百錬蓄積
ヴァルダーは、ポリアンナの身体に突き立てた剣を、容赦なく捻った。
傷口から鮮血が噴き出す。そのまま剣を引き抜くと、さらに血が溢れ出した。
ポリアンナは、もう動かなかった。
「ポリアンナさん!」
咲夜姫が駆け出した。
膝をつき、その手を両手で握る。
「ポリアンナさん、聞こえますか!?」
返事はない。
咲夜姫の声が僅かに震えた。それでも手を離さず、何度も名前を呼ぶ。
日御子も駆け寄りたかった。
名前を呼びたかった。まだ生きていると確かめたかった。
それなのに、足が動かない。
「あとはお前だけだ」
ヴァルダーがこちらを見る。もう使う価値もないと判断したのか、その両眼から《神殺し》の光が消えていた。
ゆっくりと、日御子へ向かって歩き出した。
「……っ」
後ずさる日御子へ、ヴァルダーが剣を構えた。
その時、一人の男が日御子の前へ出た。
「……えっ」
アビスだった。
日御子を背にして、ヴァルダーとの間に立つ。
「アビスさん……?」
アビスは振り返らず、ただ刀を構えた。
「下がってて」
「ですが――」
「いいから」
日御子は、その背中を見つめた。
ソリムドが斬られ、のぶおが腕を断たれ、アイザックが倒れ、鬼龍神もビビアンももりやんも、次々と地面へ沈んでいった。
自分より遥かに強い者たちが、一人残らず。
それを、アビスは全部見ていた。
勝ち目がないことくらい、分かっているはずだ。
それでも前に出た。
誰にも命じられていない。自分の意思で、日御子の前に立っていた。
◇
ヴァルダーが足を止める。
「まだいたのか」
「悪かったね。影が薄くて」
アビスが構え直す。
「はっ」
ヴァルダーが笑い、剣を持ち上げた。
「じゃあ、さっさと来い」
その言葉に、アビスが地面を蹴る。
踏み込みから放った袈裟斬りを、ヴァルダーは僅かに身体をずらしてかわした。
空を切った刀を返し、横薙ぎ。
今度は剣で受け止められる。
金属音が弾けた。
アビスは止まらず、刃を滑らせながらさらに踏み込む。間合いを潰し、三撃目へ繋げようとした。
だが、ヴァルダーの方が速い。
剣を捻って刀を外へ弾き、空いた懐へ滑り込む。
「――っ!」
脇腹へ蹴りが突き刺さった。
「ぐっ!」
アビスの身体が地面を転がる。
「アビスさん!」
「来るな!」
すぐに立ち上がり、口元の血を拭う。
そして、もう一度刀を構えた。
ヴァルダーがつまらなそうに剣を向ける。
「お前、異能使えないのか?」
アビスが答えた。
「とっくに使ってる。《身体強化》だ。子供の頃からずっと発動しっぱなしで、止め方も分からない」
「実際、少しずつ強くなってる。そういう異能なんだろ」
アビスが再び踏み込み、袈裟斬りを放つ。
ヴァルダーは半歩下がってかわすと、そのまま剣を閃かせた。
「――っ!」
胸元が裂け、鮮血が噴き出す。
膝が落ち、アビスは地面へ倒れた。
「アビスさん!」
日御子が叫ぶ。
また、自分を守ろうとした人が目の前で倒れた。
「……嫌」
アビスを見る。
何か。何かないのか。この人を助けるものが。
(お願いですの……)
思わず、《天照の鏡》を向けた。
(何か……)
そして、日御子の目が大きく見開かれた。
◇
光。
アビスの身体に、無数の光が見える。
「……え?」
一つではない。身体中に、数え切れないほど積み重なっている。
こんなものは、今まで見たことがない。
「なんですの……これ……」
「……何が?」
地面に手をつきながら、アビスが顔を上げる。
日御子は答えられなかった。
《天照の鏡》が、光の正体を映していく。
昨日。アビスは木刀を振っていた。
一年前。汗だくになりながら走っていた。
五年前。倒れても、また立ち上がっていた。
そして十年前。まだ幼さの残るアビスが、一人で身体を鍛えていた。
一日。また一日。さらに次の日も。
全部、残っている。
走ったことも、木刀を振ったことも、身体を痛めつけたことも、限界まで自分を追い込んだことも。
何一つ消えず、光となってアビスの中に積み重なり続けていた。
「あなたの中……」
日御子が呟く。
「努力だらけですの」
「……え?」
アビスが目を丸くした。
日御子には、さらに見えていた。
光の奥。その中心にある、アビスの異能の正体。
《百錬蓄積》。
ずっと発動している。それは間違っていない。
だが、身体を強化しているわけではなかった。
「違う……」
「何が?」
日御子がアビスを見る。
「あなたの異能は、身体強化ではありませんの」
アビスの表情が固まった。
「……何言ってるんですか? だって僕は」
自分の身体を見下ろす。
「ずっと強くなってる」
日御子は迷わなかった。
「それは、アビスさんが鍛えたからですの」
「あなたが走って、鍛えて、何度も何度も繰り返して、自分で強くなったんですの」
日御子の目には、今も無数の光が見えている。
「《百錬蓄積》がしていたのは」
その光が、一つに繋がっていく。
「蓄積」
アビスが息を呑んだ。
「あなたが積み上げた努力を、ずっとあなたの中に蓄え続けていたんですの」
二十年。
一度も失われることなく積み重なった、膨大な光。
そして《天照の鏡》は、もう一つの真実を映していた。
「それだけじゃありませんの」
「……まだあるのか」
「出せますの」
「……何を?」
「蓄えた努力を、力に変えて」
日御子の瞳に、その光が映る。
「全て解放できますの」
◇
アビスは、しばらく黙っていた。
自分は、ずっと異能のおかげで強くなっているのだと思っていた。
才能がないことは、誰よりも自分が知っていた。周りは皆、異能一つで戦場を変えていく者ばかりだった。
それでも、地味だけど《身体強化》があるなら、続けていればいつかは追いつける。
ずっと、そう信じてきた。
でも、違った。
走ったのも、鍛えたのも、倒れてまた立ち上がったのも、全部自分だった。
異能が自分を強くしていたわけではない。
日々積み重ねた努力を、消えないように蓄え続けてくれていただけだ。
喜びは湧いてこなかった。
代わりに、静かなものが胸の奥へ落ちてくる。
誰にも見られていなかった。誰にも褒められなかった。
それでも毎日、木刀を振り続けた。
その一本一本が、無駄ではなかった。
自分は、自分の力でここまで来た。
「……解放」
アビスが小さく呟いた。
意識を、自分の内側へ向ける。
そこに確かにある。
今まで存在すら知らなかった、膨大な積み重ねが。
アビスは、それを掴んだ。
努力を力へ変える。
そして――解き放つ。
「――っ!」
空気が震えた。
日御子の髪が大きく煽られ、アビスの足元から亀裂が走る。
二十年間、誰にも見られず、誰にも褒められず、それでも一日一日積み重ね続けた努力。
その全てが力へ変わり、濁流のように身体中を駆け巡った。
ヴァルダーの笑みが、初めて薄れる。
「……なんだ?」
アビスがゆっくりと立ち上がった。
先ほど受けた傷から、血は流れている。
それでも、立っているだけで空気が違った。
刀を振ってみる。
「なるほどな」
一歩、踏み出す。
その姿が掻き消えた。
「――!」
次の瞬間には、ヴァルダーの眼前。
振り下ろされた刀へ、ヴァルダーは反射的に剣を合わせた。
激突。
耳をつんざく轟音とともに、二人の足元から土が爆ぜた。
「……っ!」
ヴァルダーの剣を握る腕が沈む。
これまでなら、受けた瞬間に流せた。
だが、流れない。
刀を受け止めたまま、ヴァルダーの身体が押し込まれる。
靴底が地面を削った。
一歩。
二歩。
三歩。
数歩押し戻されたところで、ようやくヴァルダーが刀を弾く。
二人の間に距離が開いた。
日御子が息を呑む。
「アビスさん……」
あのヴァルダーが、一合で押された。
ヴァルダーも、僅かに目を見開いていた。
だが、すぐに笑みが戻る。
「……面白ぇ」
その両眼が怪しく光った。
「なら、これはどうだ?」
《神殺し》。
日御子の《天照の鏡》に映っていた《百錬蓄積》が消える。
異能そのものは、確かに封じられた。
だが――。
アビスは、何事もなかったように刀を構え直した。
「……あ?」
ヴァルダーの笑みが止まる。
《百錬蓄積》がしていたのは、努力を蓄積し、それを力へ変えて解放すること。
二十年分の努力は、すでに力へ変換され、アビスの身体を駆け巡っている。
異能を封じても、解き放たれた力まで消えるわけではない。
アビスが刀を握り直した。
「日御子さんに、使い方は教わった」
ヴァルダーを真っ直ぐに見据える。
「あとは」
口元に笑みを浮かべた。
「俺の二十年の出番だ」
一瞬の沈黙。
そして。
「……ははっ」
ヴァルダーの口から、堪えきれないような笑いが漏れた。
「いいな」
その顔に、心底嬉しそうな笑みが広がっていく。
「最高じゃねぇか」
空いていた左手が、腰へ伸びた。
そこには、これまで一度も抜かなかったもう一本の剣がある。
鞘走りの音が、中庭へ響いた。
「おい……」
地面に倒れたまま、パルパティーンが目を見開く。
あの男が二本目を抜いたところを、一度も見たことがない。
「……二刀だと?」
右手に一振り。
左手に、もう一振り。
ヴァルダーが嬉しそうに笑いながら、初めて二刀を構えた。
【第八十一話 両雄相搏つ】へ続く




