文化祭【2】
「……で、まーた俺等の時間を邪魔する訳か。あれか、実は計算かお前。卒業してからも俺と花京院の邪魔する気満々なんだな」
「ちがうよォ。真剣に悩んでるんだって焔センパァイ」
すっかり入り浸ってしまった焔蓮哉先輩の寮室にて、ぐだぐだと腐りながらローテーブルの冷たさを額で実感していると。
「けれど実際、由々しき問題ではありますよね。文化祭は私達生徒会としても、一年間の活動の中で最も大きなイベントですから。……まあ、私達は『元』ですが」
黒のカットソーに薄手のカーディガンといった至極簡単な軽装で現れた花京院先輩に、ビックゥと背筋が伸びた。
う、うわああ、鎖骨っ! 鎖骨が綺麗、っていうか手首細っ! やっぱ花京院先輩の私服ってなんか謎にドキドキする!
「……おい、うちのを邪な目で見てんじゃねぇぞ。お前には黒葛原がいるだろうが」
「う"っ」
「「ん?」」
さらりと寄越されたみづきさんの名前に、伸びた背筋が再び腑抜けていった。
「……お前、まさか黒葛原のこと避けたりしてるんじゃないだろうな?」
「…………」
「ああ、これはやらかしましたね」
先輩二人の溜め息が痛い。
「だ、だって、なんか自覚した途端みづきさんがめちゃくちゃ可愛く見えて、こう、直視できないというか、でもみづきさんは普通に部屋来る? とか聞いてくるし、もう避けるしかないというか」
「ヘタレ」
「ドヘタレ」
「う"う"っ」
焔先輩の呆れと花京院先輩の絶対零度の声に、情けない言い訳はみるみるうちに萎んでいった。いや、自分でもわかってるんだ。ヘタレだって。
「まあそれは一旦措いておきましょう。今日ここまで足を運んできたのは、『恋愛相談』の為ではないでしょう?」
「あ……」
目の前に置かれた湯気を柔らかく立たせるそれに、ぶわりと懐かしさが込み上げてきた。
一年前。まだ俺が生徒会会計として右往左往していた頃に、疲れやほんの少しでも気持ちが落ち込むと必ず出されていた花京院先輩特製のミルクティー。温度も程好くて、俺達後輩は彼の然り気無い優しさが形にされるこの『休憩』の合図が大好きだった。
ああ、いつからこんなにも弱くなってしまったのだろう。些細な思い出の欠片ですら、触れた瞬間に哀しくなってしまうだなんて。
「だが前例がないとなると、こちらとしても動きにく……」
「いえ、前例ならありますが」
「えっ」
「え。」
あっさりと寄越された花京院先輩の当然のような返答に、二人して間抜な声を上げてしまった。
「確か八年前でしたかね。歴代生徒会年間行事予定ファイルの中に残っている筈ですよ。当時は六月ではなく九月に変更された為、苦肉の策で体育祭を取り止めて文化祭を行ったようですが」
まるで今見てきたかのような迷いのない言葉に、この人の記憶能力ってやっぱり常識を逸脱してるんだよなあ、と何とも言えない気持ちになった。
「流石だな織色……。そのファイルに三年以上前のものも残っていたなんて、俺も知らなかったぞ」
「まあ、私も整理していた時に偶々目に入って覚えていただけですから。ほら、内容が内容ですし」
いや、花京院先輩のたまたまは確実にたまたまじゃないからね。普通覚えてないからね。そんな一瞬の情報。
「……けど、やっぱり取り止めるしかないのかなあ。球技大会」
はあ、と吐いた溜め息は、情けない顔を映すミルクティーの中に湯気と共に溶けていった。
「――私達なら、そうしたでしょうね」
「そうだな。俺達なら、な」
「……え、と?」
何やら含みのある二人の笑うような声に、恐る恐るそこに座る『先輩』達を見上げた。
「今の『会長』は、誰ですか? 二条」
「――!」
「そもそも、私は怒っているのですよ」
ずいっと涼やかな氷の美貌が目前へ差し出され、ドキリとした。
眉間にやんわりと寄ったシワ。冷徹に整った表情の中、激情を映す青が綺麗だ。
「何故、貴方はこんな所にいるのですか」
「へ、」
「貴方が相談する相手は私達ですか? 違うでしょう。生徒会長である貴方の学校に関する悩みを、どうして在校生でもない私達が答えねばならないのです」
スッと、冷や水を飲まされた気持ちだった。
――ああ、そうだ。俺は、こんなところで何をしているんだろう。
「まあ、気持ちはわかりますがね。誰だって不安な時は先人を頼りたくなるものです。けれど、貴方はもう最高学年なのですよ。貴方にとっての先輩が私達であるように、貴方の後輩達の『先輩』は貴方達だけなのです。しっかりしなさい。頼る相手すら間違えているようでは、話になりません」
バッサリと切り捨てられた『甘え』に、じわじわと頬が緩んでいく。
こうして、遠慮なく叱ってくれる先輩がいるから、俺は間違えた道を誤ったまま進むことなく戻ってこられるのだろう。
――そして、叱ってくれる先輩だけじゃない。その場で手を差し伸べて、馬鹿な俺が気付くまでずっと待ち続けてくれる『天使様』が、俺にはいるじゃないか。
「……俺、帰ります。みづきさんと、――生徒会のみんなと、ちゃんと話し合ってくる」
ほんの少ししか口を付けていなかったミルクティーを、一気に飲み干して、迷うことなく立ち上がる。
ミルクティーの温かさは懐かしい記憶の温かさ。もう過去のものなのだ。いつまでも縋っていては駄目だ。
「初めからそうしなさい」
「いつまで経っても世話がかかるな、お前らは」
先輩達がゆるゆると笑って背を押してくれる。
本当に、優しい人達ばかりだ。冷たくて熱い黒の目も、人を惹き付ける青の目も、全てを受け入れる緑の目も、きっと俺には一生得られないものだけれど、そんな人達の瞳の強さに、どうしようもなく憧れて好きになる。
「ああ、けれど、ひとつだけ。」
花京院先輩が『あの日』と同じ言葉を繰り返して、俺を引き留めた。
「“貴方”が会長に選ばれたという事実をよく考えなさい。蓮哉でもなく黒葛原でもなく、――『会長』は、貴方なのですよ。二条」
そう、こっそりと悩む子供にヒントを与えるみたいな、反則な顔をしたその人の微笑みに、ずくりと心臓が音を立てた。
続いて、焔先輩までもが、同じ顔をして俺を捕らえていく。
「皆、“お前にしかできないこと”を期待して二条友紀を推したんだ。存分に応えてやれ。――会長」
「……はいっ!」
――ほんと、『先輩』ってずるい。
高等部寮へ帰り一日じっくりと悩んだ末の翌日。俺はさっそく生徒会役員を召集し緊急会議を開いた。
議題が議題な為、相変わらず適当な顧問から「あー、じゃあ公欠にしとくし好きにして」とのお言葉も頂戴し、無事公欠の権限も勝ち取ったので出席日数による心配はない。
ていうか本当にこいつ教師で大丈夫か。いや、そもそもこの学校の生徒会に重圧が掛かりすぎるシステム自体が大丈夫か。
「で、前回では体育祭を取り止めしたんですよね」
例のファイルをみづきさんと二人で発掘した後、コピーして回したそれを眺めながら新原が唸る。
「まあ、この流れでいけば球技大会取り止めが妥当でしょうねえ」
くしゃりと、遠い遠い先輩達が断腸の思いで決行したであろう『取り止め』の内容を見つめて、洩れかけた声を殺した。
「――でも、会長は嫌なんだよね?」
「っ!」
翡翠が、優しく光をすぼめながら俺を見ていた。
「なら、どうするんですか。どっちもとか無理ですよ。大体、日時的にかぶるでしょう、これ。保護者とか呼ぶなら」
そう。仮に『文化祭』を開催するならば、日時は祝日を跨いだ日に確定される。文化祭とは生徒達自身の発表の場であると同時に、外部への“学校”アピールでもあるのだから。
「――なんで無理なんだ?」
きょとりと、何が問題かすらもわからないといった顔で、高良が面を上げた。
「いやだから、文化祭も球技大会もやるってなったら絶対日にちが被るから……」
「一緒にやっちゃえばいいだろ」
「「「は?」」」
今度こそ、飲み込みきれなかった戸惑いは高良以外の全員の口からこぼれていった。
「どっちもやりたいならその日に一緒にやっちゃえばいいじゃん。ね、トモ先輩」
「あのな高良……」
「あー、それもありかもねえ」
「はあ!? 正気ですか副会長!」
みづきさんののほほんと落とされた一言に、頭が痛いと額を抑えていた新原が吠える。
「べつに不可能ではないよお。――僕達にそれを、完璧に回して外部の人間もいる中、トラブルを最小限に立ち回れる自信と能力があるのならね」
「――――」
その沈黙は、ひどく、重いものだった。
「……できると思う? 『会長』」
重い、重い、問い掛けだ。ひとりだけだと、あっという間に潰れてしまいそうなくらいに。
でも。――俺を見つめる瞳は、六つもある。
「……花京院元副会長と焔元会長なら、馬鹿馬鹿しいって一刀両断したんだろうな」
「そうだねえ。そしてもっと完璧な案を出してきただろうねえ。……ここにいたなら」
「でも、先輩達はもういない。動かすのは、現生徒会である俺達だ」
彼等ならば、こんな無謀な挑戦はしない。彼等が先輩としてここに立っていたならば、俺達後輩はただ決定に従いついていくだけでよかった。
――けれど、今の『会長』は俺だ。
「やろう。やるしかない。俺達が頑張ればいいだけの話なんだろ。不可能でないのなら、――最後まで足掻こう」
机を囲む仲間達の口角が不敵に上がっていく。――ただ一人を除いて。
「俺は、反対ですよ」
「……ニーバラちゃん」
冷静な『後輩』の瞳は、真っ直ぐ俺へと問い掛けていた。――本当にできるのか、と。
「不満が生まれない筈がない。リスクが高すぎる」
「不平不満は承知の上だよ。どんな手段を取ったって異例の事態である以上、絶対に批難の声は上がってくる。それをどれだけ抑えられるか、が勝負なんじゃないの?」
漆黒と翡翠が、静かに視線を絡み合わせた。
「……黒葛原副会長は、できると思うんですか」
「さあ。僕に未来はわからないもの。――でも、やること自体に意味はあると思う」
再びの沈黙が場を支配して。それを操っているのは天使と、同等に意見を交わす後輩で。支配された空気に、打開策の一つも出せない情けない俺達は、ただその決定を見守るしかない。
――はあ。
息を吐いたのは、新原だった。
「我が校きってのキューピッド様と天使様がそう言うのなら、信じるしかないですね」
「新原……!」
肩を竦め、皮肉と共に苦笑を浮かべるそこに、嘲りはない。
「あ、その代わり計画は完璧に仕上げていきますからね。後々まで残される黒歴史にはしたくないですから」
「もっちろーん☆ ぼくとまさきくんでしーっかり組んでいこうねえ」
「ん? みっき先輩、俺は? 俺は?」
「バカは黙ってて」
「バカは黙ってろ」
「……っぷ、はは! フラれたなタカラ!」
まるで緊張感のない仲間達の様子に、やっぱり大丈夫だ、と根拠のない安心感を懐いて彼等を眺めた。
こんなに頼もしい仲間達が三人もいるんだ。……大丈夫。乗り越えられる。
「そんじゃ、球技大会と文化祭は同時開催、で異論はないな?」
「「「はい!」」」
こうして、放課後までかけて四人で白熱しながら話し合った結果、
三日間のうち本来一日だけの球技大会を二日に分けてどちらとも午前に固定。午後から校舎を解放しての文化祭へと移行し、三日目には通例通りの生徒へ向けた後夜祭。文化系クラブに突然出し物の準備をと急かしても、きっとクラブ側も年間で予定を組んでいるだろうから、そういった組織には改めて十月三一日のハロウィンに別途の機会を与える形に収まった。演劇部とか、今新人育ててるとこだもんな。
ここまで柔軟に対応したのだからこのくらいの希望は叶えてほしい。これで十月に時間が取れないなんて言われたら理事へ暴動を起こしてやる。……なんて、冗談だけど。半分。
「なら着替えとシャワーの時間も取って、一旦全員寮に帰してから改めて午後の文化祭用に生徒等を呼んだ方がいいですね。部活棟のシャワーは不公平が出るため使用禁止で」
「そうだねえ。どうせなら保護者とかも参加型の種目にして午前も見学可能にする? 関係者だけ。その辺は体育祭と変わらないから僕らでも対応はできると思うけど。生徒等を帰した空き時間には鹿鳴館に集めて保護者の交流の場にするのも有りだし。どうせそういう家の人ばかりでしょ? 来るの」
「ああ、なるほど。いいですねそれ。それならパイプ作り目当てで見学者も増えそうだ。なら食堂側にも連絡を入れて立食パーティーの形を取って、さすがに俺ら四人だけのホストじゃ手が回らないから文化委員にも協力して貰いましょうか。となるとトラブル対応に風紀の手も必要になってくるな」
「彼等にも球技大会自体は参加してほしいから……」
「あ、ではここは……」
生徒会の頭脳派二人のおかげで、あれだけ悩んだ案件がスラスラと解決していく。
頼もしいどころの話じゃなかったな、うん。この二人がいたら当日のトラブルすらも楽々越えられそうだ。……て油断が命取りなんだよな。しっかりしろ会長。
「……ま、今日はここまでにしようか。きょーいちろうくんもすっかり疲れちゃったみたいだし」
「あ、いやメモは取ってるっすよ! 俺だって書記っすから! 議事録は明日にさせてほしいっすけど!」
「お前に瞬時に纏められるなんてこっちも期待してねーよ」
「あっ、それどういう意味だよ新原ぁ!」
後輩達がじゃれ出す。空はすっかり茜色だ。
これ以上の集中力は期待できないか。
「それじゃ、今日はもう解散するか。明日もう一回公欠を取って、どこの委員会に協力が必要かを朝から話し合い決定。放課後には委員長会議にまで漕ぎ着けられたら、て思ってる。それでいいか?」
「はーい。かーいちょ」
「早いうちに決定して校内連絡出さないとですもんね」
「了解っす!」
満足げに頷いた面々は、各自立ち上がると下校への準備を始めた。
机を明るくてどこか暗いオレンジが侵食して、儚い金髪がそのオレンジを吸い込んでいく。
――逃げ癖を持つな。
みづきさんは、怒らないから。例え怒ったとしても、それは誰かの為でしかない言葉だから。だから、俺が逃げたら、そこで天使との繋がりはなくなるんだ。
小さく、息を吸って。
「……っみづきさん!」
「なぁに?」
ふわりと天使が振り返る。いつもと変わらない、優しい笑みで。
「俺――」
「あ! トモ先輩!」
「ああ!?」
出ていった筈のノッポな焦げ茶頭が見えて、思わず八つ当たり気味に声を荒げてしまった。
ちょっとは空気読めよ! 出だしずっ転けたじゃねぇかバカ高良ー!!
……なんて、俺は心の中で毒付いていたというのに。
「俺、普段のおちゃらけた先輩も好きっすけど、さっきみたいな本気モードの先輩、カッコイイと思うっすよ!」
ニカッと爽やかな笑顔が、扉から半分顔を出した状態で寄越された。――こういう不意打ちがあるからずるいんだよ。うちの後輩達は。
「……バーカ! オレサマはいつでもカッコイーだろ!」
「あ、それはねぇっす」
「オイ!」
やっぱり一言余計な後輩が、悪事を成功させた子供のような顔をして駆け去っていく。おい、廊下は走るな!
「さぁっすがかいちょお。なつかれてるねえ」
「いや、アレは懐くっつーかなめられてるというか……」
「それも人望だよ☆ ……で、なんだったの?」
みづきさんが、ニッコリと笑って先程遮られた言葉の続きを促してきた。
「あ、えっと、」
あれ、そういや俺何言おうとしたんだっけ。そもそも、何も考えずに話し掛けてしまった気がする。
「その、……あ! みづきさんもさ、そろそろオレのこと名前で呼んでよ。ほら、友紀でもトモちゃんでも、あ、トモくんとか」
ヘラリ。いつも通りの中身のない笑顔。
そう、いつも通りだったんだ。全て。
「無理」
――天使からの拒絶の言葉以外は。
「え、」
「だから、無理。話はそれだけ? じゃあぼくも先に上がらせてもらうねえ~。お先でーす」
ヒラヒラと小さな手を振って、小柄な金髪が戸の向こう側へと消えていく。
「あ……」
無理。あまりにもあっさりと寄越された答えだった。これ以上にないくらい、わかりやすい拒絶だった。
けれど、――それは初めての、『否定』だった。
……あ、あー、これ、は、
「――完全に脈なしですね」
「だよ、な……んっ!? 新原!? まだいたのか!?」
ぬっと影を背負って現れた優等生そのものの彼の姿に、ビクリと肩が跳ね上がった。
「居てはいけませんか」
「あ、いや、そうじゃないけど、ていうか、あー、さっきは、その、」
「あ、いいですいいです、そういうの。どうせありがとうだの意見聞けなくてごめんだの言うつもりなんでしょう」
全くの図星に、うっと空気を含んだままの喉を詰まらせた。
「言っときますけど、俺は“そういう役割”の人間なんだってちゃんと理解してますから。話し合いで反対意見がないまま通る案程、簡単に失敗するんですよ。だからこれは当然の流れなんです」
「ニーバラちゃん……」
済ました顔をする後輩に、大人ぶる賢い子供の姿が影に見えた気がして、どこか微笑ましく思った。
「うん。ニーバラちゃんは賢いもんね。ありがと」
「ですからっ――はあ、もういいです。礼ならば勝手に受け取っておきます。それより、今は会長の話でしょう」
「うっ、はい」
すっかり帰る準備をしていた腰を、再び中央のソファーに落ち着ける。対面席には新原会計。なんだか面接みたいだ。
面接官は後輩である新原で、俺は先輩な受験者。まるで真逆の立場に可笑しな笑いが込み上げてくる。
「正直、黒葛原副会長は強敵だと思いますよ。今までが今までですから、会長のことなんて意識のいの字もないかと」
「あ、はは。だよねェー……て、待って。え、なんでオレの気持ちバレバレなの。最近はみづきさんに近付いてもなかった筈なんだけど」
どころか、先輩二人にヘタレと断言されるくらい避けてたんだけど。
「だからでしょう。あんだけベタベタベタベタ母親追い掛ける園児か、てレベルで引っ付いてた男が急によそよそしくなったら、そりゃあ、とうとう自覚したな、て思いますよ。それこそ、気付いてないのなんて当人の黒葛原先輩とバカの高良くらいです」
さらっとバカ扱いされた高良はともかく、目の前の後輩に当然だとばかりに内情を悟られて何とも言えない気持ちになった。
いや、新原が特別に人間観察に長けていたんだと思おう。ほら、真面目な優等生くんだし。でないと恥ずかしくて廊下も歩けない。隠していた恋心が周囲に筒抜けだったなんて。
「そもそも、黒葛原先輩ってなんかバランス悪いですよね。こう、不安定というか」
「え?」
ふとこぼれ出たみづきさんへの意外な評価に、繕う間もなく驚愕した。
「いや、あの人、他人から他人への感情にはめちゃくちゃ敏感なくせに、自分に対する好意には異常って程疎くないですか? なんていうか、わざとシャットダウンしてるというか、自覚しないようにしてるというか」
「…………」
思わぬ言葉の連続に、そっと視線を落とした。
――言われてみれば、そうかもしれない。
「あくまでも俺から見ての憶測なので鵜呑みにだけはしないでほしいんですけど、わかりやすいように見えて一番わかりにくい人なんじゃないかな、て思います。『謎』なことを悟らせないのが上手いんですよ」
『謎なことを悟らせない。』
新原の遠慮のない言葉のひとつひとつに、ドクドクと心臓が鳴り出す。
「だってですよ? トモ先輩、黒葛原先輩の子供の頃のこと、覚えてます?」
――あ、れ。
スッと背筋を冷たい何かが通っていった。
「あの美貌じゃないですか。まさか子供時代はブサイクでしたーなんてそんなミラクルある訳がないし、絶対噂にはなってたと思うんですよ。でも、噂どころかあんな金髪碧眼少年がいた記憶すらもあんまりないんですよね、俺。先輩だって俺達と同じエスカレーター組の筈なのに」
そうだ。俺は、みづきさんのことを何も知らない。過去どころか、『今』何を考えているのかも、知らないんだ。
「黒葛原先輩って、なんかちぐはぐなんですよね。印象のつぎはぎというか」
ドクドクと脈が騒いで、気付け、気付けと頭の中の奥で何かが訴えている。――違和感の元はなんだ。
「――と、ま、これ以上好き勝手言うのもアレなんでここまでにしときますけど、……あ、気、悪くしました? 好きな人のことこんな風に言われたくないですよね」
流石に言い過ぎたか、と罰の悪そうな顔をして視線を彷徨わせる新原に、「いいや」と、ぼんやりと呟いた。
「……なんか、わかった気がする。うん。何が足りないのか、わかった」
心ここに在らずな掠れた声で、数度頷いた。
たぶん、俺達には、――会話が足りない。
あまりに距離が近すぎて、みづきさんの受け入れてくれる空気が心地好すぎて、そんな簡単なことにすら気付けなくなっていた。
現に、言葉を介さなくとも人の心の中にするりと入り込み癒すみづきさんとは違って、俺はバカだから、相手に触れる『言葉』が必要なんだ。俺から、みづきさんを知ろうとしなきゃ駄目なんだ。
全部、当たり前のこと。
「ありがとう、新原。やっぱり、新原みたいにはっきり言える人間がいなきゃ駄目だな。俺は叱られて伸びるタイプみたいだ」
花京院先輩に叱られて、焔先輩に叱られて、後輩である新原にすらも諭されて、そして漸く俺は自身の足で歩き出せる。
情けないこと極まりないけれど、叱ってくれる人が周りにいるってことは、こんなにも幸せなことなのだ。
「……別に、俺は俺が思ったことを言ったまでですけど」
やっぱり罰の悪そうな顔をした後輩は、フイッと顔を背けて唇を尖らせた。
大人ぶった子供の照れ隠しというのは、何故こんなにも可愛く映るのだろう。
「そうだな。新原はいつも正直なだけだよな」
思わず衝動的に頭を撫でかけて、これ以上黒猫の機嫌を損ねて引っ掻かれるのも堪らないな、と何食わぬ顔で腕を戻した。……たぶん、バレてるけど。
「――追い掛けるんですか? 黒葛原先輩のことも。ほら、あの人の時だってそうだったじゃないですか。えーと、そう、花京院さん」
新原達からすれば二年も上の先輩だ。互いに大した認識がないことは知っている。だからこそ、こうして当たり前に名前を覚えられている花京院先輩の知名度に、流石と言わざるを得ないのだが。
「……そう、だな。追い掛ける、ていうか、――やっぱりはなちゃんの時とは何かちがうんだよ。もっと、強い感情だと思う。……結局、はなちゃんはただの憧れだったのかもしんないなあ」
先輩達が卒業式を迎えたあの日、そして今現在二人が当たり前のように並んでいる姿を見て、俺の中にある感情は『納得』だけだった。
焔先輩には花京院先輩がいて、花京院先輩には焔先輩がいる。その光景が普通で、そうでないと『納得』ができないのだ。
――けれど、“みづきさん”はどうだろうか。
俺は花京院先輩の人柄も焔先輩の人柄もよく知っている。けれど、みづきさんが彼等以外の『誰か』と懇意にしている姿なんて、まるで想像できない。
俺や、先輩達以外、――いいや違う。“俺”以外に柔らかく笑いかけるみづきさんを見て、俺は、“耐えられる”だろうか。
「……俺、思うんですけど、先輩のそれって、好きになった人が恋愛に成功していくんじゃなくて、――好きな人がいる人が、先輩は好きなんじゃないですか?」
「――え」
ぐるぐると回っていた思考が、ピタリと音を立てて止まった。
「あ、いや、キューピッド率百パーって言われてるくらいだし、全部を『根拠』で説明できるとは思ってないですけど、ほら、恋をした女は綺麗になる、て言われるじゃないですか。先輩は極端な話、それに引っ掛かってるんじゃないかなーって」
そんな単純なものじゃない! ――そう、言い切ることなんてできなかった。
だって、その通りだ。俺じゃない誰かを思う“みんな”は、いつだって生き生きとしていて、俺は、それが眩しくて。――恋しくて。
「だから、やっぱり希望は薄いと思いますよ。――たぶん、黒葛原先輩には『好きな人』がいる。そうでなくとも、今でこそ男子校だから天使だなんだって騒がれてますけど、あの手の顔は女子からは王子タイプとして持て囃されますし、大学部へ上がれば男女共に尋常じゃないくらい人気出ると思います。――正直、俺はさっさと諦めることをおすすめしますね」
素直な後輩の『言葉』は、受け入れるには苦しいものばかりで、けれど、だからこそ、真っ直ぐに受け止めてしまう。飾らない剥き出しの本音とは、どうしてこんなにもひた向きであれるのか。
「新原 ……」
「――て、言ってもダメなんでしょうねえ」
ふっと、重くのし掛かっていた空気に穴が開いて、ゆるゆると緊迫感が抜けていった。
新原は、ニヒルな笑みを浮かべていた。いつもの、彼らしい余裕の笑み。
「ま、精々頑張ってください。的中率百パーセントのキューピッド様?」
――ああ、先輩の立場になると本当に『先輩』の気持ちがよくわかる。
「後輩のくせに生意気だ」
「あたっ」
――コンコン
叩いた扉は、自身の寮室の隣。黒葛原みづきの部屋だ。
「どうしたの? 改まって。いつもは勝手に入ってくるくせに」
「あ……みづきさん」
扉が難なく開いて、ふわふわの金髪が顔を出した。
いつもならば、ノックなんてしないで、互いに部屋にいる時は殆んど鍵をかけないことを知っているから、何の気負いなしに邪魔して、居座って、時にはそのまま泊まって。
けれど、今日はそんな『普通』ができない。そう思った。
まあ、最近はそれを俺から避けていたんだけれど。
「みづきさんと、もっと色々話したいと思って」
取り繕うものなんてちっともない子供のような本音。
彼の前では、俺の拙い仮面なんて、簡単に壊されてしまう。
「ふぅん。尋問?」
「どっちかっていうとナンパ」
「あはは、さすがチャラ男だね」
ヘラッと笑って、同じくふにゃりと苦笑したその人に招かれ、室内への一歩を進めた。
ああ、妙に緊張してしまう。『親友』の部屋と『片想い相手』の部屋は、こんなにも違う。
「それで、僕の何が知りたいのかな」
当然のように出されたミルクティーに、そういえば花京院先輩がいない今、茶の用意――『休憩の合図』はみづきさんの担当になっていたな、とぼんやりと思った。
「みづきさんって、どんな子供だったんだ?」
カタリと、手が、止まった。
「あっ、いや、言いたくないなら、別に」
しまった。単刀直入すぎたか。
そう慌てる俺に、みづきさんは、ゆったりと体を移動させると、
「っ!」
ぽすり。俺の隣へと腰掛けた。
甘い、お茶の匂いがする。それに掻き消されて、みづきさん自身のにおいがしないことを、どこか残念に思った。
「ばかなこどもだったなあ」
「え?」
翡翠が、懐かしそうに宙を見つめる。
「ヒントをヒントとも気付けない子供だった」
「え、あ、そうなんだ」
意外だった。みづきさんは、あまりに大人で、まだまだ不器用で子供な俺達を見守る母親みたいな人だったから、幼いうちからもそうできているような気がしていた。
そうか。みづきさんも、――『子供』だったのか。
「ふふ、写真あるよ? 見る?」
「っ見たい!」
思わず間髪入れずに反応してしまった。うわ、やべえ恥ずかしい。
「あはは、いい反応。実家から少しだけ持ってきておいてよかった」
「うっ、みづきさぁん」
ここぞとからかう小悪魔な天使様に、でかい図体を縮み込ませて座り直す。
仕方ないだろ。俺でなくとも、天使で名高いあの黒葛原みづきの幼少とか、誰でも見たいに決まってる。
「はい。たぶん初等部入りたてくらいかな?」
広げられたコンパクトなアルバムには、数枚の写真が挟まれていた。そこには。
う、わあ……
「――マジもんの天使だ」
感想なんて、それしかなかった。柔らかくふわふわと空気を含む金髪。色素が薄いのにはっきりと形のわかる長い睫毛。真ん丸の翠の瞳は、何カラットなのかと聞きたくなるくらい宝石そのもので、ふっくらとした白い頬や、ちょこんと乗せられたローズの唇は、愛らしさのあまり写真に吸い付きたくなってしまう程だ。完璧な、絵画の中の天使だった。
絶対みづきさんウィーン少年合唱団とか入ってただろ、これ。
「へー。なら、今は天使じゃない?」
「や! 今も立派に天使様です!」
目を半分にさせてツーンと唇を尖らせるその人に、慌てて大きく首を振った。
「あっはは、必死すぎ! ……まあ、日本人には見えないよねえ。実際、隔離遺伝だろうし」
「え、ハーフとかじゃなくて?」
「うん。アニメとかの所為でよく誤解されがちだけど、ハーフで金髪碧眼っていうのは中々ないよ。どちらも劣性遺伝子だからね。絶対ではないけれど、どちらかというとクウォーターの方が可能性は高いかなあ。ほら、京ちゃんの目もそうでしょ?」
艶やかな黒髪を持っていて、一見和風に感じる花京院先輩の唯一の異点。
確かに、これは曾祖母からの譲りものなのだと昔先輩自身が語っていたのを聞いた覚えがある。
「それでも、大抵大きくなるにつれて色が濃くなっていくから、この歳でここまでのナチュラルブロンドってのは本場でも中々残らないらしいんだけど。そういった点では、僕は『奇跡』なのかもね」
くしゃりと、小さな手が金髪を乱雑に掴んだ。義務的に呟かれたそれは、ひどく投げ遣りに聞こえた。本人にそんなつもりは、なかったのかもしれないけれど。
――ああ、痛そうだ。
「……みづきさんは、自分が嫌いなのか?」
金の睫毛が、ふるると震えた。
「今は、そうでもないよ。……僕は天使様だからね。でも、昔は嫌いだったなあ。自分ひとりだけ、異物ってかんじがして。今思えば、ただの好奇心だったのかもしれないけれど。みんなの『異常を観察する目』が、嫌いだった」
『みんな』。それに当てはまるものは、何だろうか。大人? 家族? 友達? いいや違う。もっと純粋な、――ああ、『子供』か。
「だからねえ、学校がきらいで、クラスがきらいで。クラス会とかヘドが出るってかんじで。あはは、先生的には手間の掛かるいやな子供だったかも。口も実は悪かったし。いつの間にか、不登校児になってたなあ」
ぽすっと背凭れに倒れた頭から、金髪がサラサラと広がる。たくさん、たくさん痛みを抱えてきた髪だ。染めて痛めた俺の茶髪なんかとは違う、傷だらけの髪。
「ずーっと病院にいたの」
「え、どっか身体悪かったのか?」
「ううん、そうじゃなくて。僕の家が何を運営してるか忘れた?」
……あ、そういえばみづきさんの実家は市内の病院を営んでいるんだっけ。そういう意味か。
「学校に行くよりも病院の大人たちにかわいがられてる方が楽しくてねー。家庭教師もついてたから勉学に関しても問題はなかったし」
「……そっか」
「それで、――病院で初めて、『子供』の友達ができたんだ」
ペラリ。アルバムが捲られていく。
「まあ、子供っていうか、大人よりも大人みたいな子だったけど」
クスクスと笑って、子供みたいな指が一枚の写真を撫でていって。
「……この子?」
「そう。僕の親友」
黒い髪の男の子だった。目も黒くて、肌は白くて。あまりの白さに血が透けて見えてしまうのではと思える程。
子供のみづきさんと並ぶと、まるで正反対の色彩で、けれどどこかしっくりとくる写真だった。
「僕にとっての天使は、この子なんだ」
ふわりと、幸せそうに天使が笑う。
天使を見つめて、天使が笑う。
何も言えなかった。それは、とても踏み込めるものではなかった。
そんな俺の迷いを悟ったのだろう、みづきさんは。
「……ねえ、会長」
「……うん?」
「――文化祭、成功させようね」
「……おう!」
その日の夜は、久々に天使と同じベッドで過ごした。少し前と同じ、いつも通りの夜。
性的なものなんて一切含まない文字通りのお泊まり会は、けれど、布団から伝わるもうひとつの温度に泣きたくなるくらい幸福を感じていた。
「よし! そんじゃあ風紀は、午前は出場種目が空いたメンバーとのローテーションで見回り。午後は完全体制で、インカムは全員が持つ。で、いいな?」
「はい!」
「おう!」
「文化委員は鹿鳴館でのホスト役用に球技大会終了三十分前には抜けて準備に取り掛かること! 誰も終盤の種目には入んなよ? インカムは繋ぎの四十五分間だけ! その後は混乱を避ける為代表者一人に渡す。間違いないな?」
「ありません!」
「了解!」
「放送委員、シフトの調整はちゃんと済んでるか?」
「はーいよ。滞りなく回せるよー」
「後輩にも頑張ってもらいまーす」
「新聞部! 例年の出し物の人気順は調査はできたか?」
「おうよ。俺らの調査力なめんなよ? もう発表用のプリントもできてるっつーの。後は各クラスに回してどこがどの出し物取るかバトロワしてもらうだけだ」
「よっし! 各準備は完璧だな。本部には生徒会・風紀・保健委員一名が必ず待機していること。絶対に本部だけは空けるな。以上だ。抜けている点や疑問点はないな?」
「「「はい!」」」
各委員代表と数名の補佐、そして今回協力してもらった部活動員が集まる会議室には、異例の同時開催文化祭に燃える生徒達の声が大きく響いていた。
文化祭まで残り三週間を切った。ギリギリだ。全てがギリギリのラインを皆で渡っている。
文化祭の変更についての通達はできている。あとは、“みんな”の努力次第。
ふっと息が抜けていく。正直、準備だけでくたくただ。けれど、何故だろうか。こんな異例ばかりの異常事態が、――楽しくて仕方ない。
ふるりと拳が震える。緊張なのか、武者震いなのか、自分でもわからなかった。その手に、小さな手のひらが重なって。
「――! みづきさん……」
翡翠が、煌めいて。眩しい宝石の輝きを見せて、天使の笑みがそこに浮かべられていた。
「頑張ろう。――みんなで」
――ひとりじゃないんだから。
「――っああ!」
混乱だらけの六月。
誰も知らない、初めての文化祭がやってくる。




