第25話(完結話) その後の話2
「ウェステリア」
ルーレンスが、静かに名前を呼んだ。
「はい」
「一つ、聞いてもいいかな」
「なんでしょう?」
ルーレンスは、海の方を見たまま、少しの間黙っていた。
それから、ゆっくりとウェステリアの方を向いた。
「あなたは今、幸せだろうか」
予想していなかった問いだった。
しかし、改めて考えてみれば、自分のこれまでの生活には様々な苦難があった。
ようやく生活が落ち着いた私のことを、ルーレンスは今でも心配してくれていたのかも知れない。
ウェステリアは、すぐには答えられなかった。
――幸せ。その言葉を、自分に向けて考えたことが、最近あっただろうか。
仕事は充実していた。仲間がいた。父がいた。
そして——目の前に、この人がいる。
「はい」
ウェステリアは、静かに言った。
「今は、幸せです。自分の足で立っている、という気がしています。それが——これほど、清々しいものだとは、知りませんでした」
ルーレンスは、その言葉を聞いて、目を細めた。
「よかった」
それだけ言って、また海の方を向いた。
暫く二人だけの静かな沈黙が続く。再び、ルーレンスが口を開いた。
「もう一つだけ、これは質問というよりもお願いに近いかも知れないが」
「…?」
「これからも、私が、君の側にいることを、どうか許してもらえないだろうか」
ウェステリアは、ルーレンスを見た。
その顔は真剣そうで、そしてどこか緊張でこわばっているようにも見える。
彼は静かに言葉を紡いだ。
「__私は、ずっとあなたのことが好きでした」
ルーレンスは、真っ直ぐにウェステリアを見て言った。
「幼い頃から。戦地にいる間も、ずっと。あなたのことを思い出すたびに、早く戻らなければと思っていた。それが、私が生きて帰ってきた理由の一つでもある」
それはウェステリアにとって初耳のことであった。
「あなたが苦しんでいる時に出会えたことを、複雑に思う気持ちもある。
しかし、それでも——そばにいられたことは、私にとって何よりのことでした」
その横顔は、いつも通りの静かなものだったが、耳の先が、わずかに赤くなっていた。
——ああ、そうか。
ウェステリアは、胸の奥で何かが、ゆっくりとほどけていくのを感じた。
この数ヶ月、ルーレンスがそばにいてくれた。
商会の立て直しの時も、裁判の時も、怖い夜も、疲れた朝も——いつも、少し離れたところで、静かに見ていてくれた。
押しつけがましくなく、しかし確かにそこにいた。
それがどれほど、自分の支えになっていたか。気づいていなかったわけではなかった。ただ、認めることを、どこかで後回しにしていた。
「私も……いたいと思っています」
ウェステリアは、少し間をおいてからゆっくりと言った。
少し間を置いてから、続けた。
「あなたのそばに、いたいと思っています。これからも__」
ルーレンスは、海の方を見たままだった。
しかしその口元が、少しだけ動いた。
ずっと考えていたことだった。
エヴァンスと離縁してから、自分はこの後の人生を一人きりで過ごすものと思っていた。
エヴァンスに冷たく離縁を突きつけられて、ウェステリアとしてももうあんな思いはしたくないと、改めて今後のことを考えるのを、嫌煙していたこともある。
しかし、そんな私のそばに、ルーレンスは何も言わず、ただずっと側にいてくれた。
やがて、彼はウェステリアの方を向いた。その顔に、初めて見るような、穏やかな、本当に穏やかな笑みが浮かんでいた。
「ルーレンス」
ウェステリアは、やっと声を出した。
「私も——私も、あなたがそばにいてくれるから、立っていられると思うことが、何度もありました。最初は、気づいていなかった。でも今は、わかります」
ウェステリアは、少し照れながら、しかしまっすぐに答えた。
「私も、あなたが好きです」
ルーレンスは、しばらく黙っていた。
それから、深く息を吸って、静かに言った。
ルーレンスは目を見開いたまま暫く固まっていたが、やがてウェステリアの方を向き、肩肘をついて、ウェステリアの手を取る。
「ウェステリア、君を私の人生をかけて幸せにすると誓います。
この私と、ともに歩んでいただけますか。死が二人を分かつまで、ずっと__」
夕日が、丘の上の二人を橙色に照らしていた。
波の音が、穏やかに続いていた。
ウェステリアは、その問いに、今度はためらわずに答えた。
「はい」
夕暮れ時の丘の上に、二人が恥じらうような笑顔が溶けていった。




