第51話 からくり
工場に一歩入ると、むっとするほどの熱気と、甘い匂いに包まれた。
壁際では、水車の力を受けた軸がいくつも回っている。運び込まれた根が砕かれ、大鍋で煮詰められ、その先では円い器が低い唸りを上げて回っていた。器の縁から、細かな粒がさらさらとこぼれ落ちてくる。
「これが……砂糖、ですか」
「甜菜という根から取っています。煮詰めた汁を、回転の力で結晶と蜜に分けるのです」
カイルは器の脇に積まれた砂糖をひとつまみ取ると、セドリックの手のひらに乗せた。
白に近い、淡い色の粒だった。南方から船で運ばれてくる砂糖は、どれも茶色くくすんでいて、糖蜜の癖の強い香りがしたものだ。
おそるおそる、口に含んでみる。
くせのない、澄んだ甘さが舌の上で溶けた。
「……こんな機械、見たことがありません」
王都の職人街にさえ、こんなものはない。
「職人を、他国から呼んだのですか?」
「ええ。技師と職人は、呼びました」
カイルは、あっさりと頷いた。
「ですが、発案も大まかな設計も、すべてリディア様です。砂糖を作ると言い出して、この根を探し当てたのも。彼らは優秀ですが、こんな仕組みを思いつく者などいません。初めて図面を見せられたときは、皆あっけに取られていましたよ」
セドリックは、回り続ける器を黙って見つめた。
あの姉が、と思う。
屋敷にいた頃の姉が知っていたのは、本に書いてあることだけだったはずだ。知っているのと、作れるのとは違う。
「……街に入る前の、あの道は?」
「セメントといいます。石灰と粘土を焼いて砕き、水で練って固めたものです。石を切り出して敷くより早く、どこまでも平らに延ばせます」
淀みなく答えてから、カイルは付け加えた。
「隣の領地が持て余していた資源から、リディア様が考え出されたものです。おかげで隣領もすっかり潤って、今では領主殿がリディア様の信奉者ですよ」
セドリックは、口をつぐむしかなかった。
「……ですが、これほどの工場を動かすには、指揮をとる者が要るでしょう。それは、ヴァレンシュタイン殿が」
「ええ。指揮は、私が執っています」
カイルは、あっさりと認めた。
「リディア様の構想についていける者は、そう多くありませんから。私が適任でしょう」
それから、何でもないことのように続ける。
「ですが、指揮など瑣末なことです。何を作り、どこへ向かうのかを決める者がいなければ、どれほど兵を揃えても一歩も動けません」
*
工場の奥には、何枚もの図面が壁に貼られていた。
軸の太さに、器の大きさ、水の流れ。細かな数字の横に、几帳面な書き込みが並んでいる。
その文字に、セドリックは足を止めた。
右へわずかに上がっていく、少し癖のある字。
見覚えがあった。
幼い頃、算術の課題が解けずにべそをかいていた自分に、姉が書いてくれた手本と同じ字だ。あのとき姉は何も言わずに隣に座って、分かるまで付き合ってくれた。
そんなことがあったのを、今の今まで忘れていた。
セドリックは、図面から目をそらした。
積み上げられた砂糖の向こうでは、焼き上がった菓子が次々と箱に詰められていく。木箱に押された焼き印にも、見覚えがあった。王都の菓子店に、朝から行列ができていた菓子だ。
――リヴェル産。
箱を詰める女たちの手は、休みなく動いている。
「うちの子もね、来年からここで働きたいって言うのよ」
「いいじゃない。私なんて、一度は村を出たのに、結局戻ってきちゃったもの」
「戻ってきてよかったでしょう?」
「そりゃあね」
女たちは顔を見合わせて、くすくすと笑った。
「……もともと、豊かな土地だったのでしょう」
ようやく口から出てきたのは、そんな言葉だった。
「川があって、土もいい。そういう土地なら……」
「豊か、ですか」
荷を運んでいた男が、足を止めた。日に焼けた、茶色い髪の男だった。
「リディア様が来る前のリヴェルは、毎年のように川があふれて、畑が流されてましたよ。若い連中はみんな出ていって、残ってたのは年寄りと、行き場のない者だけだ」
男は、肩に担いだ袋を揺すり上げた。
「廃村寸前ってやつです」
平民が、公爵家の者の言葉を遮るなど。
そう言い返すこともできたはずだった。けれど、言葉が出てこない。
元の土地が良かったわけではない。だとしたら、なぜ。
壁の図面の文字が、頭をよぎる。
ふと、王都の貧民街のことを思い出した。跡取りとして実務を覚えろと、父から任された一画だ。共有の井戸を汚されないよう見張り番を立てようとして、その手当さえ工面できずにいる。
井戸ひとつ、自分は守れていない。
なのに、あの姉が。何もない廃村から。
それを振り払うように、セドリックは隣のカイルを見上げた。
アルヴェニア侯爵家の名を持つ将。その背後には、アレクシス殿下がいる。
――そうだ。そういうことだ。
「……そうですか。でも、それなら」
口が、勝手に動いていた。
「アレクシス殿下に、ヴァレンシュタイン殿。これほどの方々がついてくださったんです。姉上は……運が良かっただけ、ですよね」
工場の中で、軸の回る音だけが続いていた。
荷を担いだ男が、黙ってこちらを見ている。菓子を詰めていた女たちの手も、いつの間にか止まっていた。
隣のカイルは、何も言わない。
誰も、笑わなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
次回、セドリックは、姉が嵐の晩に何をしていたのかを知ることになります。
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現代が舞台の、ちょっと笑えて、少しだけ胸に残るお話です。
作者ページから読めますので、よろしければこちらも覗いてみてください。




