↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『追放令嬢、嵐と戦い都市を作ります』 〜知識チートで廃村を国一番の領地にしたら、捨てた王太子が今さら焦りだしました〜ツイトシ(追都市)  作者: カナデ・オン
第三章 王都編 〜今さら呼ばれても〜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
59/59

第59話 依頼



 施療院からの帰り道、エミリアの指先には、まだ薬草の匂いが残っていた。


 熱を出した子どもの額に手を当て、凍えた老人の指を両手で包んでいるうちに、日はすっかり傾いていた。この手にできるのは、冷えた体を少し温めることくらいだ。それでも、手を握るだけで泣きやむ子どもがいるのだから、通うのをやめる理由はなかった。


 王宮の回廊を歩いていると、ヴィクトールの執務室の扉が、わずかに開いているのが見えた。


 声をかけようとして、足が止まる。


 机の前に立ったヴィクトールが、一枚の紙を握りつぶしていた。手の甲に筋が浮くほど強く、ゆっくりと。その前では、侍従が青ざめたまま頭を垂れている。


 何があったのかは分からない。ただ、あんなに険しい顔をした殿下を見るのは初めてだった。


 見てはいけないものを見た気がして、そっと後ずさる。その拍子に、靴の踵が石の床を鳴らした。


 振り向いたヴィクトールと、目が合う。


 叱られる、と身をすくめた。けれど、握りつぶされた紙は机の引き出しへ消え、ヴィクトールの表情がふっとゆるんだ。


「エミリアか」


「も、申し訳ありません。通りかかっただけで……」


「構わない。……少し、付き合わないか」


     *


 通されたのは、王宮の奥にある小さな温室だった。


 ガラス越しの夕日が、鉢植えの葉を橙色に透かしている。白い卓には、侍女が運んできた茶と、見覚えのある焼き菓子の皿が並んでいた。


「これ……リヴェルのお菓子ですね」


「好きだと言っていただろう」


 思わず、ヴィクトールを見つめてしまった。


 覚えていてくれたのだ。あのお菓子を執務室へ持っていったとき、殿下は書類から目も上げずに、そこに置いておいてくれ、と言っただけだったのに。


「顔色がよくないな。施療院か」


「え……はい。今日は、熱の子が多くて」


「無理をするな」


 カップを持つ手がかすかに揺れて、エミリアは両手で包みなおした。


 婚約してから、もう何度もこの人の隣に立ってきた。夜会では腕に手を添え、並んで客を迎えた。それなのに、こうして向かい合い、まっすぐに見つめられたのは、初めてのような気がする。


 ヴィクトールは焼き菓子をひとつ手に取り、裏の焼き印を親指でなぞった。その手のひらに、爪の痕が赤く並んでいるのが見えた。


 お疲れなのだろう、と思う。殿下こそ、無理をなさらなければいいのに。


「リヴェルへ行きたい、とも言っていたな」


「覚えて、いらしたんですか」


「夜会で、アレクシス殿下とずいぶん話が弾んでいた」


 からかう声ではなかった。それでも、頬が少し熱くなる。


「……行ってみるといい」


「本当ですか!」


「ただ、ひとつ頼みがある」


 菓子を皿に戻して、ヴィクトールは声を落とした。


「あの地が、他国に狙われている」


 ガラスの向こうで、夕日が雲に翳った。


「アルヴェニアの第二王子が、あの領地に入り浸っている。よその国から流れてきた騎士たちが集まっているとも聞く。そのうえ、領主は王家の召しを拒んだ」


「召しを……?」


「砂糖の採れる地だ。南方のほかには、この大陸のどこにもない。欲しがらない国はないだろう」


 エミリアは、膝の上で指を組んだ。


 夜会で笑っていた、黒髪の王子の顔が浮かぶ。聡明で、まっすぐな人です、と言っていた。彼女のためなら何をしてもいいと思わせる人だ、とも。あのときの目は、とても優しかった。


「あの……領主様は、女性の方なんですよね」


 ヴィクトールの指が、カップの縁で止まった。


「……そう聞いている」


 それきり、殿下は何も言わなかった。


 女の身で、領地を治めている。それだけでも珍しいのに、誰もが欲しがる品を生み出し、隣国の王子にまで慕われている。


「でも、殿下。アレクシス殿下は、あんなにほめていらっしゃいました。疑うようなことは、私……」


「疑えと言っているのではない」


 ヴィクトールは、首を横に振った。


「私が行けば、角が立つ。役人をやれば、調べに来たと思われる。だが、聖女の君なら、誰も身構えない」


「私、なら」


「見たままを、教えてくれればいい。何も起きていないなら、それでいいんだ。噂は噂にすぎなかったと、君の目で確かめてほしい」


 それなら、領主様を守ることにもなるのだろうか。


 組んだ指に、力がこもる。


「君は、嘘のつけない人だから」


 静かな声だった。


「君にしか、頼めない」


 胸の奥で、何かがことりと音を立てた。


 聖女として、この人の隣に立つ者として、自分にできることがあるのなら。


「……分かりました」


 顔を上げると、ヴィクトールがわずかに口の端を上げていた。


「お引き受けします。見たままを、きちんとお伝えします」


「助かる」


「陛下には、殿下からお話しくださるんですか?」


 ほんの一瞬、間があった。


「陛下を煩わせるほどのことではない。まずは、私たちだけで」


 私たち、という言葉が、耳に残った。


 供の手配はこちらでする、出立は近いうちに、と短く言い置いて、ヴィクトールは席を立った。温室の扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。


     *


 ひとり残された卓で、エミリアは焼き菓子をひとつ手に取った。


 裏返すと、小さな焼き印が押されている。殿下が親指でなぞっていた、あの印だ。


 どんな方なのだろう。


 夜会のあと、令嬢たちに尋ねてみたことがある。けれど、誰もがなぜか扇で口元を隠し、すぐに別の話にすり替えてしまった。辺境の話など、退屈なのかもしれない。


 聖女と呼ばれても、自分にできるのは冷えた手を温めることくらいだ。殿下の隣で笑っていることのほかに、何を求められているのかも、本当はよく分かっていない。


 それなのにその人は、女の身で、何もなかった土地に街を作ったのだという。


 会ってみたい、と思った。会って、どうすればそんなふうに生きられるのか、聞いてみたい。


 ひと口かじると、ほろりと崩れて、木苺の甘酸っぱさが舌に広がった。


 ふと、ひとりの女性の後ろ姿が浮かぶ。


 あの日、大広間で何も言い返さずに指輪を外し、一礼して去っていった人。どこへ行かれたのか、誰も教えてはくれなかった。殿下の前で、あの方の名を口にする者もいない。


 リディア様も、今ごろはどこかで、静かに暮らしていらっしゃるのだろうか。


 こんなふうに甘いお菓子を、召し上がる日もあるのだろうか。


お読みいただきありがとうございます!

続きが気になると思っていただけたら、ブックマークで応援していただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同じ作者の短編です(1話完結)
――遺された手帳には、三百十二回分の、私の死が綴られていた。
【短編】私が討った敵将は、死に際に「何度でも戻って、君に殺される」と笑った

――その不気味な笑顔は、大好きな誰かの、下手くそな真似だった。
【短編】塾帰り、ニタァと笑う祠の妖に取り憑かれた。不気味で仕方なかったその笑顔が、いつの間にか世界でいちばん可愛く見えている
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。