第49話 帰り道
夜が明けて間もない王宮の車寄せには、まだ朝靄が残っていた。
荷を積み終えた馬車の脇で、アルが大きなあくびをしている。
「本当に、土産を買う暇もありませんでしたね」
「買っただろう。昨夜のうちに」
「あれは殿下が買えとおっしゃったんですよ。俺の分じゃない」
軽口を背に、アレクが馬車へ足をかけたときだった。
「アレクシス殿下!」
石畳を駆けてくる足音がした。
振り返ると、淡い色の髪をした若い男が、息を切らして立っている。夜会で、広間の隅からこちらを見ていた顔だ。
「突然、失礼いたします。公爵家の、セドリックと申します」
背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。
「戦場でのお働き、何度も聞かせていただきました。一度、どうしてもご挨拶をと……」
頬が、わずかに上気している。憧れを隠すつもりもないらしい。
「公爵家の、セドリック」
アレクは、その名を口の中で繰り返した。
「……そうか。君が、彼女の弟か」
「姉を、ご存じなのですか」
「リヴェルでは、世話になっている」
セドリックの顔に、困ったような笑みが浮かんだ。
「それは……姉が、ご迷惑をおかけしていないといいのですが。あの人は昔から、本ばかり読んで、気の利かない人でしたから」
少し照れたように、言葉を継ぐ。
「リヴェルが栄えているという噂も、聞いてはいます。ですが、きっと元の土地が思ったほど悪くなかったか、殿下のような方に助けていただいたからでしょう。姉一人で、どうにかできるような人では――」
「セドリック殿」
穏やかな声だった。
けれど、アレクの顔からは、笑みが消えていた。
「私は、君の姉上を敬愛している」
「……え?」
「だから、今のは不愉快だな」
セドリックが、目を丸くする。
「殿下が……姉上を? まさか」
「一度、自分の眼で見てくるといい」
アレクは、馬車の扉に手をかけた。
「君の姉上が、どういう人なのか」
扉が閉まる。
動き出した馬車の窓から、アルが片目をつぶってみせた。
朝靄の中に、セドリックだけが立ち尽くしていた。
*
数日後。
工場の見回りを終えたリディアは、城門の前に止まった馬車に気づいた。
「アレク!」
降りてきた姿に、思わず声が弾む。
「おかえりなさい」
「……ああ。ただいま」
答えてから、アレクは少しだけ言葉に詰まった。
ただいま、か。
口の中で転がした響きが、思いのほか悪くない。
「殿下、顔がゆるんでますよ」
「黙れ」
後ろから降りてきたアルが、笑いをこらえながら包みを差し出した。
「リディア様、王都のお土産です。今、王都で一番人気の菓子だそうで」
「まあ、ありがとう」
包みを開いたリディアの手が、止まった。
見覚えのある焼き色。見覚えのある焼き印。
――リヴェル産。
「……これ、うちのよ」
「えっ」
「王都で一番人気って、本当?」
リディアが吹き出し、アルが頭を抱える。アレクは肩を震わせて笑っていた。
「それと、これは俺からだ」
笑いをおさめたアレクが、革表紙の本を差し出した。
「王都の古書店で見つけた。鉱石と土の本だ。お前なら、喜ぶかと思ってな」
「……!」
受け取ったリディアの目が、ぱっと輝いた。
その場で頁をめくり始め、もうこちらを見ない。
「……おい」
「待って。この図、見たことがないわ」
アルが、とうとう声を上げて笑った。
アレクは、小さく息を吐いた。
まあいい。この顔が見られただけで、十分だ。
*
その夜、カイルの執務室。
「夜会の直後、王太子が陛下に呼び出された」
椅子に腰を下ろすなり、アレクは言った。
「夜更けにだ。褒められに行ったわけでもあるまい」
「……先日、王太子の名で召喚状が届きました。お断りしましたが」
「なるほど。それでか」
アレクは、短く笑った。
「王の名も借りずに呼びつけて、袖にされたわけだ。さぞ絞られただろう」
カイルの眉が、わずかに動く。
「追い詰められた男は、何をするか分からん。護衛は?」
「ロイドとミレイユをつけています」
「そうか」
アレクは、窓の外の灯りに目をやった。
「それと、近いうちに客が来るかもしれん」
「客、ですか」
「彼女の弟だ」
カイルが、静かにアレクを見た。
「……少々、躾がなっていなくてな」
アレクの口元に、意地の悪い笑みが浮かぶ。
「見せてやれ。あの姉が、ここで何を築いたのかを」
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次回、リディアの弟セドリックがリヴェルへやってきます。
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【お知らせ】
今夜21:30に、短編を投稿します。
『私が討った敵将は、死に際に「何度でも戻って、君に殺される」と笑った』
仇の敵将を討った女騎士に遺されたのは、一冊の手帳。
そこには、三百十二回分の「私の死」が綴られていました。
戦場が舞台の、切ない恋のお話です(ハッピーエンドです)。
作者ページから読めますので、よろしければこちらも覗いてみてください。




