第28話 噂
アルヴェニア王国。
国境に近い、とある街。
「また売り切れたのか?」
「ああ。昼前には、もうなかったそうだ」
「砂糖も?」
「そっちもだ」
商人たちの間で、そんな会話が交わされていた。
店先に並べられていたのは、小さな焼き菓子だった。
木苺のジャムを練り込んだものや、干した果実を入れたもの。素朴な焼き菓子に、甘い砂糖をまぶしたものもある。
どれも、特別に珍しい菓子というわけではない。
けれど、一度食べれば、もう一つ欲しくなる。
そんな味だった。
「次はいつ入る?」
「分からん。注文は出してあるらしいが、向こうも生産が追いついていないそうだ」
「……リヴェル、だったか?」
「ああ」
商人は、空になった木箱を眺めた。
そこには簡素な文字で、こう書かれている。
――リヴェル産。
*
少し前まで、リヴェルで砂糖を安定して作ることなど、誰にもできなかった。
けれど、ガレスが持ち帰った種を植えてから、状況は変わった。
芽が出るまで、それが本当にリディアの探していた甜菜なのかさえ分からなかった。やがて育った根を掘り出してみれば、求めていたものに間違いなかった。
しかも、リヴェルの土と気候は甜菜の栽培に向いていたらしく、根は思っていた以上に太く育った。
精製を任されたエドとバルトにとっても、サトウキビを使った試行錯誤を繰り返していたおかげで、甜菜から糖分を取り出す方法は、以前よりずっと早く形になった。
もちろん、最初からうまくいったわけではない。
煮詰めすぎたり、焦がしたりしながら、濾し方や火加減を変えていく。
それでも、何度か試すうちに白い結晶が作れるようになった。
リヴェルで採れた甜菜から、リヴェルで作った砂糖が。
それは、少しずつ安定して生産できるようになっていった。
*
「今日の分、もう出したのか?」
「はい。砂糖の方は、これで終わりです」
「菓子は?」
「午後の便に積みます」
リヴェルの工場では、朝から人が動いていた。
砂糖を作り、菓子を焼き、材料を保管し、完成した商品を箱に詰める。少し前まで村の厨房で作っていたものとは、比べものにならない規模になっている。
工場は、すでに稼働していた。
最初は小さな建物だったが、注文が増えるたびに設備が増え、人が増え、作業する場所も広がっていった。
「次の注文、また増えたそうですよ」
「また?」
「はい」
作業員が苦笑する。
「アルヴェニアの商会からです」
リディアは、届いた注文書に目を通した。
以前なら、これほどの量を頼まれても困っていただろう。
けれど、今は違う。
「では、砂糖の生産量を少し増やしましょう」
「分かりました」
エドが頷いた。
「その分、甜菜も必要になりますね」
「ええ。畑を増やしましょう」
注文が増えれば、原料も、それを扱う人手も必要になる。
砂糖を作る者、菓子を焼く者、荷物を運ぶ者。袋や箱を作る者もいれば、材料を管理する者もいる。
以前のリヴェルには、ほとんどなかった仕事だった。
「畑以外にも、こんなに仕事があるなんて……」
一度は村を出ていった村人が、工場を眺めながら呟いた。
「ええ」
リディアは頷いた。
「やりたい仕事を選んでください」
かつては、畑を耕すしかなかった。
その畑も水に流されてきた。
それが嫌なら、村を出るしかなかった。
けれど今は違う。
まだ多くはない。
それでも、選べる仕事が少しずつ増えている。
*
冬が深まる頃には、リヴェルの風景も変わり始めていた。
工場からは煙が上がり、倉庫には商品が積まれ、荷車が村の中を行き交っている。戻ってきた人々の家も少しずつ増え、以前より人の声が聞こえるようになった。
「なんだか……忙しくなりましたね」
ガレスが言った。
「そうですね」
リディアは、工場の方を眺めた。
「これが、町になるってことなのかもしれませんね」
ガレスは少し考えてから、笑った。
「……町に? ハハッ、リヴェルが? そりゃすげえ!」
「ふふ、そうですね」
「でも……もう前のリヴェルとは違うわ」
リディアは、領主邸から見えるリヴェルの土地を眺めた。
そのときだった。
「相変わらず、面白いことを言うな」
聞き覚えのある声がした。
「……え?」
リディアが振り返ると、
屋敷の入口に、一人の男が立っていた。
旅装のまま、いつものように余裕のある笑みを浮かべている。
「アレク様……?」
「ああ」
アレクは笑った。
「久しぶりだな」
リディアは、しばらく何も言えなかった。
それから、ゆっくりと微笑む。
「……約束の一年が、経ちましたね」




