへ、低い姿勢から刀が走る。
狙いは脚。
「――はっ!」
ヴァルダーが片足で石畳を蹴り、刃を紙一重で飛び越えた。
だが、それも読まれていた。
アビスは沈めていた腰を一気に跳ね上げる。
下段から上段へ。
刀が跳ね上がった。
空中。
足場はない。
逃げ場もない。
「……!」
ヴァルダーは右の長剣と左の短剣を交差させるように、迫る刀の軌道へ差し込んだ。
激突。
甲高い金属音が響き、ヴァルダーの身体が弾け飛ぶ。
背中から崩れかけた外壁へ叩きつけられ、壁が崩落した。
粉塵の向こうで、ヴァルダーが心の底から楽しそうに笑った。
◇
日御子はポリアンナの傍らへ膝をつき、震える両手で腹部の傷を押さえていた。
どれほど力を込めても、指の隙間から血が溢れてくる。
「ポリアンナさん……!」
反対側では、咲夜姫がポリアンナの手を両手で握っていた。
何度呼びかけても返事はない。
咲夜姫は手を離さず、ただその顔を見つめ続けている。
「ポリちゃん!」
そこへ、のぶおの治療を終えたアリスが駆けてきた。
「日御子ちゃん、代わって!」
「お願いしますの!」
アリスはすぐにポリアンナの傍らへ膝をついた。
その表情を見届ける間もなく、再び中庭へ轟音が響く。
日御子が振り返った。
巻き上がる砂煙の中で、アビスとヴァルダーが再び激突していた。
◇
アビスの刀が胸元を薙ぐ。
ヴァルダーは足を動かさず、上体だけを反らした。
刃が服を掠める。
返す長剣が脇腹へ走り、刀が割り込む。
その瞬間には、左の短剣が肩へ伸びていた。
アビスは長剣を押し上げ、生まれた僅かな空間へ身体を沈める。
短剣が髪を掠めた。
そのまま刀を突き上げる。
ヴァルダーが後ろへ跳ぶ。
一足。
二足。
距離が開いた。
「…………」
ヴァルダーの目が細くなる。
今までとは違う。
他の奴らは戦い方を見て、癖を見て、弱点を見つける。そこへ《神殺し》を叩き込めば、それで終わった。
今のアビスは一合ごとに動きが変わる。癖を掴んだと思えば、その次にはもう別の答えを返してくる。
初めは、手に入れた膨大な力をそのまま叩きつけていただけだった。
だが今は、届かなかった刀を次へ繋げ、受けられた角度を覚え、二刀の連携まで見始めている。
戦いながら、新しい身体へ適応している。
「なんだこいつ……!」
ヴァルダーの笑みが深くなる。
右足を踏み込み、長剣を大きく振り下ろした。
アビスが刀で受ける。
衝撃に両腕が沈む。
同時に左の短剣が動いた。
アビスが身体を右へ逃がす。
当然、ヴァルダーも右へ回る。
長剣で正面を塞ぎ、短剣で内側を狙う。
先ほどから何度も使った足運びだった。
その時、アビスが右肩を引いた。
横薙ぎ。
ヴァルダーはそう読んだ。
刀の軌道から外れるため、半歩だけ左へずれる。
だが、刃は来ない。
「――!」
アビスは肩を引いただけだった。
次の瞬間、足元で何かが弾ける。
アビスが石片を蹴り込んでいた。
砕けた石が、踏み出そうとしたヴァルダーの靴底へ滑り込む。
足が僅かに流れ、重心が崩れた。
その一瞬を、アビスは逃さない。
刀が走る。
長剣は戻らない。
短剣も届かない。
ヴァルダーは首を捻った。
それが精一杯だった。
銀光。
一拍置いて、頬から血が流れる。
「…………」
ヴァルダーが動きを止めた。
指先で頬へ触れる。
赤い。
その血を見て、笑った。
最初は二本の刃を捌くだけで精一杯だった男が、今やその動きを読み、ヴァルダーの癖まで利用してみせた。
(こいつ……俺の動きを覚えてやがる)
背筋がぞくりと震える。
嬉しい。
アビスはまだ強くなる。今日倒した連中も、このままでは終わらない。
今ここで全部潰すのは、あまりにももったいない。
「……そっちの方が」
ヴァルダーが呟く。
アビスが刀を構えた。
「何だ?」
ヴァルダーも長剣と短剣を構え直す。
「なんでもねぇよ」
風が抜けた。
二人の動きが止まる。
崩れた外壁と砕けた石畳の上を、舞い上がっていた砂煙がゆっくりと薄れていく。
中庭から音が消えた。
聞こえるのは、互いの呼吸と、崩れかけた石材が時折転がり落ちる小さな音だけ。
どちらも動かない。
一歩踏み込めば、斬られる。
そんな緊張の中、アビスの額から流れた血が右目へ入り込んだ。
瞬き。
その瞬間、ヴァルダーが消えた。
だが、アビスは読んでいた。
中庭の中央で、三つの刃が同時にぶつかる。
轟音。
アビスが長剣を外へ弾く。
即座に短剣が喉へ走る。
刀では間に合わない。
柄頭をぶつけて軌道を逸らし、そのまま斬り返す。
ヴァルダーが長剣で受けた。
三つの刃が絡み合う。
「ぐ……!」
アビスが押す。
石畳が軋む。
ヴァルダーは笑っていた。
そして突然、右手の力を抜く。
「――っ!」
支えを失い、押し込んでいたアビスの身体が前へ流れた。
その瞬間、左の短剣が刀を下から跳ね上げる。
アビスの両腕が浮く。
だが、ヴァルダーは斬らなかった。
そのまま大きく後ろへ跳ぶ。
「……?」
アビスはすぐに体勢を立て直し、刀を構える。
だが、ヴァルダーは来ない。
左の短剣を鞘へ収め、続いて右の長剣も収めた。
「は?」
アビスが眉をひそめる。
「なんのつもりだ?」
ヴァルダーは答えず、倒れているNKJの面々を見渡した。
そして日御子を見る。
アルベルトから殺すよう頼まれた、もう一人の標的。
本来なら、ここで殺す。
だが、ヴァルダーは笑った。
「もう少し育った方が面白そうだ」
アビスを見る。
最後にポリアンナへ視線を向けた。
「チッ、早まったか」
「……何を」
日御子が目を見開く。
ヴァルダーは背を向けた。
日御子の拳が震える。
これだけのことをしておいて、背を向けて去っていく。呼び止めたかった。けれど、止める力はどこにもない。下手に呼び止めて気が変われば、今度こそ全員が殺される。
日御子は唇を噛み、言葉を飲み込んだ。
「……どこへ行く」
刀を構えたまま、アビスが問う。
ヴァルダーは振り返らなかった。
「帰る」
それだけ言って、歩き出す。
アビスも追わなかった。
ヴァルダーはそのまま、NKJ本部を去っていった。
◇
ヴァルダーの姿が消えても、誰もすぐには動けなかった。
また戻ってくるのではないかという恐怖が残る。
しばらくして、ようやく日御子が息を吐く。
その時、カラン、と金属音がした。
「……え?」
アビスの手から刀が落ちていた。
身体がぐらりと揺れる。
「アビスさん!」
日御子が駆け寄り、倒れ込んできた身体をなんとか受け止めた。
「大丈夫ですの!?」
「……いや、全然」
アビスが力なく笑う。
「身体が……動かない」
そのまま地面へ座り込んだ。
「さっきまで、あんなに……」
「そりゃあ、ね」
アビスは自分の身体を見下ろし、小さく笑った。
「……貯金、使い果たしちゃいました」
「…………」
二十年間積み上げ続けた《百錬蓄積》の貯蓄。
その全てを、一度に力へ変えて解放した。
アビスは仰向けに倒れ、長く息を吐く。
「また……貯め直しですね」
日御子は、その顔を見つめた。
アビスは生きている。
「……よかったですの」
胸の奥に詰まっていたものが、ほんの少しだけ緩む。
その時だった。
「日御子ちゃん」
アリスの声がした。
日御子が振り返る。
ポリアンナの傍らで、アリスが膝をついたまま俯いている。
その隣では、咲夜姫がポリアンナの手を握り締めたまま、動かずに俯いていた。
「アリスさん……?」
いつもの明るい顔ではない。
胸の奥へ、冷たいものが落ちていく。
日御子はゆっくりと立ち上がった。
【第八十二話 死のその先へ】へ続く




