第9話 昼間のランタン
抜けるような初夏の青空の下、ウォルターは赤レンガの建物が並ぶ街の坂道を下っていた。
すれ違う街行く人々が、ちらっ、ちらっとウォルターの方を振り返っていく。
その原因は明白だ。彼が胸に抱えている旧式の魔導ランタンである。
本来、魔導ランタンというものは、光の届かない深く暗いダンジョンの中や、街灯の少ない夜道を歩く際に使うものだ。こんな明るい太陽がさんさんと降り注ぐ真昼間の街中でランタンを後生大事に抱えながら歩いている男がいれば、ウォルター自身であっても不審に思って二度見したことだろう。
「……」
すれ違った果物屋の店主と目が合い、ウォルターはなんとも言えない居心地の悪さを覚えて眉間を揉んだ。
一方で、諸悪の根源でありランタンの中に収まっているイブリン(ぶどう)は、至って上機嫌だった。
ウォルターの耳元に、彼女の鼻歌が心地よいテレパスとして響いてくる。ウォルターの知らない曲だったが、なかなか軽快で良いメロディだった。そして何より、イブリン本人は非常に歌が上手かった。
しかし、いくら上手くても、他人の鼻歌をずっと無理やり聞かされていると、次第に苛立ってもくる。
「……おい。外では喋るなと言ったじゃないか」
ウォルターが他人に怪しまれないよう、極小の唇の動きだけで注意すると、鼻歌がピタリと止まった。
『歌は禁止されてないわ』
「屁理屈を言うな」
『事実でしょ。言葉を発してないんだから、喋ってないわ』
「……」
どこかで聞いたような理屈だった。「事実の省略であって嘘ではない」と豪語してゴードンを誤魔化した自分の手法を、そっくりそのままお返しされている気分だ。
「わかった。君の歌が上手いのは認めるが、耳が疲れるからしばらく静かにしてくれないか」
『えー……まあ、しょうがないわね。黙っててあげる』
イブリンは素直に引き下がった。少し持ち上げると途端にチョロくなる傾向があるのは助かる。
ウォルターの住む街は、巨大なダンジョンの入り口を扇の要として、すり鉢状の急斜面にへばりつくように発展した工業都市だ。平地が極端に少なく、どこへ行くにも起伏の激しい石畳の坂道を昇り降りしなければならない。
自宅のマンションから急な坂道を十分ほど下りきったところに、「魔導トラム」の駅があった。ここから街の郊外にある巨大なホームセンターまでは、この路面魔導列車に乗って行く予定だ。
平日の昼前ということもあり、レンガ造りの小さな駅のホームには、ウォルターの他に待っている客の姿はなかった。
足元の線路を覗き込むと、二本の鉄のレールの中心に、急勾配を登るためのギザギザの歯車用レール(ラックレール)が敷き詰められている。この街の生活インフラもまた、ウォルターたちが掘り出す魔導石のエネルギーによって支えられているのだ。
駅のベンチに腰を下ろして待っていると、唐突にイブリンが口を開いた。
『ねえ、私、すごくいいこと思いついたわ』
いまさっき「静かにしてくれ」と伝えたばかりだが、彼女にはそんな約束はすでに過去のものらしい。
「なんだ?」
きっとろくでもないことだと思いつつ、ウォルターは短く聞き返す。
『見てて』
言葉と同時だった。
ウォルターが膝に抱えていたランタンのガラスケースから、青紫色の光の粒子がふわりと空中に漏れ出した。光は真昼の太陽の下で複雑に屈折と乱反射を繰り返し、あっという間に人間のシルエットを形作っていく。
すっ、と。ウォルターのすぐ隣に、紫色の三角帽子と、ゆったりとした同色のローブを身にまとった女の子が立っていた。
背の高さはウォルターより頭一つ分ほど低く、少し癖のある長い銀髪が、初夏の風に揺れている。ローブの下から覗く肌は白く、その整った顔立ちは、生意気そうな大きな瞳が印象的だった。
「うわっ……!?」
思わず声を上げて、ウォルターは立ち上がった。
そして慌てて辺りを見渡す。さいわい、駅のホームにはまだ自分たちしかいないし、遠くの歩道を歩く人々も、この空間に突然女の子が出現したという異常事態に気づく様子はなかった。
「おい、いくらなんでもホログラムが大きすぎる! こんな等身大の幻影に向かって話しかけていたら、周りの人間には、ぼくが空中に向かって一人で喋っている変質者に見えるだけだぞ!」
「大丈夫よ、ちゃんと周りの状況は見てるってば」
隣に立つ等身大のイブリンが、つまらなそうにため息をついた。
ウォルターはハッとした。今、彼女の声は頭の中に響いたのではない。隣に立つホログラムの少女の「口」から、空気を震わせる物理的な音声として、ごく自然に耳に届いたのだ。
「……声が、外から聞こえた?」
「当たり前でしょ。私がただの幻影なんていう低レベルな魔法を使うわけないじゃない。光の屈折率を調整して質量があるように見せかけつつ、音圧もコントロールして、本当に私がここに存在して声を発しているように空間を書き換えたのよ。だから、すれ違う人には、私が普通の『実在する人間』として見えているし、声も普通に聞こえるわ」
イブリンは、腰に手を当ててふんぞり返った。
「どう? これなら隣を歩いて普通に会話しても、まったく不自然じゃないでしょ?」
得意げに笑うイブリン。どうやら彼女は、ランタンの中で暇を持て余した数十分の間に、周囲の人間を完全に欺くための超高精細な等身大アバター魔法を、ぶどうの蔓でハードコーディングしてしまったらしかった。天才という言葉すら生ぬるい、異常な技術の無駄遣いである。
「……確かに、これならぼくが変質者に見られることはないな」
ウォルターは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「でも、致命的な欠陥が一つある」
「欠陥? 何よ。私の完璧な魔法に文句があるわけ?」
「ランタンが光っているのを気にしなければ、の話だ」
ウォルターは、手に持った魔導ランタンを指差した。ランタンの中のぶどう(本体)は、ホログラムを維持するために煌々と青紫色の光を放ち続けている。
「真昼間に、煌々と光り輝くランタンを抱えた男なんて不自然の極みだ」
「昼間なんだから、ランタンが光ってても意外と気づかないわよ。むしろ、夜にランタンから光の粒子が漏れてる方がよっぽど怪しまれるでしょ」
「そもそも、昼間にランタンを持っている時点で怪しいという大前提について、何か意見はないか?」
「あなた、多少風変わりな人だと思われるのには慣れっこでしょ?」
「ぼくをなんだと思ってるんだ」
ウォルターが冷ややかな目を向けると、イブリンは悪びれもせず即答した。
「とても優秀な魔導石工の、朴念仁」
「……そうか」
否定したかったが、ダンジョン組合保安管理課のエマを筆頭に、周囲の人間からそう扱われているという自覚が少なからずあったため、ウォルターは反論の言葉を飲み込んだ。
「ま、細かいことは気にしないの。これで、デートしている恋人に見えるわね、私たち」
イブリンが、ローブの袖を揺らしてウォルターの顔を覗き込んできた。
「……それは光栄だな」
ウォルターが一切の感情を込めずに皮肉を言うと、イブリンはくすくすと楽しそうに笑った。
「ウォルター、照れなくて良いのよ? こんな可愛くて才能に溢れた女の子とデートするなんて、今まであなたの人生に無かったでしょ? ずっと、薄暗いダンジョンに引きこもって石ばっかり叩いてたんだから」
「……なんだと」
石工という誇り高き職業と、自分の華の無い青春時代を同時に小馬鹿にされ、ウォルターの眉がピクリと動いた。
なにか強烈な正論を一つ言い返してやろうと、ウォルターが口を開きかけた、その時だった。
坂の上から、魔導モーターの独特な駆動音と、ラックレールに歯車を噛み合わせる重厚な金属音を響かせて、二両編成の魔導トラムがゆっくりと駅のホームへ滑り込んできた。
「あ、トラム来たわよ! 早く早く!」
イブリンのホログラムが、まるで本物の子供のようにはしゃいでトラムのドアへ駆け寄る。
「……待て。走るな」
ウォルターは小さくため息をつき、光るランタンを胸に抱え直すと、自称・天才魔導師の後を追ってトラムのステップへと足を掛けた。
とりあえず、彼女に対する反論の議論は、車内へとおあずけとなった。




