第27話 秘密
翌朝。
エドとバルトは、朝から鍋の前に立っていた。
「もう少しです」
「これ以上煮詰めると、焦げますよ」
二人の間に置かれた鍋には、昨日の植物から煮出した液体が入っている。色は濃く、透明でもない。まだ、砂糖と呼べるようなものではなかった。
「味は?」
「甘いです」
エドが答えた。
「かなり甘いですよ」
リディアは鍋を覗き込んだ。
「じゃあ、砂糖になる可能性はあるのね」
「少なくとも、この植物に甘みがあることは間違いありません」
「そう……」
リディアは少しだけ笑った。
まだ成功とは言えない。けれど、これまで探していたものが、ようやく見つかったのかもしれない。
*
そしてさらに数日後。
「リディア様!」
外から声がした。
振り向くと、ガレスが走ってくるところだった。
「お帰りなさい」
「ただいま戻りました!」
ガレスは息を整えながら、背負っていた袋を下ろした。
「ありました」
「本当に?」
「はい」
袋の中には、いくつもの根と乾いた種が入っていた。
「生えていた場所も確認してきました」
「ありがとう」
「それで……」
ガレスは根を一つ取り出した。
「言われた通り、一番大きくて甘いものを選びました」
「食べてみたの?」
「はい」
「どうだった?」
「昨日のものより、少し甘かったです」
リディアは目を輝かせた。
「そう……」
「全部を食べ比べたわけではありませんが、何本も比べてみました」
「十分よ」
リディアは種の入った袋を受け取った。
「これを植えましょう」
「はい」
「甘いものを選んで、また種を取るの」
ガレスは頷いた。
まだ、この植物から本当に砂糖が作れるのかは分からない。それでも、少なくとも試してみる価値はある。
*
その日の午後、リヴェルでは皆が慌ただしく動いていた。
畑ではガレスの持ち帰った種を植え、屋敷では菓子を作っている。工房ではエドとバルトが砂糖作りを試し、これから建てる菓子工房についても話し合いが始まっていた。
少し前まで、リヴェルで仕事と呼べるものは、ほとんど畑しかなかった。
けれど、今は違う。畑を離れて菓子を作る女たちがいれば、道具を作る職人もいる。仕組みを考える技師や、売るための商品を作る者もいた。
人も少しずつ増えている。麦が取れたことで村に戻ってきた者や、工事のために周辺から集まってきた者。出入りする商人や業者も増えた。
畑仕事という今まで一つしかなかった道に、少しずつ別の道ができ始めている。
*
「ガレス」
「はい?」
夕方、仕事を終えたガレスにカイルが声をかけた。
「少し、いいか」
「はい」
二人は屋敷から少し離れた場所まで歩いた。
しばらく、カイルは何も言わなかった。
「お前は、いつもリディア様のおそばにいるな」
「……そうですね」
ガレスは苦笑した。
「リディア様が来てからは、ずっとですね」
「そうだな」
カイルは前を向いたまま続けた。
「あの方は、元々、支配する側の人間だ」
ガレスの足が、少しだけ止まった。
「これまでは不遇な境遇にあったからこそ、お前たちと同じ場所におられた。だが、リディア様はもう、自分の力でそこから抜け出し始めている」
ガレスは黙っていた。
分かっていた。たぶん、リディアが来た頃とは、もう何もかも違う。
畑だけだった場所に人が集まり、新しい仕事が生まれた。アルヴェニアとの取引まで始まっている。そして、リディア自身も変わった。
「お前は農民だ」
カイルが言った。
「このままでは、いずれあの方のそばにはいられなくなるぞ」
胸の奥に、何かが落ちた。
「……俺は」
ガレスは自分の手を見た。土のついた、これまで鍬を握ってきた手だった。
「俺は、農民です」
「ああ」
「それしか、できません」
「本当にそうか?」
「……え?」
カイルがガレスを見る。
「リヴェルの人間は、今までずっとそうだった。生きるために畑を耕す。それが当たり前だった」
「はい」
「だが、今は違う」
カイルは屋敷の方へ視線を向けた。
「選んでいいんだ」
「……選ぶ?」
「鍬を取ること以外の人生を」
ガレスは何も言えなかった。そんなことを考えたことは、一度もなかった。
明日も畑に出る。明後日も、その先も。そうして生きていくのが普通だと思っていた。
けれど、厨房では女たちが新しい菓子を作り、工房ではエドやバルトが新しい道具を作っている。村の外から来た人間まで、この場所で仕事をしていた。
みんな、自分のやることを見つけ始めている。
「……俺だけ」
ガレスが呟いた。
カイルは答えず、静かにガレスを見ていた。
「俺は……」
ガレスは拳を握った。
「リディア様の役に立てるんでしょうか」
「それを決めるのは、お前だ」
「俺に、何ができるんですか」
「考えるんだ。自分で」
ガレスは俯いた。しばらくして、小さな声で言う。
「……剣を」
「何?」
「剣なら……」
ガレスは自分でも驚いたように顔を上げた。
「剣を取ることなら、できますか」
カイルは、少しだけ目を細めた。
「触ったこともないだろう」
「ありません」
「戦ったことも?」
「ありません」
「それでも?」
「……はい」
ガレスは答えた。
「俺も、何かできるようになりたいです」
「そうか」
カイルは静かに頷いた。
「なら、剣を取るなら、私が取り立てよう」
ガレスは目を見開いた。
「……俺を?」
「ああ」
「本当に?」
「お前が選ぶならな」
カイルはそれだけ言った。
ガレスはしばらく黙っていた。そして、はっきりと告げる。
「……お願いします」
初めて、自分で選んだ。
*
その頃、リディアは屋敷の窓から外を眺めていた。
少し離れた場所で、カイルとガレスが話している。
「……何を話しているのかしら」
やがて二人は別れ、ガレスがこちらへ戻ってきた。
「リディア様!」
「どうしたの? 何だか、嬉しそうね」
「明日から、少し忙しくなりそうです」
「何をするの?」
ガレスは、鍬を握り直して笑った。
「……まだ、秘密です」




