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『追放令嬢、嵐と戦い都市を作ります』 〜知識チートで廃村を国一番の領地にしたら、捨てた王太子が今さら焦りだしました〜ツイトシ(追都市)  作者: カナデ・オン
第三章 王都編 〜今さら呼ばれても〜

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第58話 駆けつける者



 城門をくぐったとき、アレクの馬は泡を吹いていた。


 手綱を投げるようにして飛び降り、出迎えた兵の肩をつかむ。


「リディアは」


「お、お部屋に――」


 最後まで聞かずに、走った。


 知らせが届いたのは、一昨日の夜だった。市場で襲われ、刃を受けた。それ以上のことは、何も書かれていなかった。


 夜通し馬を替えて駆けるあいだ、考えないようにしていた。考えれば、手綱を握る手が震えた。


 階段を駆け上がり、廊下の突き当たりの扉を押し開ける。


 ――笑い声が、聞こえた。


 寝台の上で、リディアが枕にもたれて座っていた。顔色はまだ白い。けれど、目を開けて、笑っている。


 その寝台の縁に、カイルが背を向けて腰かけていた。リディアの手が、カイルの銀の三つ編みの先をつまんでいる。


「あら、また曲がっちゃった」


「前回よりはましです」


「前回よりはって何よ」


 藍色の紐だった。ところどころ、色がくすんでいるように見えた。


 枕元ではエレナが口元を押さえて笑いをこらえ、窓際ではニコが「下手くそ」と言って、リディアに睨まれていた。


 カイルは小さく息をつくと、リディアの手から紐の端を受け取り、慣れた手つきで結び直した。


「ほら、こうです」


「……自分でやるなら、最初からそう言って」


「結ってもいいかと聞かれたのは、リディア様のほうですので」


 前回が、いつのことなのか。結ってもいいかと、いつ聞かれたのか。


 アレクには、何も分からなかった。


 ――ただいま、と言った城だった。


 ひと月ほど前、この城門の前で。自分はここに帰ってきたのだと、そう思えた。


 その城が、今は少しだけ、遠く見えた。


「アレク!」


 リディアが、こちらに気づいた。


 カイルが弾かれたように立ち上がり、エレナとニコも振り返る。


 アレクは、しばらく扉の前から動けなかった。


 生きている。笑っている。


 ようやく、肺の底から長い息を吐いた。


「……アレク様」


 カイルが、こちらへ歩み寄ってくる。


「傷は見た目ほど深くありませんでした。命に別状はありません」


 それから、ほんのわずかに目を伏せた。


「……お見苦しいところを。リディアが、どうしても結ぶと言って聞かないもので」


 アレクの眉が、わずかに動いた。


 この男が、人前であれを呼び捨てにするのを、初めて聞いた。


 けれど、カイル本人は気づいていないようだった。


「……お前は、無事か」


「はい。私は、何も」


 カイルの頬に、薄く刃の痕があった。アレクはそれ以上何も言わず、寝台のそばへ歩いた。


「……心配して、来てくれたの?」


 リディアが、少し驚いたように見上げてくる。


「当たり前だ」


「夜通し駆けてきたんでしょう。ひどい顔よ」


「誰のせいだと思っている」


 窓際で、ニコが吹き出した。エレナが慌ててその口をふさぐ。


「刺した男は、オスヴァルトが斬りました。ほかの者は、散り散りに」


 背後で、カイルが低く告げる。


「狙いは、最初からリディア様でした。私を囲んだ者たちは、足止めにすぎなかった」


「……傷は」


「ここよ」


 リディアは、かけ布の上から自分の脇腹にそっと手を当てた。


「見た目ほどじゃないのよ。お医者様も、そう言ってたわ」


 その手の下に、刃が沈んだのだ。


 アレクは、奥歯を噛みしめた。ぎり、と音がしたような気がした。


「でも、困ったわね」


 リディアは、ふと冗談めかして笑った。


「婚約破棄で、ただでさえ傷のついた身なのに。これで本当に傷まで残ったら、令嬢としては、もうお嫁にはいけないわね」


「そんなことは……!」


 声を上げたのは、カイルだった。


 アレクは、まっすぐにリディアを見下ろした。


「お前の価値は、そんなことで揺らぎはしない」


 それから、声を落とす。


「だが、お前にその傷を負わせた者は、誰の差し金か突き止めて、死ぬほど後悔させてやる」


「ええ。必ず」


 カイルが、静かに続けた。


 期せずして、二人の声は同じ温度で冷えていた。


 リディアは、きょとんとして二人を見比べた。それから、ふわりと笑う。


「……ふふ。ありがとう」


     *


 その夜、アレクは城の回廊にひとりで立っていた。


 月が出ていた。眼下の街には、まだいくつか灯りが残っている。


 知らせを受けた夜、手紙を握りつぶしたまま、しばらく動けなかった。馬を出せと叫んだのは、そのあとだ。


 あのとき思い浮かんだのは、「おかえりなさい」と笑った、あの顔だった。


 足音がした。


「アレク様」


 カイルだった。その二歩後ろに、もう一つ影が続いている。


 灯りの下に出てきた顔を見て、アレクは目を瞬いた。


 ロイドだった。片目のまわりが青黒く腫れ、口の端が切れている。


「……その顔はどうした」


「罰を受けました」


 ロイドは、なぜか少し誇らしげに答えた。


「下がっていろ」


 カイルが言うと、ロイドは一礼して、声の届かないあたりまで退いた。それでも、カイルから目を離そうとはしない。


「……よく分からんが、あいつはお前の補佐に戻ったのか」


「今日から、そうなりました」


「顔が、それとは関係あるのか」


「あります」


 それ以上、カイルは何も言わなかった。


「少しお休みください。夜通し、駆けてこられたのでしょう」


「お前に言われたくないな。その顔で」


 カイルは、黙って頬の傷に触れた。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。


「……お前、あれを呼び捨てにしていたな」


 カイルが、わずかに目を見開いた。


「昼間、俺の前で」


「……失礼いたしました」


「謝れとは言っていない」


 アレクは、月を見上げたまま言った。


「お前は、あれをどう思っている」


 回廊を、夜風が抜けていった。


 カイルは、長いこと黙っていた。


「……分かりません」


 やがて、ぽつりと言った。


「ただ、リディアの隣に誰が立とうと、私はリディアが立つ場所を守ります」


 アレクは、横目でカイルを見た。


 呼び捨てを、改めようともしない。


 答えになっていない、と思った。けれど、それ以上は聞けなかった。この男は、昔から、嘘だけはつかない。分からないと言うなら、本当に分からないのだろう。


 分からないまま、それでも守ると言い切る。


 カイルが、ふと口の端を上げた。


「アレク様こそ。リディアを泣かせるようなことがあれば、私が許しませんが」


「……その口の悪さは、相変わらずだな」


「直す必要がありますか」


「ないな」


 アレクは笑った。カイルも、わずかに笑った。


 昔、軍の天幕で、何度も繰り返したやりとりだった。


 ただ、あの頃とは、どこかが違っていた。


     *


 同じ頃、エルディアの王都。


 報告を聞き終えた男は、手にしていた杯を、ゆっくりと卓に置いた。


「……仕損じた、だと?」





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