第6話 怒りのぶどう
組合本部建物の奥深く、分厚い防音扉を開けた先に「査定購買課」はある。
ここは、ダンジョンで採掘された魔導石を組合が買い取り、地上の市場へと流通させるための心臓部とも言える部署だ。組合に所属する魔導石工たちにとって、自分たちの命がけの労働が直接金銭へと変わる場所であり、もっとも世話になる重要な窓口である。
部屋の中は、むっとするような油と金属の匂い、そして微かなオゾンに似た魔力の残滓の匂いに満ちていた。あちこちのカウンターでは、持ち込まれた原石の純度を調べるための小槌の音が甲高く響き、ドワーフの鑑定士たちと石工たちの間で価格交渉の騒々しい声が飛び交っている。
ウォルターは喧騒を抜け、一番奥にある定位置のカウンターへと向かった。
そこに座っているのは、ゴードンという名の中年ドワーフだ。白髪交じりの黒い髪と、顎の先まで覆い尽くす分厚く濃い髭がいかつい。ずんぐりむっくりとした体型はまさにドワーフの典型とも言える容姿だが、その丸太のように太い腕と、瞳の奥に宿る鋭い光は、彼がかつて一流の石工であり、今は組合でも指折りの鑑定眼を持つプロフェッショナルであることを示している。
「ウォルター、調子はどうだ?」
カウンターの前に立ったウォルターの顔を見るなり、ゴードンが羊皮紙の束から顔を上げて低く重厚な声で尋ねてきた。
「普通ですよ」
「……いや、ちょっと疲れた顔をしてるぞ。目の下にうっすらクマができてるじゃないか」
「……そうですか?」
「連日深くダンジョンに潜ってるんだ。たまには地上でゆっくり休め」
まさか、ゴードンにまで体調を心配されるとは思っていなかったウォルターは、内心で軽く驚いた。
先ほどのエマからの言葉は、ただの受付事務員としての親切心や世間話の類だと処理していた。しかし、長年過酷な現場を共に生きてきた同業者の大先輩であるゴードンから「疲れている」と指摘されるとなると、話は別だ。
他者の感情には鈍感なウォルターだが、自分の身体という「道具」のコンディションには人一倍気を使っている。プロの目から見て疲労が顔に出ているということは、自分が思っている以上に疲弊が蓄積している証拠だ。
明日はダンジョンへ行くのをやめ、完全な休日にしようか。ウォルターは生真面目に今後のスケジューリングを再考し始めた。
「で、今回の石はどれだ? また惚れ惚れするような傷のない石を持ってきてくれたんだろうな」
ゴードンが分厚い手を差し出した。
「これです」
ウォルターは腰の革ポシェットから、絶縁用のアダマンタイトの袋に包まれた魔導石をひとつだけ取り出し、カウンターのベルベットの布の上に静かに置いた。
「ん? ひとつだけか?」
ゴードンがいぶかしげに眉をひそめた。普段のウォルターの採掘量からすれば、明らかに少なすぎるからだ。
「ええ。ひとつだけです」
「珍しいな……。お前さんが一つしか掘り出さないなんて、何かトラブルでもあったか?」
「異変にあったものですから。早めに切り上げました」
「異変か。どこで、どんな異変だ?」
ゴードンの目つきが、一瞬にして組合の重鎮のものへと変わった。
ウォルターは、先ほど受付のエマに説明したのと同じ「真実に隠された嘘」を、声のトーンを一切変えずに慎重に繰り返した。第六区画の最深部で起きた異常な魔力負荷による空間の歪み、天井の低下、そして岩肌の変色。そして、原因となるはずの高純度の魔導石は「見つけられなかった」という結論を。
「なるほど……。お前さんの目をもってしても見つけられないとなると、相当厄介だな。何かの拍子で暴走した石が、粉々に砕けて細かい破片として岩盤の中に散らばっているのかもな」
ゴードンは顎髭を撫でながら、深刻な顔で推論を立てた。
その時、ウォルターの耳元で、ランタンの中にいるイブリンの声が直接響いた。
『ちょっと……これさぁ。あとで現場を調べられたら、私の本体の石がないことなんてすぐにバレるんじゃないの?』
自分の仕業だと見破られることを危惧したのか、イブリンが心配そうに聞いてくる。
「(大丈夫だ。結局、これほど大規模な異変となる魔導石が、いつまで経っても発見されないというケースはよくあることだ)」
ウォルターは極小の唇の動きだけで、的確な事実を返した。
「ん? 今、なんか言ったか?」
ゴードンが片眉を上げた。ウォルターは表情一つ変えずに答える。
「いえ……もしかしたら、原因となる魔導石はあの歪んだ空間の中心ではなく、少し離れた場所にあるのかもしれないと思いまして」
「あぁ……それも充分にありうるなぁ」
ゴードンは深く頷いた。暴走した魔導石の影響が、地脈を伝って遠く離れた場所で物理的な現象として発生することは珍しくない。変調した魔力が、岩盤の中の他の微弱な魔力と共鳴することで起きる現象だ。ウォルターの理屈は、石工として完璧に筋が通っていた。
「まあ、異変の調査は保安管理課の仕事だ。俺たちは持ち込まれた石の価値を決めるだけさ。さて……この石、いくらくらいになりそうか、さっそく鑑定させてもらおう」
ゴードンは表情を鑑定士のものへと切り替えた。
彼はまず、片目に分厚い特殊なルーペをはめ込み、卓上の魔導ランプの強い光にウォルターの石をかざした。光の屈折率と、内部に微細な泥やヒビが混ざっていないかを鋭い目で確認する。
続いて、石をマットの上に置き、純度百パーセントのアダマンタイトで打たれた小さなハンマーで、石の表面を軽く叩いた。
周囲の喧騒を切り裂くように、極めて澄み切った高い音が長く響き渡る。不純物のない、魔力密度が極限まで詰まった良質な石の証拠だ。
最後に、真鍮製の精密な天秤に乗せ、重さと魔力の反発による質量の差異を細かく計測する。
すべての工程を終えたゴードンは、満足そうに鼻を鳴らし、手元の分厚い価格表としばらくにらめっこした。
「よし……十三万三千ギニーだな。どうだ?」
ウォルターの質素な生活水準であれば、約二週間は余裕で暮らしていけるだけのまとまった金額である。
「十分です。ありがとうございます」
「買取金額は、規定の手数料を引いていつもの口座に振り込んでおく。口座番号は変わってないよな?」
「はい、変わっていません。ありがとうございました」
これで本日の面倒な手続きはすべて終わった。
ウォルターが安堵し、カウンターから身を離して席を立とうとした時だった。
「そういえばウォルター。警察に追われている魔導師が、ダンジョンに逃げ込んだという話は聞いたか?」
ゴードンが、何気ない世間話のトーンで切り出した。
ピリッ、と。ウォルターと、ランタンの中のイブリンの二人の間に、目に見えない強烈な緊張が走った。
カタッ……。ウォルターの手元で、ぶどうが動いた衝撃でランタンが小さな音を立てた。ウォルターは咄嗟にガラスケースに手を添え、振動を殺す。
「あ……はい。噂程度には」
「聞いたところによると、そいつは王都の中心部で『禁忌魔法』を発動して、王宮そのものを破壊しようと企てた、とんでもない奴らしいぞ。何でも、国宝級の魔力回路をいじっただのなんだの……とにかく、関わったら命がいくつあっても足りない凶悪犯だ。ダンジョンの奥でばったり出くわさないように、お前さんも十分気をつけるんだな」
「……わかりました」
ウォルターは小さく頷き、踵を返して査定購買課の部屋を出た。
分厚い防音扉が閉まり、廊下の静けさに包まれた瞬間、ウォルターはぽつりと呟いた。
「……やっぱり、テロリストじゃないか」
すると、ランタンの中から鼓膜が破れんばかりのテレパスが飛んできた。
『誤解よ!! 王宮の爆破なんてしてないし、そんなこと微塵も計画してないわよ! 私はもっと高尚で、崇高な目的を持って活動してるの! とんでもないデマだわ!』
「テロリストは、捕まる前は全員そう言うんだ。自分たちの行為は高尚な変革だと」
『違うって言ってるでしょ! だいたい禁忌魔法なんて――』
「静かにしろ。変にランタンを揺らして音を立てられたら困る」
ランタンの中でイブリンがなおもじたばたと騒ぎ出したため、すれ違う人間に不自然な音や振動を怪しまれないよう、ウォルターは慌ててランタンを自分の胸元にぎゅっと抱え込んだ。
その妙に必死な様子を、たまたま廊下を通りかかった若い石工が不思議そうに見咎めた。
「ウォルターさん。その古いランタン、ずいぶん大事に抱えてるんすね」
「ええ……。ぼくの宝物なんで」
ウォルターは真顔で即答した。
嘘ではない。この旧式の魔導ランタンは、彼が十八歳で石工の道へ進むと決めた時、両親が就職祝いとして無理をして買ってくれたものだ。ウォルターにとって、何物にも代えがたい大切な宝物には違いなかった。
『あらぁ……私を宝物だなんて……』
耳元で、イブリンの怒りに満ちていた声が、急に甘く照れたような声色に変わった。
どうやら彼女は「ウォルターがイブリン(ぶどう)のことを宝物だと言って隠してくれた」という、とてつもなく壮大な勘違いをしているらしい。
訂正するのも面倒だったため、ウォルターは彼女の自意識過剰な反応を完全に無視することにした。
「……帰るぞ」
『ええ。私のために、早く安全なところへ連れて行ってちょうだい。宝物なんでしょ?』
「……」
小声で抗議する気力すら湧かず、ウォルターは深いため息を一つ吐くと、初夏の眩しい日差しが照りつける地上の街へと足を踏み出し、帰宅の途に着くのだった。




