第46話 召喚
「……それで、どうなさるおつもりですか」
側近の問いに、ヴィクトールはすぐには答えなかった。机の上には、リヴェルについての報告書が積まれている。
「製法を献上させればいい。国の産業だ」
「……貴族が独自に興したものを召し上げれば、王家への反感を招きます」
「対価は出す。爵位でも褒美でも、くれてやればいい」
「砂糖は、これからいくらでも膨らむ産業です。それに見合う対価など、王家とて用意できますまい。かといって、見合わぬものを差し出せば、召し上げたのと同じこと。貴族の権利を王家が侵したと、諸侯が騒ぎ出します」
「そんなことは分かっている!」
ヴィクトールの拳が、机を打った。
どの道を選んでも、どこかに角が立つ。
「下がれ。少し考える」
側近が退出すると、執務室に静けさが戻った。
あの女は、いつも自分の一歩後ろに立っていた。言いつければ黙って従い、どれほど冷たくあしらっても、文句ひとつ言わなかった。
――あれは、私に従順だった。
呼び戻して、手元に置いておけばいい。側女としてなら、体面も――
いや、と首を振る。公爵家の娘だ。これほどの功績を上げた女を側女になど置けば、非難は免れない。かといって、一度捨てた女を、今さら妃に迎え直せるはずもない。
こめかみを押さえる。
どちらにせよ、まずは会わなければ話にならない。
そうだ。会えばいい。
あの女なら、呼べば来る。そういう女だった。
殿下のお召しとあらば、と、かつてのように頭を垂れる姿が目に浮かぶ。少し褒めてやれば、製法も喜んで差し出すだろう。
ヴィクトールの口元に、ようやく笑みが戻った。
「誰か」
扉の外へ声をかける。
「リヴェル領主に、召喚状を出せ。王太子の名でだ」
*
同じ頃、リヴェルの城。
「ロイド、ミレイユ。しばらく、リディアの護衛についてくれ」
執務室に呼んだ二人に、カイルは短く告げた。
「王都の者が街を嗅ぎ回っている。何かあってからでは遅い」
「承知しました」
ミレイユが即座に頭を下げる。
「……カイル様の護衛は、どうなさるのです?」
ロイドが尋ねた。
「私は、自分の身くらい守れる」
「……承知しました」
カイルは、それ以上何も言わなかった。
*
数日後、王都からの使者を乗せた馬車が、リヴェルに入った。
窓の外を眺めていた使者は、思わず身を乗り出した。
廃村同然の辺境と聞いていた。けれど、石を敷いた道を荷馬車が行き交い、通りには店が軒を連ねている。その奥には、見上げるほどの城がそびえていた。
「……これが、辺境だと?」
呟いてから、使者は胸を張り直した。こちらは王太子殿下の書状を携えているのだ。辺境の領主ごときが、逆らえるはずもない。
応接室で使者を迎えたのは、カイルだった。
「領主殿は?」
「あいにく、手が離せません。ご用件は、私が承ります」
使者は不満げに眉を寄せたが、やがて恭しく書状を広げた。
「王太子ヴィクトール殿下の命により、リヴェル領主リディア殿は、速やかに王都へ参上されたし」
読み上げる声が、応接室に響く。
表情ひとつ変えずに聞き終えると、カイルは口を開いた。
「……それは、陛下の御名によるものでしょうか」
使者の口元が、わずかに引きつった。
「殿下の、ご意向です」
「左様ですか」
カイルは、静かに頭を下げた。
「でしたら、お受けいたしかねます」
「なっ……王太子殿下のお召しを、断ると申すか!」
「陛下の命とあらば、謹んで従います。ですが、殿下お一人のご意向で、領主に領地を空けさせるわけにはまいりません。リヴェルの砂糖は、今や多くの者の暮らしを支えておりますので」
穏やかな声だった。けれど、一歩も引く気配はない。
「殿下には、くれぐれもよろしくお伝えください」
顔を赤くしたまま、使者は言葉を失った。
*
「王太子殿下の使者が、来ていました」
執務室に戻ったカイルが告げると、リディアは書類から顔を上げた。
「何の用で?」
「王都へ来い、と」
「そう」
それだけ言って、リディアは書類に目を戻した。
「お断りしておきました」
「ありがとう」
ペン先が紙の上を滑る音だけが、静かに続く。
カイルの口元が、わずかに緩んだ。
*
「……来ない、だと?」
戻った使者の報告を、ヴィクトールは信じられない思いで聞いた。
「領主殿には、お目通りすら叶いませんでした。応対した者が……その」
「何だ。申せ」
「陛下の御名による召喚でなければ、応じられぬと」
執務室の空気が、凍りついた。
王の名を出せと。あの女の側近が、王太子である自分に、そう言ったのだ。
顔に、みるみる血が上る。机を叩きかけた手が、宙で止まった。
言い返せないことは、分かっていた。父王の許しを得ずに、自分の名で呼びつけたのは事実だ。
けれど、それ以上に胸を打ちのめしたのは、別のことだった。
呼べば来る。そう思っていた。
かつてのリディアなら、きっと来た。どれほど理不尽な言いつけでも、黙って頭を下げて。
だが、もう違うのだ。
「……ならば、別の道から探るまでだ」
低く呟き、ヴィクトールは報告書の束に手を伸ばした。
調べさせた報告の中に、たびたび名の挙がる男がいる。
アルヴェニア王国、第二王子。アレクシス。
「その男を、夜会に招け。リヴェルとの繋がりとやら、この目で確かめてやる」




